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この世は通過するだけのものだから
2024年7月19日(金)朝の6:00になりました。
人の思いは所詮、記憶の奴隷。
どうも、高倉大希です。
所詮は、人生のほんの一部でしかない仕事。
所詮は、何億人もいる人間の中のひとりでしかない自分。
「所詮は」という言葉に、助けられたことが何度もあります。
目の前のものが大きく見えるのは、目の前にあるからです。
遠く離れて見てみれば、所詮はただの豆粒です。
遠くから見れば、大抵のものは綺麗に見えるというわけです。
本当の話、あなたが人生で何をするかは、そんなに重要なことじゃない。あなたが限られた時間をどう使おうと、宇宙はまったく、これっぽっちも気にしていないのだ。
一方で、わたしたちの生活はいつだって目の前にあります。
必然的に、目の前にあるもので視界が覆われてしまいます。
だからこそ、意図して離れなければなりません。
そのひとつのきっかけが、「所詮は」という言葉です。
「所詮は」は、勇気をくれます。
ちっちゃいことは気にするなと、背中を押してくれるのです。
いつでも、人の暮らしている世の中ってやつは、学者やマーケッターたちが考えるよりも先を行っている。現実にすでにはじまっていることや、現実に人々が感じていることを、「研究者」たちがまとめ上げて解説したりすると、その説明を聞いて安心した多くの人々が、あとをついてきて市場は大きくなっていく。
この世は通過するだけのものだから、あまりきばる必要ないよ。
水木しげる先生の『カランコロン漂泊記』に登場する、猫の有名なセリフです。
失敗したって、かまいません。
恥をかいたって、かまいません。
なぜなら、この世は通過するだけのものだから。
所詮は、通過するだけのものだから。
生きることは、ある意味で何かをさらけ出しているわけで、恥ずかしいことでしょう。生きることじたい、恥さらしみたいなもんです。でも、それを恥ずかしいと決めつけてしまったら、窒息しちゃいますよね。絵を描くことも、「さらけ出しながら生きていく」というのと同じこと。それでいいんじゃないかな。
自分が書いた文章を公開することって、じつは結構な勇気がいります。
べつに誰も読みやしないということが、わかっていたとしてもです。
そんなときは、魔法の言葉を唱えます。
すると、勇気がいらなくなります。
えいやと、投稿ボタンを押してしまえるというわけです。
魔法の言葉のおかげで、今日もみなさんと会うことができています。
毎朝6時に更新します。読みましょう。 https://t.co/rAu7K1rUO8
— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
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