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Raison d'être 2

この前、「優秀であること以外の価値を自分に見出せない」という趣旨の記事を書いた。

僕は普段は能天気に暮らしているが、何もしていないときにふと自分を見返してネガティブになることがある。

上記の記事もそんなときに書いたものなのだが、このようなことを友人の一人に話したところ、

「その発想自体は優秀どころかクソカスだ。優秀なのはただの長所であり、生きる意味でも私がお前(僕)を好きな理由でもない。価値っていうのは自分で規定するものじゃなくて、他人が勝手に決めるものなんだよ」

みたいなことを言われた。僕と距離を置こうとしない人達は皆「優秀な僕」が好きなんだと勝手に思っていたが、そうじゃない人もいることがわかって少し嬉しかった。僕という人間を好くにあたって「優秀である(であろうとしている)こと」以外の理由を見つけることは僕にはできないが、それはまあその人がそう言っているのだからいいとしよう。

人の価値はその人以外の人間が勝手に決める。言われてみれば当たり前のような気がする。ということは、自分の思う自分の価値というのは意味のないものなのだろうか。

やはりこれも他人から見れば意味のないクソカスなものなんだろう。僕も他人を見て、その人が自身のことをどう評価しているかなんて全く気にならない。

一方で、僕を前に突き動かしているものの一つに「優秀じゃない自分には価値がない」という観念があることは否定できない。

実在しない「理想の自分」に対する劣等感。言葉にするとかなり気持ちが悪い。

だが、僕みたいな(他人に自分がどう見えるかをあまり気にしないという意味で)内向的かつ怠惰な人間にとっては、自分にとって価値のある人間になりたいという願望も、自分の中に価値を見いだせないという絶望もある程度は必要なんじゃないだろうか。


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