名言で勝手にエッセイ 【10】
※ 2024年7月15日、改行その他、少々加除訂正してみました。
本日の名言
今回は、オバマ元大統領も座右の書にしている『自己信頼』を記した、
ラルフ・ウォルド・エマーソンの名言に依拠してみます。
試訳
※ 中高生から馴染み深い「not but 構文」ってやつですね。ただ、典型例と違って、not が二回繰り返されているので良い練習台になります。
多方面で影響している
なんと日本で愛される宮沢賢治や喜劇王チャップリンも
彼の思想に影響されていたそうで。
元来がプロテスタントの牧師であったのに、
哲学的素養のせいか、教義に疑義を感じてしまって辞職したんだそうです。
日本の単語で言えば破戒僧みたいなもんですかね…。
いや、でも戒めを弱さで破ってしまって破門されるという
受動的なものじゃないから、不該当か。
彼は考究した果てに、教義に納得できなくなって主体的に辞職したので…。
アメリカ個人主義の原型を創ったと評される人が、
アンチプロテスタントで、かつ超越主義者だったというのは、
興味深いです。
というのも戦後、アメリカ最高裁判例が蓄積されて、
日本の最高裁もそれを模倣してきたわけです。
押しつけ憲法論の是非は横に措いても、日本の司法は、
アメリカの個人主義とその法理に強力に影響され続けて
ここまで来たんですよね…。
実務家も、その判例を参照しながら従うわけですし。
一応、日本は法治国家ですから(一部政治界隈の報道で乱れが報じられますが)、法的紛争の最後には裁判所が出てくるわけですが、そこで常に参照されるものの基底にエマーソンの思想が(一部で)根付いているともいえるわけです。
ハイここエマーソンね、とか切り分けるのは難しそうですが…。
その偉人の思想は、性善説だったと。
猜疑心でできている性悪説ではなかったわけですね。
ただ、昨今は改憲論議も盛んで、
明治憲法方向へと先祖返りしたい人も一部におられるようで。
なるほど個人主義教育において人間を信じた。
ともかくも信じた。
そのことが、営業の自由濫用のビッグモーターみたいな企業・集団(単なる例示です、私怨はございません)を見逃してしまったのだとすれば、「ギスギスしていても最初から疑う人間関係のほうが秩序のために良い」のでしょうか。
そして相互監視の全体主義へカムバック。
現状、個人を(歪んだ形で)最優先すると、
例えばソーシャルメディアで
対話や議論をする鷹揚さを発揮するよりも先に、
気に入らない奴はことごとくシャットアウト、
という幼児退行現象が年齢不問で発生したりします(大臣経験者にまでも?)。
これも、「個人主義放任の欠陥だ」とかこつけて、いずれ制約したい側には都合の良い理屈です(しかし、自分たちは棚上げするのが日本の政治)。
でも、個人主義自体の欠陥ではないのでは?
議論すれば折り合いはつけられそうですけど。
いや、日本の政治家って議論しないで居眠りしているんでしたっけ…。
そういえばX、イーロン・マスク体制になってからはブロック廃止でした?まだ議論中か。
廃止論は、議論したくない人の自由を剥奪していていかがなものか…。
端的に言えば、言論の自由には、沈黙する自由も包含されていると思うんですよね…。
それを奪ったら、自由の擁護者どころか、剥奪者になってしまうのでは?
影響多岐にわたりまとめようがないが、場面を絞って締めくくってみる
というのが、冒頭の英文の叡智を、ソーシャルメディア時代に援用するときの超訳でしょうか。超盛りすぎてすいません。
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