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それは本当に優しさなのか
2024年4月7日(日)朝の6:00になりました。
優しさのない人とは、相手ができないことを求める人です。
どうも、高倉大希です。
「好きなように呼んでください」
自己紹介のときに、こう言う人がよくいます。
選択権を相手に与えるという、優しさのつもりなのかもしれません。
しかし言われた側に立って考えてみれば、なかなかに苦しいものがあります。
自己紹介をするような間柄の相手の呼び方を、考えなければならないわけです。
かなり、ハードルの高い難題です。
どうして僕らは時に、喜ばれないプレゼントを贈ってしまうのでしょうか?プレゼントは嬉しいもの、良いものというイメージがあると思いますが、僕らの日常を考えると、貰って嬉しいプレゼントよりも、貰って困ってしまうプレゼントのほうがもしかしたら多いと言えるかもしれません。
ごはんを決めるときも、同じです。
スケジュールを調整するときも、同じです。
場合によっては、独断でスパッと決めた方が相手にとってはありがたいこともたくさんあります。
必ずしも、相手に選ばせることが優しさだとは限りません。
それは、本当に優しさなのか。
この問いをぶつけることをやめてしまったら、簡単に手段だけが先行します。
ちゃんと考えて話すというのは、“相手の言っていることから、その奥に潜む想いを想像して話す”ということでもあります。そしてそれは、学校的知性ではなく社会的知性がもたらすものなのです。
丁寧さも、同じです。
ときどき、ただ丁寧なだけの人に出会います。
たしかに丁寧であることは、人と接する上で大切な要素です。
丁寧さが欠けていれば、信頼は得づらいものです。
だからといって、丁寧であればそれでよいというわけでもありません。
丁寧であることが目的化し、ただまわりくどくなるような場面もよくあります。
診療においては、「防御」の周波数合わせを行う患者は、すごくこちらの言っていることが伝わっているなぁみたいな、打てば響くような反応を感じることが多い。
呼び方も、ごはんも、スケジュールも、丁寧さも。
自分にとって都合がよいからそうしている、ということが案外たくさんあるわけです。
べつに、自分にとって都合がよい行動をとることがわるいわけではありません。
それを優しさだと思い込んでしまうことが、問題なのではないかという話です。
それは、本当に優しさなのか。
この問いをぶつけることをやめてしまったら、簡単に手段だけが先行します。
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— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
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