僕を含む多くの人間は世界の有り様は物理学、厳密にはその根幹を担う数学や論理学といった言語で記述できると信じている。 例えば現代物理学の基礎の一角を担う量子力学は「系の状態は対応するヒルベルト空間内の状態ベクトルで表され、状態ベクトルの時間変化はシュレディンガー方程式の解として記述される」という主張をする。 実際のところあまり複雑な系のシュレディンガー方程式は解けないので、僕たちがこの主張から抜き取れる情報はほんの少ししかないが(なので化学のようなマクロな自然科学も大変重要
日本への帰国が迫ってきた。正直僕は日本よりもイタリアの方が合っているんじゃないかとすら感じるほどに、イタリアでの生活は楽しかった。 そんなわけで絶賛逆ホームシックに陥っていた僕を見兼ねた友人がこの前「google earthで東京散歩しようぜ!」という提案をしてきた。 なんだか楽しそうだったので僕はその提案にとりあえず乗ってみた。 7年間通った大学、休日に読書してた公園のベンチ、可愛い店員さんがいた神保町の古本屋、etc 一年ぶりにみた画面越しの東京は僕が知っているもの
何度か興味深い体験をしたのでそのときのことを記録する. ただ, 「そのとき」はいろいろな意味でいつもと違う感覚に陥るので, うまく描写できる自信はない. 平衡感覚の喪失によって「そのとき」が始まったことを感じる. 立てなくなるほどではないが, 遊園地のコーヒーカップに乗った後みたいに足元がふらつく. いわゆる「目が回っている」状態にかなり近いが, 目が回っているとき特有の不快感みたいなものは全くない. 足が自分の体重を感じなくなり, ふわふわして心地よい. 喉が異常に乾い
現在所属している研究室の卒業生が年末年始でイタリアに帰省しきており、議論する機会があった。 彼女は最優秀博士論文賞を受賞したのちにcaltechでポスドクをやっているらしい。僕とそんなに年齢は変わらないのだが、すでに引用数3桁の論文をいくつか持っている。 正直に言って雲の上の存在だ。そんな彼女とコーヒーを飲んでいたとき、彼女と僕の共通の共同研究者である同僚の1人が「彼女は朝の4時に起きて夜の10時まで研究している。彼女は機械だ」とジョークを言っていた。 彼女はそれを聞い
ヨーロッパに住んでると、クリスマスなどの帰省シーズンに友達が実家に帰ってしまい1人になることが多い。 そういう時期には別に研究したり論文を書いたりして過ごしても良いのだが(むしろ研究者としてはそうするべきかも知れない)、僕は都合の良い人間なので「せっかくヨーロッパにいるんだし旅行しないと損だ!」という言い訳のもとよく一人旅に出る。 今までイタリアを中心に色んな都市を観光してきたが、この記事では最近に行ったウィーンを例に最大限一人旅を楽しむ僕なりの方法を紹介したいと思う。
この前、「優秀であること以外の価値を自分に見出せない」という趣旨の記事を書いた。 僕は普段は能天気に暮らしているが、何もしていないときにふと自分を見返してネガティブになることがある。 上記の記事もそんなときに書いたものなのだが、このようなことを友人の一人に話したところ、 「その発想自体は優秀どころかクソカスだ。優秀なのはただの長所であり、生きる意味でも私がお前(僕)を好きな理由でもない。価値っていうのは自分で規定するものじゃなくて、他人が勝手に決めるものなんだよ」 み
最近、「優秀じゃない自分に価値を見出せない人」に関する話を某奢られ系ブロガーの記事で読んだ。 優秀じゃない自分に価値を見出せない、という意見はネットでよく見るがその度に共感する。 断っておくが、僕は自分のことを優秀だとは思っていない。アカデミアという世界で生きていれば、僕なんかよりも頭のいい人がごまんといることくらいはすぐにわかる。 正確に言えば、僕は「優秀になろうとしない自分」に価値を見出せないのだ。 不思議なのが、そういう価値観を持っている人のバックグラウンドを聞
博士後期課程の修了が近づいてきた。博士号の要件はだいぶ前に達成してるし、多分僕はこのまま卒業して物理学の研究を続けるんだと思う。理由は物理学が好きだから。これ以外にない。 僕はなぜ物理学が好きなんだろうか。物理学の研究は確かに楽しい。今まで誰も解けなかった問題を解いたとき、何か新しい発見をしたとき、「今この真理を知ってるのは世界中で僕だけなのか…」という感慨に包まれてドーパミンがドバドバ出る。多分これが一番の理由だ。僕は知的快楽の奴隷なのだ。 これ以外だと、多分、物理学者
僕はそこまで友人が多い方ではないが, 友人が多い友人を何人か持っている. 彼らにとって僕は「たくさんいる友達」の中の一人にすぎないだろうが, 彼らから聞く「たくさんいる友達」の話は, 友達の少ない僕にとってはとても興味深い. この前, 僕のそんな数少ない友人の一人と話をしていたとき, 「親からの愛情が不十分のまま大人になった人」の話を聞いた. その人は, 親からあまり関心を持たれていないとずっと感じており, その穴を埋めるようにいわゆる「メンヘラ」の女性と付き合っては失敗
大学2年から6年付き合った彼女と別れた. 理由は単純で, 人生に対する価値観が合わなかったからだ. 思えば付き合う前から彼女と僕の考え方, 価値観が違うことはわかっていた. ただの彼氏彼女としての関係であれば, このことは全くデメリットではなかった. むしろお互いの違いを楽しんでいた. 本当に楽しい6年間だった. だが残酷ながら, 結婚となると話が違ってくる. 僕は物理学者で, 海外に住んでいる. 一方彼女は会社員で, 日本で働いている. 今年彼女が僕の住む国に来てく
僕たちは日々ストレスに晒されながら生きている。それゆえ、何かしらストレスの発散方法を持っている。その方法は人それぞれだが、代表的なものをいくつか挙げるとすれば飲酒、運動、カラオケとかだろうか。 僕はストレスを感じた時によく映画を見る。映画を見ているときは全神経が映画に集中するので、自然と悩み事が頭の中から消えて楽になる。 最近のお気に入りは「スカーフェイス」という映画だ。アル・パチーノ演じるキューバ移民のトニー・モンタナが、アメリカの暗黒街で成り上がり、破滅するというスト
勤勉主義、と言う言葉がある。大まかに言うと、その人が恵まれない立場にいるのは、その人の努力が足りないからだ、と言う主張である。 親ガチャなんて言葉が流行る昨今では、このような自己責任論的に聞こえる主張は非難を受けがちだ。 確かに、人は生まれながらに平等では無い。子供の頃はあまりわからなかったが、大学に入って以降は特にそれを感じる。親に学費を払ってもらえる人もいれば、生活費や学費をバイトで賄っている人もいる。それどころか、大学に行ける時点でかなり恵まれた方で、中には家庭の都
先月26歳になった。家族や友人達がお祝いしてくれてとても嬉しかった。 一通り友達とはしゃいだ後、自室に戻るとふと僕の父親は24歳で僕の父親になったことを思い出した。 僕は26歳になっても結婚すらしていない。子供、考えられない。 僕には付き合って6年になる彼女がいる。順当に行けば僕はこの人と結婚するんだろう。 今の僕の彼女は我ながら良い女性だと思う。僕のことを好いてくれるし、僕の生き方を理解し、応援してくれる。顔もタイプだ。 だが、今現在、彼女と結婚したいのか問われた
古代ローマの名言の一つに vivere est militare(生きるとは戦うことである) というものがある。地中海の覇者たるローマ人らしい名言だが、現代に生きる我々にも響く力強さがある。 現代社会に生きる我々は何と戦っているのだろうか。上司、同僚、sns上でクソリプ飛ばしてくる人、答えは人それぞれ違うだろう。 僕は理論物理学者なので仕事仲間こそいれど、彼らはいわゆる上司や同僚とは少し違う。snsでクソリプ飛ばしてくる人も幸いに居ない。 僕が何と戦っているのか、月
論文執筆に集中している期間は研究しているときよりも脳味噌を使わないせいか、夜眠れなくなる日が多くなる。一人暮らしをしていた時は寝落ちするまで原稿に向き合っていたが、今は隣の部屋で寝ている友人を僕のタイプ音で起こすのが忍びないためなんとなくスマホを弄っている。 眠れない日はどうでも良いことを考えがちだ。そんなどうでもいいことを文字に書き起こしてみる。 文章を書くのは好きだ。考えていることを文字に起こすと、それが他人にものに見えてきて気が楽になる。 だが何を書こうかといざ考