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勤勉主義

勤勉主義、と言う言葉がある。大まかに言うと、その人が恵まれない立場にいるのは、その人の努力が足りないからだ、と言う主張である。

親ガチャなんて言葉が流行る昨今では、このような自己責任論的に聞こえる主張は非難を受けがちだ。

確かに、人は生まれながらに平等では無い。子供の頃はあまりわからなかったが、大学に入って以降は特にそれを感じる。親に学費を払ってもらえる人もいれば、生活費や学費をバイトで賄っている人もいる。それどころか、大学に行ける時点でかなり恵まれた方で、中には家庭の都合で進学を断念した人たちもいるだろう。

この点、僕は恵まれた方だ。修士課程までは親に学費を払ってもらっていたし、学部までは生活費すら貰っていた。

僕は恵まれている。が、もちろん上には上がいる。アカデミアと言う世界で生きていると、だんだんとそれを実感してくる。

学者になるからには、もちろん頭が良く無いといけない。僕の周りの人間は、進学校から有名大学に行き、そして学者として活躍している。

彼らと比べると、僕の経歴は正直パッとしない。地方の自称進学校から中堅私立大学、大学院も同じところ。

僕は最近まで、僕の経歴が(学者としては)パッとしないのは、僕が努力を怠ってきたせいだと考えてきた。多分これは正しい。だが、周りの人たちの話を聞くと、親も学者だの、両親は医者だの、経営者だの、どう考えても僕の努力だけではどうしようもない差というものも見えてしまう。

だから何だと言うのだ。僕の両親は僕を愛情を持って育ててくれて、僕の経歴だからこそ出会えた人たちもいる。アカデミアという文化貴族だらけの世界で、僕は僕が出会った人たちのサポートと、僕の努力で生きている。

自分が周りと比べて恵まれていないと知ってがっかりしても、そこにしかなりたい自分が無いのなら、努力するしかないじゃないか。

僕にとっての勤勉主義は、弱者が這い上がるための、弱者のための理論である。そうじゃないと、あまりにも救いがない。

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