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歴史を学ぶのはもはや必然


2024年6月9日(日)朝の6:00になりました。

歴史はいつだって午前中に学ぶべきよ、何かが起こる前にね。

どうも、高倉大希です。




動画内で説明されているのに、そのことについての質問がコメント欄に投稿されている。

YouTubeやTikTokでは、このようなことがよくあります。


内容をろくに見ないまま、反射的に疑問をぶつけているわけです。

まったく最近の若者はどうなっているんだと、頭を抱えたくもなります。


しかし大きな目で見れば、わたしたちも近しいことをしています。

歴史が説明してくれているはずなのに、何度も同じ壁にぶつかります。


歴史上にはたくさんの頭の切れる人や優れた人格の人がいて、あなたが今、直面しているような問題にはすでに答えを出していたり、少なくとも重大なヒントを残していたりするんです。

深井龍之介(2022)「歴史思考」ダイヤモンド社


学校の制服を、廃止したい。

たとえば、こう思ったとします。


そんなときに真っ先に考えるべきことは、なぜ制服が現存しているかです。

背景も知らずに訴えたところで、ひとりよがりな主張にしかなりません。


子どもの、わがままと同じです。

歴史を学ばなければ、考えはじめることすらできないのです。


知性は、個人がたった一人で問題の解決に取り組むという環境のなかで進化してきたのではない。集団的協業という背景の下で進化してきたのであり、私たちの思考は他者のそれと相互にかかわりながら、相互依存的に進化してきたのだ。

スティーブン・スローマン、フィリップ・ファーンバック(2021)「知ってるつもり」早川書房


現状とはすなわち、過去の問題を解決してきた結果です。

過去には過去の問題があり、どうにか解決しようとしてきた歴史があります。


その成れの果てが、いま目の前に広がっている世界です。

現状を変えるということは、過去に解決されてきた問題を鑑みるということです。


新しいアクションを起こすことで、過去の問題が再発しては元も子もありません。

過去の問題をケアしながら、現在の問題に向き合わなければならないのです。


自分だけの経験や自分だけのアイデア、自分だけの方法にこだわるのは、愚かなことです。歴史を学ぶのは、「過去になにがあったか」を知るためではありません。「これからどうするか」を考えるために歴史を学び、過去の変革者たちを学ぶのです。

瀧本哲史(2016)「ミライの授業」講談社


当時は問題だったけれど、今考えると問題でもなんでもない。

そんなことも、わりとよくある話です。


もちろん、逆も然りです。

当時はなんでもなかったことが、今なら問題になったりします。


それも含めて、やはり歴史を学ぶことは必然なのかもしれません。

愚者は経験に学び、賢者は歴史に学びます。






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