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薄っぺらい。

論文執筆に集中している期間は研究しているときよりも脳味噌を使わないせいか、夜眠れなくなる日が多くなる。一人暮らしをしていた時は寝落ちするまで原稿に向き合っていたが、今は隣の部屋で寝ている友人を僕のタイプ音で起こすのが忍びないためなんとなくスマホを弄っている。

眠れない日はどうでも良いことを考えがちだ。そんなどうでもいいことを文字に書き起こしてみる。

文章を書くのは好きだ。考えていることを文字に起こすと、それが他人にものに見えてきて気が楽になる。

だが何を書こうかといざ考えてみると、物理学のこと、最近読んだ本のこと、周りの人との会話、程度のものしかいつも見つからない。

僕は薄っぺらい人間なのだ。作家は自分の経験したことしか書けない、という言葉をどこかで聞いたことがある。僕には薄っぺらい経験しかなく、それゆえに薄っぺらいことしか書けないのだ。

ドストエフスキーやヘッセの作品を読むと心が動かされる。その余韻が終わると、いつも漠然とした虚無感がやってくる。この人たちには世界がどんな風に見えていたのか。どうやってこの凄まじい感受性を獲得したのか。羨ましい。

彼らの文章を読めば、感受性が強く、思慮深い人たちはそれゆえの悩みも抱えていることくらいはわかる。それでも僕は彼らが羨ましいのだ。僕は風に靡く草花を見ても、荘厳なキリスト教建築を見ても、すげーとかきれーとしか感じない。嫌気がさす。

僕は彼らのようになりたくて、彼ら作品を沢山読んできた。彼らの作品はいつも情緒に富み、劇的で感動的だ。だが、いつも最後に残るのは「所詮は他人が書いたもの」という虚無感。

よく「この作品を読んで価値観変わりました!」みたいなレビューを見かけるが、俄には信じ難い。皮肉ではない。嫉妬だ。

なんでこんな人間になってしまったのだろう。僕は何者になりたいのだろう。

物理学は美しい。だが、それでいいのだろうか。わからない。


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