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ぼくが聖書を好きな理由

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キリスト教の礼拝でするお話の原稿はこちらにまとめています。そんなに「新しい」とは自負していませんが、「正統派」に疲れた方々に届けたい聖書のまた一味違った魅力を書いています。
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#聖書

逃げ切ろう

逃げ切ろう

ヤコブはいよいよ、自分が父からの祝福を奪った兄と再会します。この箇所では「順序」にこだわる

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落ちこぼされたもの〜コリント二5章16-21節から

落ちこぼされたもの〜コリント二5章16-21節から

 二つのことについて記したいと思います。一つは、「新しく創造される」(17)こと。もう一つが「和解のために奉仕する任務」(18)についてです。
 新しく創造されると聞くとワクワクしますか?では

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緊張の所属(その1)〜ヨハネによる福音書18章28〜38節から〜

緊張の所属(その1)〜ヨハネによる福音書18章28〜38節から〜

 「汚れないで過越の食事をするため」という一言が飛び抜けて響きます。イエスを逮捕した人々は、イエスを大祭司のところからローマの総督官ピラトの元へと連行しました。

聖書の箇所はヨハネによる福音書18章28ー38節です。

人々が誰なのかはヨハネ18章の12節に詳しく書かれています。「兵士と千人隊長、ユダヤ人の下役たち」とあります。何とも複雑な人間関係が

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はっきりと言えない時がもうすぐ来るが〜ヨハネ9章②

はっきりと言えない時がもうすぐ来るが〜ヨハネ9章②

さて、前回はヨハネ9章を読むその前段階として、ファリサイ派のことについて述べました。今度は、このシーンでのイエスと弟子たちの様子から考えてみます。弟子たちは目が見えない人が見えないことを罪のせいだというのです。それは

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浮ついた明るさとは裏腹な新年〜虐殺、そして貧困の2024年を迎えるにあたり〜(2)

浮ついた明るさとは裏腹な新年〜虐殺、そして貧困の2024年を迎えるにあたり〜(2)

マタイによる福音書にある王による嬰児の虐殺の物語はまるで出エジプト記という書物にあるモーセ誕生の物語のようです。モーセが生まれた時、誰が鞭を受けていたでしょうか。エジプト王は奴隷の人口が増え、力が増すのを恐れました。そして生まれた男児を殺害すると命令します。その時、シフラとプアという助産師は命令には従わず、市民不服従運動、CDMしたのです。CDMへの参加は自分自身が迫害されることを意味します。CD

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クリスマスに読みたい聖書の話⑧〜イザヤ書9章1−6節(2)

クリスマスに読みたい聖書の話⑧〜イザヤ書9章1−6節(2)

前回に引き続き、イザヤ書9章1−6節からの分かち合いです。

「深い喜び」「大きな楽しみ」(2)、預言者イザヤが語る言葉とは真逆のリアルに直面しているのは2700年ほど前のユダ地域の支配者アハズ王だけではないでしょう。聖書は歴史的な書物です、というのはその通りと思います。だからこそ聖書は今の私たちのあらゆる営為に関係しているという点が落とされてしまうことが多いとも思います。
歴史とは何かについては

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クリスマスに向けて読みたい聖書の話①〜人の弱みにつけ込む王の話:イザヤ書7章(1)

クリスマスに向けて読みたい聖書の話①〜人の弱みにつけ込む王の話:イザヤ書7章(1)

アドベント第一週目。聖書日課にそって礼拝式順を組み立てているので聖書箇所も指定箇所。10月からイザヤ書を読み始め、66章ある大規模な書巻のあちらこちらへと振られ、アドベントの最初の日曜日がこの箇所です。おそらくマタイによる福音書1章のイエス誕生に関する記事でイザヤ書のこの箇所が引用されているためかな〜?

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聖書は恐怖のテクストでもある②

聖書は恐怖のテクストでもある②

では、前回の続き、「恐怖のテクスト」に関してかつて書いたものの後半です。ちょっと心配事はそうそう、この2016年3月にしつこくつきまとわれた経験があるのですが、またその関係団体からの仕事のオファーがあって私はいいけど、7年経ったからヨベルで呼べると思っているのかな。

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コヘレトの言葉⑥ 悩み深い「王」

コヘレトの言葉⑥ 悩み深い「王」

「わからない」「難しい」という言葉に速やかに反応してしまう自分を憂う。わかられたい願望が強い。
 コヘレトの言葉を取り上げて話すと、聖書の言葉そのものがあまりにも「名言」めいているので、入り口は広い。ちょっといい感じなのだ。
ところがその実は、真面目な信徒には到底受け入れ難いだろう。

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ひだまり礼拝に参加して

ひだまり礼拝に参加して

普段は有料記事を書いているのですが、今回は公開記事です。

7月23日(日)礼拝後にぱくぱくっとお昼を食べて吉祥寺へ。すごい人!!何より駅前ではミャンマーからきた方々が支援を呼びかけている募金活動をしています。素通りもちろんできなかったです。挨拶をして、東美教会へゴーゴー。やっぱりギリギリ。
第2回ひだまり礼拝でお話をしました。おじまどい気味な私でしたが集まられた方がとっても親切で温かかったです。

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失われた面白い物語〜創世記3章より

失われた面白い物語〜創世記3章より

面白い物語の中に飛び込んでみましょう。
創世記3章が「堕罪物語」などとレッテルを貼られて早何年になるでしょうか?全くもってモッタイナイ。神に背いた話にしてしまったのは多分男たちだったな、と思うのです。だって女がやったんだと言い続けて主犯を免れていくのです。謙虚な人でも女がやったけど自分もそうだと、共犯を連れ込んでの自戒。ひどくなるとだから女はキリスト教の教師にはなれないとまでいくのですから。この物

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地下から湧き出る憂いの水

地下から湧き出る憂いの水

他者を愛するふりをして、自己愛にまみれて生きているのではないか。自分だけが守られるためのルールを他者に押し付けて生きているのではないか。美しいとみなしたものだけを独占しそれ以外を冷遇する不義で造られたように生きているのではないか。

私たちは一体何で造られたように生きているだろうか。

こんな問いが物語から聞こえてきませんか?聖書の箇所は創世記2章4節後半から17節です。
私たちとはこの物語を語り

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どろんこはどっちだ

どろんこはどっちだ

人の創造についての後半の記述は不穏な響きが広がります。
そもそも、このように聖書の冒頭を物語として読むことに抵抗がある方にはこの先をお勧めできないです。残念。でも、この物語はとっても面白いのですが。

ひとりの世界

アダムは「食べると必ず死んでしまう」その実がなる木を中心に

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土に

土に

荒涼とした大地が描かれます。野の木も、野の草も生えていない場所がどこまでも続くのみ。そこには未来を見つけることができません。いのちのうごめきがありません。芽が土を蹴破って出てくる音、木の実をついばむ鳥たちのさえずりは聞こえません。その荒涼とした地には雨と耕す人がいないのです。

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