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丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)『言葉あるいは日本語 丸谷才一対談集』構想社 1977年11月刊 228ページ  岩淵悦太郎(1905-1978) 飯沢匡(1909-1994) 木下順二(1914-2006) 大野晋(1919-2008) 田村隆一(1923-1998) 山口瞳(1926-1995)

丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
『言葉あるいは日本語
 丸谷才一対談集』
装幀 司修
構想社 1977年11月刊
228ページ
https://www.amazon.co.jp/dp/B000J8V78M

東京都目黒区立中目黒駅前図書館蔵書
読了年月日不明(1980~86年)
福岡市総合図書館蔵書
2021年11月再読

丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
の最初の対談集
ただし前年に
山崎正和(1934.3.26-2020.8.19)
との鼎談集
『雑談 歴史と人物』
中央公論社 1976.2
https://www.amazon.co.jp/dp/B000J9F2I2
刊行済
『歴史と人物』
1973年2月号~1974年8月号掲載
https://www.facebook.com/tetsujiro.yamamoto/posts/5419927841415144

構想社は『文藝』編集長だった
坂本一亀(1921.12.8-2002.9.28
 坂本龍一(1952.1.17- )の父)
が設立。
翌年、第二対談集
『古典それから現代
 丸谷才一対談集』1978.5
も刊行。
https://note.com/fe1955/n/n6affaef46310

岩淵悦太郎(1905.12.14-1978.5.19)
飯沢匡(1909.7.23-1994.10.9)
木下順二(1914.8.2-2006.10.30)
大野晋(1919.8.23-2008.7.14)
田村隆一(1923.3.18-1998.8.26)
山口瞳(1926.1.19-1995.8.30)

木下順二(1914.8.2-2006.10.30)
岩淵悦太郎(1905.12.14-1978.5.19)
「文学表現としての日本語」
『群像』1971年2月号

大野晋(1919.8.23-2008.7.14)
「言葉と文体」
『すばる』1974年6月号
「ことばと文体」

大野晋
「日本語を考える」
『図書』1975年5月号

大野晋
「日本語と裁判」
『文藝春秋』1976年4月号
「日本語と狭山裁判」

山口瞳(1926.1.19-1995.8.30)
「日本語やつあたり」
『風景』1973年3月号
「日本語・国語」

飯沢匡(1909.7.23-1994.10.9)
「主として話しことばについて」
『週刊朝日』1975年6月13日号
「あなたの日本語は間違っていないか」

田村隆一(1923.3.18-1998.8.26)
「文学は言葉で作る」
『文芸展望』1975年1月・冬号

「二人の言語学者あるいは国語学者、
二人の劇作家、
一人の詩人、そして
一人の小説家に話を聞くことができた時間は、
今でも嬉しい思ひ出として残つてゐる。
残念なのは、
俳優および作曲家との対談を
しなかつたことである。」
p.223「あとがき」

高校生の頃の、
国語・古典文法の授業で、
係り結びの説明を、
以下の大野晋さんの
係り結びの解説のように、
こんな風に、
教えてもらいたかったなぁ。

大野晋(1919.8.23-2008.7.14)
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
「日本語を考える」
『図書』1975年5月号

「丸谷才一
係り結び、なぜあんな重宝なものがなくなったんですか。

大野晋
それはもう簡単なことなんです。
連体形で終る係り結びは平安時代に
あんまりたくさん使われたものだから、
連体形で終ることが、つまり
普通の終止なんだと思われちゃったんですよ。

上に「ぞ」などが係ってきたときには連体形で終る。
これが係り結びですが、これは本来、
強調した終止だったわけだ。
それが非常によく使われているうちに、
このほうが終りがくっきりしている
と感じられた。
そこでその表現が多く使われたのです。
そのうちに連体形終りが普通だ
と思われるようになってしまった。

ところでなぜ連体形で終る形が作られたか。
それは、ゾ、ナム、ヤ、カの係り結びは、
本来は倒置表現なんです。
ひっくり返しなんですよ。
たとえば「花ぞ美しき」という。
これは本来は
「美しき(もの)花ぞ」だったのですよ。
「ぞ」は「なり」と同じく
指定の意味を表わす言葉だったから、
「花ぞ」は「花なり」を意味した。
つまり「美しき(もの)花ぞ」
というのが普通の形だった。
それを倒置すると、
「花ぞ美しき」となる。
いまだって言うでしょう、
「本だ、ほしいものは」って。
それと同じく、
「美しき(もの)花ぞ」を倒置して、
「花ぞ、美しき」と言っていた。

それが習慣になって
倒置ということが何百年かのうちに
忘れられてしまって、
「花ぞ」の「ぞ」が単なる強調の語
と思われるようになった。そして、
「花ぞ」となれば下の方は
「美しき」という連体形で閉じるもの
というように思われるようになった。
「花か美しき」も同じです。
「美しき(もの)花か」を
倒置したのが本来なのです。

ですから、
「花ぞ美しき」は、
「花なり、美しきもの」
という意味だったわけですよ。
そういうことで、
「ぞ」「なむ」「や」が上にくると、
つまり倒置形を使うと、
下は連体形で終る。
下は名詞と同じ資格なんですよ。
ところが、それをしょっちゅう使ってるうちに、
こんど上の
「ぞ」が「なり」
という意味だということが
わからなくなっちゃった。

日本語は文末に、
指定とか疑問とかを置いて
文章を終るのが習慣だから、
倒置の結果として文末にきた
「美しき」を、本来の終止の形
と思ったわけです。そうすると
「美しき」で終ると、
えらいくっきりして、強くて、
はっきりしていいというわけだ。

このように、
上の方に「ぞ」を投入して、
文末は連体形で終っているうちに、
この文末の形が本来は連体形だ
ということがわからなくなってしまって、
それをもともとの
終止形だと思い始めるんです。
それが本来の終止形を追い出しちゃって、
終止形の位置に座りこんでしまった。

現代語の文法で言えば、
連体形と終止形とは形が全部同じです。
ということは、
どうして起ったことかと言えば、
古典語では終止形と連体形は別形だったのに、
連体形が終止形の位置にはいり込んで、
終止形を殺しちゃったんですよ。
自分でその位置を占めちゃったわけなんだ。
だものだから、
連体形と終止形の
区別がなくなっちゃった。

丸谷
区別がなくなれば
係り結びもなくなるわけですね。

大野
形の上の区別がなくなれば
価値がなくなるから、それが
『新古今』のころにだんだんと
なくなりつつあったのです。
そしてそれ以後、中世の間に
なくなっちゃった。

丸谷
鎌倉初期になくなったとすると、
係り結びを使って
江戸時代の人が書いていたのは、
あれは非常に極端な文語体ですね。

大野
そうです、
擬古文ということです。」
p.97-99
「日本語を考える」

「こそ」~已然形、
は何故なんだろう?


山口瞳(1926.1.19-1995.8.30)
「日本語やつあたり」
『風景』1973年3月号

「丸谷才一
ぼくは去年出した長篇小説
[『たった一人の反乱』講談社 1972.4]
までは、新仮名で書いていました。
ところが、それと並行しまして
『後鳥羽院』
[筑摩書房 日本詩人選 10 1973.6]
という本を書いていまして、
これは新仮名で出る本なんですけれども、
引用は全部旧仮名でしょう。

山口瞳
歌なんか、もちろんそうでしょう。

丸谷
引用は旧仮名、自分の文章は新仮名、
というのがめんどくさくて、
旧仮名でちょっとやってみたら
実に書きやすくて、
後鳥羽院とぼくが、
一つの文明の中で結びつきがある
という感じが迫ってきまして、
いい気持ちだったんです。
なるほどこれならいいなと思って、
それ以後は、雑文も小説も、
全部旧仮名で書きます。
それで、ゼロックスとって編集部が直す、
もとの原稿はぼくに返ってくる。
本は、なるべくならば
旧仮名で出すようにしたいと思っています、
これからさきは。」
p.165
「日本語やつあたり」

読書メーター
丸谷才一の本棚
登録冊数179冊 刊行年月順
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11091201


高校生の頃(1970-72)に読んだ
福永武彦・中村真一郎・丸谷才一
『深夜の散歩 ミステリの愉しみ』
早川書房 1963.8
https://note.com/fe1955/n/n26e000989c48
https://note.com/fe1955/n/n49dc2860af81
https://note.com/fe1955/n/nf236daad7399

以来五十年以上読み続けてきました。

読書メーター開始以前に読んだ本が多いため
メモを記入していない本も多いですけど、
ご笑覧いただけましたら幸甚と存じます。


"発表年月日順・丸谷才一作品目録.xls"
エクセルファイル(約三千行)
単行本・文庫本90数冊分の
目次・初出・書評対象書を、
発表年月日順に並べ変えて
編成、作成中。
完全編年体・丸谷才一全集
(の目次・内容一覧)

1925年8月27日誕生
2012年10月13日逝去
「ゆがんだ太陽」
『秩序』第1号(1952年1月発行)

「わが青春の一ページ
 桐朋学園音楽科60周年記念
コンサート・祝賀会での挨拶
 2012年10月8日」
『別れの挨拶』集英社 2013年10月刊

を夢想(妄想)してます。

http://jun-jun1965.hatenablog.com/entry/2016/07/06/205725
丸谷才一作品年譜 2016-07-06



丸谷才一所蔵図書一覧
60冊 単行本刊行年月順
2020年10月13日作成
https://www.facebook.com/tetsujiro.yamamoto/posts/4541208092620461
その後、
アマゾン中古を30数冊購入して、
現在は97冊

今日は八年前に87歳で亡くなられた丸谷才一さんの命日です。 ウィキペディア https://goo.gl/TuZm5X 「丸谷 才一(まるや さいいち、1925年(大正14年)8月27日 -...

Posted by 山本 鉄二郎 on Monday, October 12, 2020



https://note.com/fe1955/n/n49dc2860af81
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
『梨のつぶて 文芸評論集』
晶文社 1966.10

https://note.com/fe1955/n/n3c66be4eafe5
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
『日本詩人選 10 後鳥羽院』
筑摩書房 1973.6

https://note.com/fe1955/n/n39b0bac5071d
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
『星めがね』
集英社 1975年10月刊
320ページ
[写真]
「新聞や週刊朝日などで多くの書評を書き続けた
丸谷才一氏 1968年」

https://note.com/fe1955/n/n026b8f7779a3
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
『男のポケット』
新潮社 1976年4月刊
新潮文庫 1979年5月刊
272ページ
解説 粕谷一希(1930.2.4-2014.5.30)

https://note.com/fe1955/n/n6458c3ec5b1e
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
『遊び時間』
装釘 山藤章二(1937.2.20- )
大和書房 1976年12月刊
285ページ
中公文庫
カバー 山藤章二
解説 金関寿夫
中央公論社 1981年10月刊
310ページ

https://note.com/fe1955/n/nd6424820220b
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
『低空飛行』
装幀 池田満寿夫
新潮社 1977.5

https://note.com/fe1955/n/ncecbb5720ade
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
『日本文学史早わかり』講談社 1978.4
『無地のネクタイ』岩波書店 2013.2
池澤夏樹(1945.7.7- )
「メイキング・オブ・文学全集」
『池澤夏樹、文学全集を編む』河出書房新社 2017.9

https://note.com/fe1955/n/n6affaef46310
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
『古典それから現代 丸谷才一対談集』
構想社 1978年5月刊
堀口大學(1892.1.8-1981.3.15)
平野謙(1907.10.30-1978.4.3)
司馬遼太郎(1923.8.7-1996.2.12)
岡野弘彦(1924.7.7.- )
谷沢永一(1929.6.27-2011.3.8)
大岡信(1931.2.16-2017.4.5)
久保田淳(1933.6.13- )
岩松研吉郎(1943.10.31-2019.8.24)
関容子(1935.5.24-)
「丸谷才一さんのスーツ」
『銀座で逢ったひと』
中央公論新社 2021.9

https://note.com/fe1955/n/n3c0584d6e951
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
『コロンブスの卵』
筑摩書房 1979年6月刊
363ページ
「徴兵忌避者としての夏目漱石」
『展望』1969年6月号

https://note.com/fe1955/n/n1cb8080f344e
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
『遊び時間 2』
大和書房 1980年2月刊
287ページ
レイモンド・チャンドラー
『プレイバック』
清水俊二訳
「しつかりしていなかったら、生きていられない。
優しくなれなかつたら、生きている資格がない」

https://note.com/fe1955/n/n766d60240b79
『オール讀物』
1982年5月特別号
文藝春秋
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
「好きな背広 2
 ちよつと政治的?
 アメリカ橋
 小説作法」
和田誠(1936.4.10-2019.10.7)
東海林さだお(1937.1.30- )
椎名誠(1944.6.14- )

https://note.com/fe1955/n/na23a2eb002ed
『オール讀物』
1982年7月特別号
文藝春秋
392ページ
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
「好きな背広 4
 扇の風
 馬芝居
 タイム・マシーン的方法」
 いしいひさいち
 椎名誠
 東海林さだお(1937.1.30- )
「男の分別学
「のぞき部屋」について
 急に痴漢になったような気がして」
椎名誠(1944.6.14- )
「全日本賛否両論型録 国鉄問答」
いしいひさいち(1951.9.2- )
「忍者無芸帖」

https://note.com/fe1955/n/n8d39fb24356a
『オール讀物』
1982年8月特大号
「第28回 文藝春秋漫画賞
 植田まさし(1947.5.27- )
戸板康二(1915.12.14-1993.1.23)
「泣きどころ人物誌 永井荷風の勲章」
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
「好きな背広 5
 佐々木邦の糞尿譚
 麻雀必勝法
 二日酔ひの研究」他

https://note.com/fe1955/n/nf7b96d51f990
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
「好きな背広 6
 パロディ白秋詩集
 顔について
 画家の来訪
 雑誌づくし」
『オール讀物』
1982年9月特別号
文藝春秋 1982年8月刊

https://note.com/fe1955/n/ne7c88687dcfd
『オール讀物』
1982年11月特別号
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
「好きな背広 8
 甲子園の土
 料理雑誌の編集長
 孫の手考」
田辺聖子(1928.3.27-2019.6.6)絵と文
「絵入り随筆
 まことより嘘がたのしや……」

https://note.com/fe1955/n/n6884d26dc428
『オール讀物』
1983年1月新年特別号
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
「好きな背広 10
 犬の名前
 コルク考
 偏読」
黒岩重吾(1924.2.25-2003.3.7)
森浩一(1928.7.17-2013.8.6)
「蘇我氏と卑弥呼」

https://note.com/fe1955/n/na04841444a88
『オール讀物』
1983年3月特大号
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
「好きな背広 12
 赤と白
 理屈学入門
 恐怖」
戸板康二(1915.12.14-1993.1.23)
「泣きどころ人物誌
 松井須磨子の香水」

https://note.com/fe1955/n/n534af899ac1a
『オール讀物』
1983年5月号
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
「好きな背広 14
 ほととぎす
 影響について」
山藤章二(1937.2.20- )
「山藤章二のオール曲者
 立川談志
 東海林さだお
 百目鬼恭三郎」

https://note.com/fe1955/n/n032186fb2e99
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
『冗談そして閑談
 丸谷才一対談集』
青土社 1983年6月刊
238ページ
山本健吉(1907.4.26-1988.5.7)
大久保房男(1921.9.1-2014.7.25)
ドナルド・キーン(1922.6.18-2019.2.24)
吉行淳之介(1924.4.13-1994.7.26)
藤沢周平(1927.12.26-1997.1.26)
野坂昭如(1930.10.10-2015.12.9)
常盤新平(1931.3.1-2013.1.22)
井上ひさし(1934.11.16-2010.4.9))

https://note.com/fe1955/n/n755f00287f6f
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
『好きな背広』
文藝春秋 1983.8
文春文庫 1986.11
『オール讀物』
連載エッセイ集
第一冊(全十一冊)

https://note.com/fe1955/n/neb893e222a8d
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
『遊び時間 3』
大和書房 1984年11月刊
321ページ
改題・文庫化
『ウナギと山芋
(中公文庫)』
中央公論社 1995年5月刊
461ページ

https://note.com/fe1955/n/nd10e2c10514f
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
『みみづくの夢』
装幀 吉岡実
中央公論社 1985年3月刊
284ページ
「知らざあ言って聞かせやしょう」

https://note.com/fe1955/n/n1998cbebf2ac
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
『挨拶はむづかしい』朝日新聞社 1985.9

https://note.com/fe1955/n/n2a4537d5f361
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
『鳥の歌』
装幀 吉岡実 
福武書店 1987年8月刊 
228ページ  
小野二郎先生(1929.8.18-1982.4.26)

https://note.com/fe1955/n/n17b237a668df
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
『世紀末そして忠臣蔵 丸谷才一対談集』
立風書房 1987年9月刊

https://note.com/fe1955/n/n0d04f004682c
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
『新々百人一首』新潮社 1999.6
丸谷才一・大岡信(1931.2.16-2017.4.5)
「詞華集と日本文学の伝統」『新潮』 1999年8月号

https://note.com/fe1955/n/n8df1c95b5881
大岡信(1931.2.16-2017.4.5)
『おもひ草』
世界文化社 2000.2
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
由良君美(1929.2.13-1990.8.9)
大岡信「日本の「中世」の特色」
『國文学 解釈と教材の研究』1973年9月号
丸谷才一・大岡信
「詞華集と日本文学の伝統」
『新潮』 1999年8月号

https://note.com/fe1955/n/n56fdad7f55bb
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
『樹液そして果実』集英社 2011.7
『後鳥羽院 第二版』筑摩書房 2004.9 
『恋と女の日本文学』講談社 1996.8

https://note.com/fe1955/n/na3ae02ec7a01
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
「昭和が発見したもの」
『一千年目の源氏物語(シリーズ古典再生)』
伊井春樹編  思文閣出版 2008.6 
「むらさきの色こき時」
『樹液そして果実』集英社  2011.7

https://note.com/fe1955/n/n2b8658079955
林望『源氏物語の楽しみかた(祥伝社新書)』祥伝社 2020.12
『謹訳 源氏物語 私抄 味わいつくす十三の視点』祥伝社 2014.4
『謹訳 源氏物語 四』祥伝社 2010.11
『謹訳 源氏物語 五』祥伝社 2011.2
丸谷才一「舟のかよひ路」
『梨のつぶて 文芸評論集』晶文社 1966.10

https://note.com/fe1955/n/nfa05714e8ec4
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
『袖のボタン』
朝日新聞社 2007年7月刊
192ページ

https://note.com/fe1955/n/na6c90e3b93cc
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
『人形のBWH』
文藝春秋 2009年11月刊
320ページ

https://note.com/fe1955/n/nd41726da27bb
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
『快楽としてのミステリー(ちくま文庫)』
筑摩書房 2012.11

https://note.com/fe1955/n/nf236daad7399
福永武彦・中村真一郎・丸谷才一
『決定版 深夜の散歩 ミステリの愉しみ』
講談社 1978.6

https://note.com/fe1955/n/n26e000989c48
福永武彦・中村真一郎・丸谷才一
『深夜の散歩
 ミステリの愉しみ(創元推理文庫)』
東京創元社 2019.10

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