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自分の言葉で話せない大人たち


2024年7月15日(月)朝の6:00になりました。

真に自分の言葉を獲得するには、絶対的に他人を経由しなければならない。

どうも、高倉大希です。




それらしいことを、それらしく言う大人たち。

原稿に書かれたことを、ただ読み上げる大人たち。


自分の言葉で、話せるようになりなさい。

そう言う大人が、自分の言葉で話していないじゃないか。


子どものころに、大人を信用することができなかった理由のひとつです。

ほんとうのことを話してくれない大人が、ずっと気持ちわるかったのです。


どうして丸坊主にしなければいけないのか、どうして靴下の色は白しかダメなのか
、どうして学校の帰り道に買い食いをしてはいけないのか、まったく納得できませんでした。中学、高校と僕が理不尽な校則に対して抗議を続けた一番の理由は、「先生を信用したかった」からです。

工藤勇一、鴻上尚史(2022)「学校ってなんだ!日本の教育はなぜ息苦しいのか」講談社


子ども扱いされることに、苛立っていたのかもしれません。

聞き分けのよい子であることを求められているようで、嫌だったのだと思います。


ほんとうのことを隠した方が、楽に過ごせることもある。

自分が大人になってみて、理解したことのひとつです。


自分の言葉よりも役割演技を求められる場面が、案外たくさんあるわけです。

大人たちが自分の言葉で話さなかった意味が、少しだけわかるようになりました。


自分で想いを抑え込んで社会に合わせないといけないような、こんな心の狭い社会をつくったのは、他でもない僕も含めた大人たちです。変わるべきは私たち大人であって、子どもたちではないと思います。

孫泰蔵(2023)「冒険の書 AI時代のアンラーニング」日経BP


それでもやっぱり憧れるのは、ほんとうのことを話してくれる大人です。

ちゃんと空気を読みつつも、決して嘘はつきません。


相手が子どもだったとしても、変わることはありません。

ひとりの人間として、相対してくれる大人です。


話の内容が有意義かどうかなんて、大した問題ではありません。

ほんとうのことを話してくれているかどうかが、とても重要なことなのです。


大人であるということは、その人が自分自身のよりどころとする世界観をもっている、ということである。一人前の人間として、自分なりの見方によって、世界を観ることができる。あるいは、自分という存在を、この世のなかにうまく入れこんでいる、あるいは位置づけているといってもよい。

河合隼雄(2014)「大人になることのむずかしさ」岩波書店


それらしことを言っていれば、たしかに楽です。

原稿に書かれたこと読んでいれば、たしかに楽です。


自分の言葉で、話さずに済みます。

自分の度量を、推し量られずに済みます。


まあべつに、ほんとうの言葉じゃないし。

そんなことで誰かの時間を奪うような、大人にはなりたくないものです。






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