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平等を望むなら大きなものの前に立てばよい
2023年9月27日(水)朝の6:00になりました。
遠くから見れば、大抵のものは綺麗に見える。
どうも、高倉大希です。
神の前では、みな平等である。
そう思われている理由は、神が大きすぎるからです。
大きなものの前に立てば、みなが平等になります。
個人なんてあまりにも小さくて、差異が判断できません。
差異が判断できないものは、平等にならざるをえません。
それを望むかどうかは、またべつの話です。
トカゲのグループにウサギを入れて「個性的ですね」とは表現しないが、ウサギの毛の色が多岐にわたれば「それぞれ個性がありますね」という。同じ生物種だからだ。だから違いよりも共通点の方が多いグループの中の差異を取り出し、それを個性と呼んでいる。
平等ではないと感じるということは、それだけ近くで見ているということです。
似たものどうしの差異が見えるくらいに、小さな範囲を捉えています。
子どもたちが不平等を訴えるときは、大抵がこのパターンです。
大したちがいがないにも関わらず、どんぐりの背くらべをしています。
べつに子どもたちは、なにもわるくはありません。
目に見える範囲が、限られているというだけです。
本当の話、あなたが人生で何をするかは、そんなに重要なことじゃない。あなたが限られた時間をどう使おうと、宇宙はまったく、これっぽっちも気にしていないのだ。
「哲学は、なにもバカにしない」
哲学研究者である永井玲衣さんの言葉です。
これもまた、おなじです。
哲学の前に立ってしまえば、個人の差異なんてないにも等しくなるわけです。
だからこそ、哲学は魅力的です。
そしてだからこそ、哲学は危険でもあります。
ユニクロに行くと、グラデーションで少しずつ色の異なった靴下を売っているでしょう。あんなに色があったら、黒なら黒、紺なら紺というピンポイントの色だけではなく、中間色のものも買ってしまう。だからマーケットが成立するんです。リベラルアーツも同じでグラデーションが重要なんです。ピンポイントばかりを追求していたら、豊かにはなりません。
大きなものの前に立ち、差異が気にならなくなれば、なんだかすこし安心します。
煩わしい比較から、逃れることができるからです。
ところがわたしたちは同時に、差異を認識しなければ考えることができません。
目の前の文字を読めるのは、ほかの文字との差異がわかっているからです。
鳥の目、虫の目、魚の目。
結局は、グラデーションの中を自由に行き来できるやつが最強です。
毎朝6時に更新します。読みましょう。 https://t.co/rAu7K1rUO8
— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
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