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経験からどれだけ発見できるか


2023年12月2日(土)朝の6:00になりました。

小川となり、海原へ流れ込み、君の暮らす対岸を目指す。

どうも、高倉大希です。




なにをしたのか。

経験に頼ると、その特異性で勝負するしかなくなります。


海外に留学した経験ある、とか。

大会で優勝した経験がある、とか。


レアな経験には、たしかに一定の価値があるのかもしれません。

しかし、上には上がいるというのがこの世の理というものです。


トカゲのグループにウサギを入れて「個性的ですね」とは表現しないが、ウサギの毛の色が多岐にわたれば「それぞれ個性がありますね」という。同じ生物種だからだ。だから違いよりも共通点の方が多いグループの中の差異を取り出し、それを個性と呼んでいる。

為末大(2023)「熟達論」新潮社


海外の大学で首席をとったことがある、とか。

全国大会で三連覇をしたことがある、とか。


特異性で勝負するということは、厳しい世界に足を踏み入れるということです。

だからこそのロマンがあることは、充分に理解することができます。


しかし、そんなロマンを打ち砕かれた人がたくさんいることもまた事実です。

絶望を連れてくるのは、いつだって希望です。


「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」これはベーコンが語った「個人の思い込み」ともつながる言葉ですが、自分だけの経験や自分だけのアイデア、自分だけの方法にこだわるのは、愚かなことです。歴史を学ぶのは、「過去になにがあったか」を知るためではありません。「これからどうするか」を考えるために歴史を学び、過去の変革者たちを学ぶのです。

瀧本哲史(2016)「ミライの授業」講談社


経験の特異性には、限界があります。

「なにをしたのか」で生み出せる価値なんて、たかが知れているのです。


ほんとうに磨くべきなのは「なにをしたのか」ではありません。

その経験を通して「なにを発見したのか」です。


おなじ経験をしたとしても、「なにを発見したのか」は人によってちがいます。

発見は、あなただけのものです。


作者すら気付いていない作中で生じた現象を掴んだり、「このように鑑賞する方法もある」と新たな角度から作品に光を当てなければ意味がないと考えている。

又吉直樹(2023)「月と散文」KADOKAWA


発見こそが、その人の深みになります。

ひとつの経験から得ている情報量が、人によってまったくもってちがうわけです。


特異な経験をしたのに、発見できない人もいます。

いつもどおりの日常なのに、発見できる人もいます。


「なにをしたのか」ではありません。

「なにを発見したのか」です。






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