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理想と現実の狭間で。

博士後期課程の修了が近づいてきた。博士号の要件はだいぶ前に達成してるし、多分僕はこのまま卒業して物理学の研究を続けるんだと思う。理由は物理学が好きだから。これ以外にない。

僕はなぜ物理学が好きなんだろうか。物理学の研究は確かに楽しい。今まで誰も解けなかった問題を解いたとき、何か新しい発見をしたとき、「今この真理を知ってるのは世界中で僕だけなのか…」という感慨に包まれてドーパミンがドバドバ出る。多分これが一番の理由だ。僕は知的快楽の奴隷なのだ。

これ以外だと、多分、物理学者という立場が好き、というのも僕が物理学が好きな理由になるのだろう。

博士後期課程に進学して以降、幸運ながら僕は研究者として給料をもらっている。普通の生活を送るには十分な額だ。僕は研究で飯を食っている人間は学者だと思っているので、もしこの定義が正しければ、僕は物理学者なんだろう。

振り返ると、自分の中で物理学者という立場を手にしてから数ヶ月は、肩の荷が降りて研究がもっと楽しくなった。

今でももちろん研究は楽しい、が、それと同時にもっと論文を書きたい、もっとすごい研究がしたい、もっとすごい物理学者になりたい、そんなことまで頭に浮かんでくるようになった。

僕は小さい頃から何者かになりたかった。幼稚園生の頃の将来の夢は宇宙飛行士だった。虫歯があると宇宙飛行士になれないと親に言われ、歯をたくさん磨いた。おかげで今も虫歯は一本もない。

でも、小学生になって、それが大それた夢であることをなんとなく知った。僕は特別勉強ができるわけでも、卓越したリーダーシップやコミュニケーション能力があるわけでもなかった。

次の夢は野球選手だった。幼馴染が野球を始めて、なんとなく僕も野球部に入り、野球が楽しいと思ったからだ。

この夢は宇宙飛行士よりもすぐに終わった。毎日手が血だらけになるまで素振りをしたところで打率は上がらないし、指導者や先輩に怒鳴られ続けてイップスになった。残念ながら、僕は勉強以上に運動が苦手だったのだ。

結局高校3年まで野球は続けたけど、最後の1年間は本当に腐っていた。何もかもがどうでも良くなった。明るい自分を演じるのが辛くなり、当時付き合ってた彼女と別れた。

それから、特に打ち込むことが見つからなかった僕は受験勉強に集中した。今までたいして勉強してなかったので、成績は芳しくなかった。

何にもうまくいかなくて無気力だったが、受験期にぼーっとしてるわけにもいかないので、比較的得意な物理と数学だけを勉強してた。

物理と数学だけを勉強してたのは、当時はただの現実逃避だと思っていた。でも、今振り返るとこれは正確じゃないような気もする。現実逃避なんかよりももっと卑しい動機に駆られていたんだと思う。

多分当時の僕は、自分が俗物であることを薄々自覚しつつも、それを認めたくなくて、自分の得意なフィールドに閉じこもって自尊心を保とうとしていたんだろう。つまり、「僕は物理と数学ができるから他のことはダメでも大丈夫!」と自分に言い聞かせていたんだと思う。ダサすぎる。

だがこれが功を奏した。元々小さい頃から宇宙が好きだったこともあり、僕は勉強しているうちにどんどん物理にハマった。大学でもその気持ちは変わらず、むしろますますのめり込んでいった。

周りの人たちが就活を考え始める学部2〜3年の頃に、俗物の僕が何者かになれるのだとしたら物理学しかない、そしてこれが最後のチャンスだ、と思った。

結局、僕がなぜ「何者かになりたい」という願望に駆られるのかは今でもはっきりとはわからない。これがいいことなのか悪いことなのかすらもわからない。

なりたい自分と現実のギャップを直視するのはなかなかに苦しい。苦しいから踠く。踠いたところで大抵は挫折する。運良くなりたかった自分になれても、今度はさらに欲張ってしまう。

この欲望と努力のチキンレースはどこまで続くのだろうか。正直辟易するが、いつか終わることを願いつつ、もう少し頑張ってみる。

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