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静かな文章を目指す


2024年1月2日(火)朝の6:00になりました。

6:00に書く。ただそれだけのことです。

どうも、高倉大希です。




誰かの役に立とう。

誰かのためになろう。


そんな思いが、全面に溢れている文章が苦手です。

きっと、押し付けがましさを感じてしまうのだと思います。


当然、書き手には一切の悪気がありません。

よかれと思って書いている分、余計にややこしいのです。


「本校の生徒たちは落ち着いて話を聞くことができません」「うちの生徒たちは落ち着いて話を聞くことができません」「うちの生徒たちは好奇心があまりないので何の質問もできないと思います」などと、周囲の大人が先に線を引いてしまうのです。これこそが、教育の“Denial of the Opportunity(機会の拒絶)”の一つかもしれません。そして、この機会を奪っている大人が、必ずしも悪気があってそうしているとは限らないということが、根深い問題なのです。

安斎勇樹、塩瀬隆之(2020)「問いのデザイン 創造的対話のファシリテーション」学芸出版社


よかれと思って書いたかどうかなんて、知ったこっちゃありません。

よかれと思って書かれたことが、その文章を読む理由にはなりません。


どれだけ真剣に書いたとしても、真剣に読んでもらえるとは限りません。

どれだけメッセージを込めたとしても、そのまま届くとは限りません。


真剣に読んでもらえない、メッセージを受け取ってもらえない。

仮にそんなことがあったとしても、決して読み手を悪者にしてはなりません。


「誰か」や「何か」に頼りたくなる気持ちは、僕も同じ人間なんでわからなくもないです。でもその心の弱さに負けちゃいけないんです。 ただ、自分で考えるためにはやっぱり、考える枠組みが必要なんです。

瀧本哲史(2020)「2020年6月30日にまたここで会おう」星海社


わたしたちは、簡単に誰かのせいにしたくなってしまいます。

頑張れば頑張るほど、思いどおりになってほしいという願いが強くなるからです。


できる限りのことはやったはず。

思いどおりにならないのなら、それはもう相手が悪い。


こうして、考えることを放棄してしまいます。

頑張った分、自分を否定することができなくなってしまうのです。


読んだときの感触という点でいえば、いい文章とは「静かな文章」です。(中略)要は、いいものってスルスルと入ってくるのよ。主張しすぎず、つまりは「静か」なんです。文章も、そういうのはかっこいい。さりげないけど、心に響くんやな。

田中泰延、直塚大成(2023)『「書く力」の教室」SBクリエイティブ株式会社


そんなことを考えながら、自分の文章を読み返していました。

結論、まだまだうるさい文章だなと思います。


なんだか主張が強すぎて、やや説教臭さもあって。

一気に読むには、胃もたれしてしまいます。


2024年は、もっと静かな文章を目指そうと思います。

毎朝6:00に書いているので、必ず明日も読みましょう。






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