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もっと大人だと思っていた


2024年9月1日(日)朝の6:00になりました。

毎朝6:00投稿をはじめて、20ヶ月が経過しました。

どうも、高倉大希です。




20歳は、立派な大人だ。

子どものころは、そんなふうに思っていました。


いま思い返してみれば、20歳なんて尻の青い若者です。

広い世界の片鱗に触れ、過信と戸惑いの間で揺れ動く年齢です。


この歳の人って、もっと大人だと思っていた。

歳を重ねるたびに、ズレを認識させられます。


やりたいことを本当に真剣に考える時期は......ぼくが観察をしていると、二十七歳ですね。それまではだいたいがダメなんです。

糸井重里、邱永漢(2011)「お金をちゃんと考えることから逃げまわっていたぼくらへ」PHP研究所


自分は変わっていないつもりだったけれど、まわりからは大人だと思われている。

このズレが、いろいろな問題の要因になっているような気がします。


自分にとっては当たり前のコミュニケーションが、パワハラになってしまったり。

自分にとっては当たり前の文章が、おじさん構文になってしまったり。


まわりからしてみれば、ちゃんと歳を重ねているように見えている。

そのような前提で、振る舞わなければならないのかもしれません。


大人であるということは、その人が自分自身のよりどころとする世界観をもっている、ということである。一人前の人間として、自分なりの見方によって、世界を観ることができる。あるいは、自分という存在を、この世のなかにうまく入れこんでいる、あるいは位置づけているといってもよい。

河合隼雄(2014)「大人になることのむずかしさ」岩波書店


この世には、歳を重ねることは恥ずかしいことだという妙な風潮が存在します。

そのせいで、自分は変わっていないのだと強く信じようとします。


冷静に考えると、変わっていないわけがありません。

仮に変わっていないのならば、この1年間は何だったんだという話です。


変わりゆくことは、前提です。

すなわち、胸を張って歳を重ねるしかありません。


何かをあらわしたいと思っている間はダメなんだ。「あらわれた」というのはいいけどさ。これは難しいですよね、難しいけどおもしろい。だからね、ぼくは、年齢的に長生きしないと損だと思う。

横尾忠則(2021)「YOKOO LIFE」ほぼ日


うまくいっていたとしても、うまくいっていなかったとしても。

きっと、いまの自分がいちばんおもしろい。


つぎに歳を重ねるころには、いまよりもずっとおもしろくなっている。

そのくらい、楽観的な心持ちでよいのだろうなと思います。


まわりからは、自分が想像している以上に大人だと思われいている。

わたしたちにできることは、変わりやすさを保つことくらいです。






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