見出し画像

この世は通過するだけのものだから


2024年7月19日(金)朝の6:00になりました。

人の思いは所詮、記憶の奴隷。

どうも、高倉大希です。




所詮は、人生のほんの一部でしかない仕事。

所詮は、何億人もいる人間の中のひとりでしかない自分。


「所詮は」という言葉に、助けられたことが何度もあります。

目の前のものが大きく見えるのは、目の前にあるからです。


遠く離れて見てみれば、所詮はただの豆粒です。

遠くから見れば、大抵のものは綺麗に見えるというわけです。


本当の話、あなたが人生で何をするかは、そんなに重要なことじゃない。あなたが限られた時間をどう使おうと、宇宙はまったく、これっぽっちも気にしていないのだ。

オリバー・バークマン(2022)「限りある時間の使い方」かんき出版


一方で、わたしたちの生活はいつだって目の前にあります。

必然的に、目の前にあるもので視界が覆われてしまいます。


だからこそ、意図して離れなければなりません。

そのひとつのきっかけが、「所詮は」という言葉です。


「所詮は」は、勇気をくれます。

ちっちゃいことは気にするなと、背中を押してくれるのです。


いつでも、人の暮らしている世の中ってやつは、学者やマーケッターたちが考えるよりも先を行っている。現実にすでにはじまっていることや、現実に人々が感じていることを、「研究者」たちがまとめ上げて解説したりすると、その説明を聞いて安心した多くの人々が、あとをついてきて市場は大きくなっていく。

糸井重里(2004)「ほぼ日刊イトイ新聞の本」講談社


この世は通過するだけのものだから、あまりきばる必要ないよ。

水木しげる先生の『カランコロン漂泊記』に登場する、猫の有名なセリフです。


失敗したって、かまいません。

恥をかいたって、かまいません。


なぜなら、この世は通過するだけのものだから。

所詮は、通過するだけのものだから。


生きることは、ある意味で何かをさらけ出しているわけで、恥ずかしいことでしょう。生きることじたい、恥さらしみたいなもんです。でも、それを恥ずかしいと決めつけてしまったら、窒息しちゃいますよね。絵を描くことも、「さらけ出しながら生きていく」というのと同じこと。それでいいんじゃないかな。

横尾忠則(2021)「YOKOO LIFE」ほぼ日


自分が書いた文章を公開することって、じつは結構な勇気がいります。

べつに誰も読みやしないということが、わかっていたとしてもです。


そんなときは、魔法の言葉を唱えます。

すると、勇気がいらなくなります。


えいやと、投稿ボタンを押してしまえるというわけです。

魔法の言葉のおかげで、今日もみなさんと会うことができています。






サポートしたあなたには幸せが訪れます。