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平等を望むなら大きなものの前に立てばよい


2023年9月27日(水)朝の6:00になりました。

遠くから見れば、大抵のものは綺麗に見える。

どうも、高倉大希です。




神の前では、みな平等である。

そう思われている理由は、神が大きすぎるからです。


大きなものの前に立てば、みなが平等になります。

個人なんてあまりにも小さくて、差異が判断できません。


差異が判断できないものは、平等にならざるをえません。

それを望むかどうかは、またべつの話です。


トカゲのグループにウサギを入れて「個性的ですね」とは表現しないが、ウサギの毛の色が多岐にわたれば「それぞれ個性がありますね」という。同じ生物種だからだ。だから違いよりも共通点の方が多いグループの中の差異を取り出し、それを個性と呼んでいる。

為末大(2023)「熟達論」新潮社


平等ではないと感じるということは、それだけ近くで見ているということです。

似たものどうしの差異が見えるくらいに、小さな範囲を捉えています。


子どもたちが不平等を訴えるときは、大抵がこのパターンです。

大したちがいがないにも関わらず、どんぐりの背くらべをしています。


べつに子どもたちは、なにもわるくはありません。

目に見える範囲が、限られているというだけです。


本当の話、あなたが人生で何をするかは、そんなに重要なことじゃない。あなたが限られた時間をどう使おうと、宇宙はまったく、これっぽっちも気にしていないのだ。

オリバー・バークマン(2022)「限りある時間の使い方」かんき出版


「哲学は、なにもバカにしない」

哲学研究者である永井玲衣さんの言葉です。


これもまた、おなじです。

哲学の前に立ってしまえば、個人の差異なんてないにも等しくなるわけです。


だからこそ、哲学は魅力的です。

そしてだからこそ、哲学は危険でもあります。


ユニクロに行くと、グラデーションで少しずつ色の異なった靴下を売っているでしょう。あんなに色があったら、黒なら黒、紺なら紺というピンポイントの色だけではなく、中間色のものも買ってしまう。だからマーケットが成立するんです。リベラルアーツも同じでグラデーションが重要なんです。ピンポイントばかりを追求していたら、豊かにはなりません。

松岡正剛『大事なことは何かと何かの「あいだ」にある』より


大きなものの前に立ち、差異が気にならなくなれば、なんだかすこし安心します。

煩わしい比較から、逃れることができるからです。


ところがわたしたちは同時に、差異を認識しなければ考えることができません。

目の前の文字を読めるのは、ほかの文字との差異がわかっているからです。


鳥の目、虫の目、魚の目。

結局は、グラデーションの中を自由に行き来できるやつが最強です。






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