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最後は自分で気づくしかない


2024年4月6日(土)朝の6:00になりました。

人間は何も創造しない。ただ、発見するだけである。

どうも、高倉大希です。




新年度がはじまって、1週間が経過しました。

今年もまた、新しい春がやってきます。


1年前の自分を、ヘボかったと思えているか。

毎年自分に、こう問いかけるようにしています。


意識が高いように見えますが、あくまでも最低ラインのチェックです。

1年前の自分のことを、ヘボかったなと思えていればOKです。


学問をするとは、目からウロコが落ちること、じぶんのみかたがガラッと変わることです。自分がガラッと変わると、どうなるか。それまでの自分は、いったい何を考えていたんだと思うようになります。

養老孟司(2023)「ものがわかるということ」祥伝社


きっとこうして毎日書いている文章も、いつかは黒歴史になります。

いやむしろ、黒歴史になっていなければなりません。


新しい発見をするということは、今までの自分ではなくなるということです。

今までの自分が部分的に死んで、新しく生まれ変わります。


1年前の自分は、ヘボかったな。

ちょうど1年後の春に今日の文章を読み返して、こう思えていたらOKです。


初めは社会のごく一部なんですけど、起きる事象が少しずつ変わっていくんです。しかし制度や大衆の考え方はそのままなので、そこに乖離が生じてくる。そして乖離が大きくなると「今までの考え方がおかしいんじゃないの」と感じる人が増えて、既得権益を攻撃するようになり、社会が変わるというのが、基本的な構図です。

深井龍之介、野村高文(2022)「視点という教養」イースト・プレス


新しい発見をするためには、新しい世界に触れなければなりません。

新しい世界に触れれば、新しい発見をする機会を得ます。


新しい世界に触れれば、自動的に新しい発見があるというわけではありません。

あくまでも、発見する可能性があるひとつの機会を得るだけです。


どれだけ素晴らしい世界に触れようが、どれだけ素晴らしい人に出会おうが。

最後は、自分で気づくしかありません。


なぜ型を習得する必要があるのかと、初心者が尋ねる。すでに型の重要性を体験した人は、なぜやふぜきなのかがまさに身体を通して腑に落ちている。だが、初心者に説明する時には言葉を尽くしながらも、もどかしさを感じるだろう。本当の意味で型の大切さがわかるのは、結局、体験した後だからだ。

為末大(2023)「熟達論」新潮社


だからこそ、わたしたちにできることは変わりやすさを保つことくらいです。

言い換えるなら、気づく可能性のある機会に触れ続ける努力をすることです。


触れた瞬間に何かを学んだ気になったときは、むしろ注意が必要です。

学んだ気になったその瞬間から、考えることをやめてしまいます。


そう簡単に、気づくことなどありません。

仮に気づいたとしても、その気づいた自分もまたヘボい存在であるわけです。






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