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ぼくが聖書を好きな理由

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キリスト教の礼拝でするお話の原稿はこちらにまとめています。そんなに「新しい」とは自負していませんが、「正統派」に疲れた方々に届けたい聖書のまた一味違った魅力を書いています。
大体月に4本です。 一本200円の記事をマガジン登録で500円でお読みいただける設定にしています。…
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記事一覧

逃げ切ろう

逃げ切ろう

ヤコブはいよいよ、自分が父からの祝福を奪った兄と再会します。この箇所では「順序」にこだわる

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平和への歩み

平和への歩み

ヤコブが兄と父を欺き、権利を取得したかのようでした。しかし、「そこまでして」獲得したはずの特権がヤコブの人生を豊かにすることはありませんでした。そもそも、何かの権利を取得するのに、そんなことまでしなければならない、そこにこそ問題があるんじゃない?とは思わなかったのでしょうか。日本に住む人々の中で

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弱さからしか見えない景色

弱さからしか見えない景色

天幕の周りで過ごしていた弟ヤコブ、狩りが得意な兄エサウ、そして父イサク。今朝の聖書のお話には、三人の男、父、兄、弟役が登場します。
三人とも、どことなく

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ビルに光があたるとき

ビルに光があたるとき

明日はメッセージ奉仕がありません〜!ですが、「巻頭言」は書きました。こっちの方が、書くのが本当は難しいのです。限られたスペースで。こうなると、話すも下手、書くも下手、でどうしょうもないのですが、だからこの働きをやっているのかな、と考えるのでもあります。
だって、あんまりにも「それらしい」礼拝メッセージって寒気がするもの(ネットサーフィン(死語)でかなりの「それらしい」メッセージを聞き続けているわた

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落ちこぼされたもの〜コリント二5章16-21節から

落ちこぼされたもの〜コリント二5章16-21節から

 二つのことについて記したいと思います。一つは、「新しく創造される」(17)こと。もう一つが「和解のために奉仕する任務」(18)についてです。
 新しく創造されると聞くとワクワクしますか?では

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この先も共に行こう〜キリスト教の特徴を考え中〜

この先も共に行こう〜キリスト教の特徴を考え中〜

コリントの手紙二は、かつて、教会で起こっている問題に提案や助言をしたパウロが、その後にさらにフォローアップしようと書き送ったものと紹介されることが多いです。なんとなくフォローアップという考え方自体が、私にはガッツのある指導者像を思い起こさせるものですが。今回は、その冒頭部分からのお話です。

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抵抗の道を歩く人々へ〜コリントの信徒への手紙一12章31節後半―13章13節 

抵抗の道を歩く人々へ〜コリントの信徒への手紙一12章31節後半―13章13節 

ペンテコステはイエスの復活、そして昇天後に、かつての習慣に則ってイエスを信じる人々が「一つになって集まっていた」(使徒2:1)ところ、一人一人の上に霊がとどまり、「ほかの国々の言葉で話し出した」出来事が教会で祝われてきたものです。
 使ったことも聞いたこともない言葉に晒される不安、戸惑いは計り知れないでしょう。理解するのになんの苦労もない相手、いつも同意してくれる人の間にとどまり続けていれば安心安

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自分で自分のパンを食べても意味がない

自分で自分のパンを食べても意味がない

 キリスト教会って何をするところ?という質問にはいろんな答えが返ってきそうです。神を礼拝するところ、神を賛美する、祈る、聖書を読む、人と会う、話を聞く、話をする、ささげものをするというのが考えられるでしょうか。教会では、聖書の勉強をする人もいますし、歌を練習する人もいます。あるいは誰かと話すことを楽しみにする人もいますし、逆に誰からも話しかけられないで一人でひっそりとしたいと願っている人もいます。

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キリスト教会はイエスの宣教を真に受け継ごうとしているのか〜イザヤ書2章4節を巡って〜後半

キリスト教会はイエスの宣教を真に受け継ごうとしているのか〜イザヤ書2章4節を巡って〜後半

さて、前半で述べたイザヤの時代のことばは数百年のちにどのように受け継がれていったのかを考えていきたいと思うのです。それはやっぱり絵に描いた餅だったのでしょうか。
 また最後の部分は教会ではお話ししていない加筆部分です。

平和の預言はイエスによっても受け継がれました。「しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」(マタイ5:39

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返却することよりも次へ渡すことへ〜コリントの信徒への手紙一3章1−9節〜

返却することよりも次へ渡すことへ〜コリントの信徒への手紙一3章1−9節〜

コリントにはローマの解放奴隷たちが多く移住していたようです。コリンとは、南ギリシャ州の大都市でローマの繁栄を象徴するような都市とも言われています。ローマの市民権を持つ人びと、ユダヤの民、ギリシャ人が共生するところでした。その共生の様子は残された史料から想像するほかありません。少なくともキリスト教共同体では、ユダヤの人々とギリシャ人との間には超えられない壁があったことがわかっています。パウロは、その

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誰々つながりがなくても〜コリントの信徒への手紙一1章から

誰々つながりがなくても〜コリントの信徒への手紙一1章から

 宗教団体が決して「怪しい」ものではないことを証明するにはどうすればいいでしょうか。「何ら害がない」ということを伝えるには、すでにこの世で承認されているものと同じであるという他ないのかもしれません。
 キリスト教会が発行する「自己紹介」で、この教会は〇〇学校と同じ団体に属しています、というのを見て、ああ、こう書けばすでに実績のある団体の関係団体だから大丈夫と思われるということか、と思いました。親し

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緊張の所属(その2)〜ヨハネによる福音書18章28〜38節から〜

緊張の所属(その2)〜ヨハネによる福音書18章28〜38節から〜

前回の続きです。
「汚れないで過越の食事をするため」この言葉から読み取れる諸々を考えてきました。

つまりピラトの家になど入ったら自分たちは汚れてしまうということが暗に言われているのです。でもそれが

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緊張の所属(その1)〜ヨハネによる福音書18章28〜38節から〜

緊張の所属(その1)〜ヨハネによる福音書18章28〜38節から〜

 「汚れないで過越の食事をするため」という一言が飛び抜けて響きます。イエスを逮捕した人々は、イエスを大祭司のところからローマの総督官ピラトの元へと連行しました。

聖書の箇所はヨハネによる福音書18章28ー38節です。

人々が誰なのかはヨハネ18章の12節に詳しく書かれています。「兵士と千人隊長、ユダヤ人の下役たち」とあります。何とも複雑な人間関係が

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