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頭をつかわなくてもできることを増やす


2024年6月16日(日)朝の6:00になりました。

純粋な数学とは、論理的思考が織りなす詩である。

どうも、高倉大希です。




中学生になったら、数学で「式の展開」を学びます。


2と3を足して5、2と3を掛けて6。

分配法則をつかえば、必然的にそう考えることになります。


なるほど、こうやって展開すればよいのか。

授業を受けながら、中学生たちはそんなことを思うわけです。


デューイによれば、世界は「こちらは数学の世界」「あちらは物理の世界」「そちらは歴史の世界」なのと分断した状態で存在しているのではない。そのような状態てまは、「私たちは生きのびることなどできない」のである。

上野正道(2022)「ジョン・デューイ 民主主義と教育の哲学」岩波書店


新しく学ぶ範囲を、なぜすんなりと理解することができるのか。

それは、「頭をつかわなくてもできること」が過程に含まれているからです。


先ほどの計算でいう、「2と3を足して5、2と3を掛けて6」がまさにです。

わざわざ頭をつかわなくても、すぐに求められるはずです。


ここに頭をつかわないからこそ、式の展開の手順という新知識を習得できます。

過程にある足し算や掛け算で躓いていたら、式の展開はできません。


ニュートンにとっての微積分学は、「あたらしい数学」というよりも、「世界を説明するためのあたらしい言葉」といったほうが的確なのかもしれません。

瀧本哲史(2016)「ミライの授業」講談社


「頭をつかわなければできないこと」が多ければ多いほど、難易度は上がります。

単純に、解消しなければならない問題を同時に複数抱えることになるからです。


問題を同時に複数抱えると、人は思っているよりも簡単にパンクします。

難しいところではありますが、やるべきことはただのひとつしかありません。


目の前の問題を、ひとつずつ解消していくことです。

複数抱えていたとしても結局対峙するのは、目の前のひとつです。


「数学なんか勉強しても、四則計算以外は何の役にも立たない」という言葉をよく聞きます。大変皮肉なことですが、そのようなセリフが出てくること自体が、数学による「抽象化の学習」が失敗していることを意味するのです。

細谷巧(2014)「具体と抽象 世界がわかって見える知性の仕組み」dZERO


足し算がわからなければまずは足し算を、頭をつかわずにできる状態にします。

掛け算がわからなければまずは掛け算を、頭をつかわずにできる状態にします。


これらが解消されてようやく、式の展開に臨むことができるわけです。

いきなり式の展開に臨んだところで、撃沈して当然です。


わたしたちはよく、成功者の成功した部分にだけ目を向けがちです。

背景には「頭をつかわなくてもできること」を増やしてきた過去があるはずです。






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