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書いていなければ会うこともなかっただろう


2024年8月21日(水)朝の6:00になりました。

きみの癖を知りたいが、ひかれそうで悩むのだ。

どうも、高倉大希です。




書いていなければ、会うこともなかっただろう。

ときどき、そんな人との出会いがあります。


ここに住んでいなければ、会うこともなかっただろう。

この仕事をしていなければ、会うこともなかっただろう。


「何でもそういうもんでしょ」と言ってしまえば、それまでなのかもしれません。

ただやっぱり、文章を介した出会いはちょっとだけ特別です。


さて、インターネットのディスプレイ画面を見つめている人は、根本的なところで孤独です。乱暴な言い方だということは承知していますが、こんな姿が孤独でないわけはありません。

糸井重里(2014)「インターネット的」PHP研究所


毎朝6:00に、虚空に向かって文章を投稿しています。

なかなかに、孤独です。


どうやら、人がいるらしい。

リアクションをいただくことで、ギリギリその事実を把握します。


それでもやっぱり、確証はもてません。

この人たちは本当に、この世に実在しているのだろうか。


さっきは、頭の中に引きこもっちゃだめだって言ったけど、同じように、なんの変テツもない仲間内に引きこもっちゃ、だめだ。変なものに、変なひとに、出会う。そのときこそ、それを「変だ」と感じる自分自身とはじめて出会える。そこに、考えるという場が開かれる。

野矢茂樹(2004)「はじめて考えるときのように」PHP研究所


そんな人が、目の前に現れるわけです。

そりゃあ、うれしいに決まっています。


書いていなければ、ほぼ間違いなく会っていません。

その人のことなど知らないままに、生涯を終えていたはずです。


虚空に投げた文章が、そんな人のところへと連れて行ってくれるわけです。

もはや、そのために書いているんじゃないかとすら思います。


愛とは、相手の存在が、あなた自身を愛させてくれることだ。そして同時に、あなたの存在によって、相手が自らを愛せるようになることだ。

平野啓一郎(2012)「私とは何か」講談社


おそらくこの出会い方じゃなかったら、仲良くなってはいないだろう。

これもまた、おもしろいポイントです。


同じクラスの同級生だったとしても、仲良くなってはいないだろうと思うのです。

そういう意味でもやはり、文章を介した出会いはちょっとだけ特別です。


これからも、毎朝6:00にここにいます。

「またいつか」という言葉は、あまり信用していません。






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