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大岡信(1931.2.16-2017.4.5)『おもひ草』世界文化社 2000.2  丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)・由良君美(1929.2.13-1990.8.9)・大岡信「日本の「中世」の特色」『國文学 解釈と教材の研究』1973年9月号  丸谷才一・大岡信「詞華集と日本文学の伝統」『新潮』 1999年8月号  

大岡信(1931.2.16-2017.4.5)
『おもひ草』
世界文化社 2000年2月刊 A5判 344ページ
2021年5月30日拾い読み
https://www.amazon.co.jp/dp/4418005021

https://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000030643396&Action_id=121&Sza_id=F3

「古典詩歌の変遷や、幽玄の意味、連句の醍醐味、芭蕉と禅との関係などに触れ、古典を読み解く鍵を探る。伝統に学び身につけてこそ創造は生まれるという信念のもと、古典の「骨組み」を詳述する。丸谷才一らとの対談も収録。」

「古典を読み解く“鍵”。文化の根本原理と命ある言葉を求めて。伝統に学び、身につけてこそ創造は生まれる。その英知の結晶を、大筋見あやまらないための、「骨組み」を詳述。」

丸谷才一・由良君美・大岡信
「日本の「中世」の特色」p.96-139
『國文学 解釈と教材の研究』1973年9月号
「特集 現代にとっての中世」

丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)47歳
由良君美(1929.2.13-1990.8.9)44歳
大岡信(1931.2.16-2017.4.5)42歳

もう49年前の鼎談です。
1955年1月生まれの私が明治大学文学部に入学した年だなぁ。

「丸谷 中世歌謡・近世歌謡というものと
『新古今』とをいちばん結びつけるのは、
後鳥羽院であろう、というのは、
ぼくのこんど書いた本(『後鳥羽院』筑摩書房 1973.6)
https://note.com/fe1955/n/n3c66be4eafe5
の、眼目の一つなんですが、ひと口にいってしまえば、
「和歌」というものを
純粋詩に近づけようとして努力したのが定家であって、
歌謡、つまり小唄に近づけようとしたのが後鳥羽院だ、
ということになるんです。

大岡 帝王というのは、
『梁塵秘抄』における後白河にしても、
後鳥羽院にしても、そっちですね。
非常に深刻に純粋詩を追求してゆくのが、歌の家柄。

丸谷 貴族のなかの下級貴族。
下級貴族は純粋詩を求め、
帝王は…。遊びを、小唄を求めた。」p.103

「丸谷 ぼくは、仕方がないから
「中世」という概念をつくるわけだけれども、しかし、
実際は古代の終わりと近代の始まりとが重なっていた時代、
ということなんだと思うんです。」p.138

丸谷才一・大岡信
「詞華集と日本文学の伝統」p.140-181
『新潮』 1999年8月号
2018年2月に掲載誌で読みましたから再読です。
https://note.com/fe1955/n/n0d04f004682c

丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)73歳
大岡信(1931.2.16-2017.4.5)68歳

「丸谷 奉勅撰の漢詩の集の影響を受けて勅撰和歌集ができた。
ただし、漢詩の集は恋歌中心じゃない。
中国では恋愛の位置が非常に低い。

日本の宮廷文化では恋愛の位置が高くて、
それで恋歌の位置が高い。
恋が文化において、大っぴらに重んじられ、
恋愛詩が文化において主要な位置を占めている。

そこのところが非常に大きく作用して、
勅撰和歌集という宮廷文化を盛り上げ、
さらにその宮廷文化が一国の文化を指導するのに役立った
という特殊な事情があります。

大岡 それを裏付けるのは、
女性の位置が、その後の相当な長い時代よりはずっと強く、
宮廷あるいはそれ以外の社会でも高かった。

丸谷 後宮が閉鎖的でなくて、
後宮でありながら男が入って構わないという、
東アジアの宮廷にしては実に不思議な、
自由恋愛が成立する後宮だった。
そのせいで恋愛詩が非常にたくさん書かれるようになった。

大岡 紀貫之[872-945]は、
後宮の女官の子であったらしい。
これは目崎徳衛さん
[1921.2-2000.6 聖心女子大学歴史社会学科教授 家永教科書裁判文部省教科書調査官副主査]
https://www.facebook.com/tetsujiro.yamamoto/posts/541088955965748
という、歴史家であり同時に俳人でもある人が
たぶん初めてきちんといわれて、
https://www.amazon.co.jp/dp/4642050183

ぼくはその説に非常に刺激されて
『紀貫之』(筑摩書房)という本[『日本詩人選 7』1971]
を昔書いたんですが、
紀貫之のお父さんは宮廷の社会で
後宮へ自由に出入りしていた男の一人で、
それが後宮で仕えてる、
踊り子ではないかという感じの人と恋愛して
生まれたのが紀貫之。

平安朝の文化を決定づけたといっていいような
『古今集』という重要な歌集の編纂の中心人物だった
紀貫之は、実は宮廷社会の女性たちに取り囲まれて育った。
だから、『古今集』を編纂するときに
恋愛の歌を重んじたのかもしれない。」p.143-144

「丸谷 勅撰集は、奉勅撰の漢詩の集に倣って出てきた。
中国の漢詩集の真似をして
『文華秀麗集』とか『経国集』とかが編纂され、
その影響を受けて『古今』ができた。
漢詩的凝集度に対するあこがれを
無理やりに三十一音でやるという傾向が強い。

大岡 うまくいけば喝采される。

丸谷 其角[1661-1707]のペダンチックな俳諧が喝采された
江戸時代よりも、
もっとペダンチックだったでしょう、平安時代は。
在原業平の
「月やあらぬ春やむかしの春ならぬわが身ひとつはもとの身にして」、
あれがよくわからない歌なのは、
やっぱり漢詩性に対するあこがれが非常に身にしみている男、
つまり業平が
漢詩の口調を真似てつくったところから出てきた無理だという気がする。

大岡 漢文学崇拝という風潮は、
紀貫之のころ、十世紀の始めは、むちゃくちゃに強い。
数十年前の業平のときは、
その前の漢詩文崇拝の時代が長かったから、
逆に何とかして漢詩文と対抗するためにどうしたらいいか
ということでいろいろ工夫している。
工夫した中のもっとも優秀な、大胆な人の一人が在原業平だった。
だから業平の歌は時どき意味が不明に近いような、
訳のわかんないような感じで、
だけど調子はえらくいいっていう歌がいっぱいある。
調子がよくて気持がよくなるというのは業平の歌の大きな特徴だね。
業平は、漢詩文に対抗するっていう意味での
和歌を確立した人の一人だと思うな。

丸谷 業平のそういう文学論的局面は論じられてませんね。
実生活についての伝記的批評的な事ばかり書かれてて。」p.146-148

「丸谷 平安初期は、文学史的に見て、
一種ドラマティックな時代でしょう。

大岡 だからあの時代を女々しい、なよやかな文学とか、
そう見るのは、
戦争中特にはやって、
戦後も主流だと思うんだけども、
実は大間違いです。

平安朝の、特に『古今集』は、
参加している連中は、
男性も女性も宮廷に仕えている官吏が非常に多い。
そういう人々の日常を考えれば、
常に厳しく規律を守り、お勤めもきちんとしていたわけで、
歌だけがなよやかなわけがない。

女々しい泣き言みたいに見えるのは
頭脳的につくりだしていくという作業において
繊細に緻密にやっているから……。
歌の言葉遣いにおいては
なだらかな、なよやかな、
音楽的な言葉遣いだったからといって
単純に誤解したのは、
明治以後の、
特に軍国主義時代の日本の大きな間違いだと思います。」p.149

「丸谷 王朝和歌のほうから、
つまり『古今』以後から『万葉』を照らす、
そういう照明の仕方があるはずなんです。

大岡 『万葉』と『古今』というのは、
つながっている部分がいっぱいあるのに、
それをきちんといってくれる人がたくさん出てこないと、
どうしようもなく進まない。

例えば『万葉集』でもいちばん最後の時期の、
天平時代を中心とする、
いっそう大きく『万葉』の世界が広がっていく、
その時期の歌人たち――
大伴家の連中はもちろん、
山上憶良とかの作品に対する見方は、すごく硬かった。
だけどちょっと見方を変えれば、
いかに彼らがふざけることが好きだったかとか、
女の人で、男の人に対して敢然と自説を主張する人が
いかにいっぱいいたか、とか見えてくる。

ふざけることが文学的に大変に豊かな世界をつくっている
という世界であって、それが天平時代の大きな特徴なんです。
天平のその世界は明らかにもう平安とつながっている。
せいぜい五、六十年の差だもの。

丸谷 歴史の断絶なんてのは
そんなに簡単にあるはずないもの。」p.170-172

「丸谷 日本の近代というのは、
アンソロジーも貧弱な時代でしょう。
その中で、アンソロジーとして出来がよくて、
社会に浸透していって社会を動かしたのは
高浜虚子の『新歳時記』でしょう。
昭和九年(1934年)ですかね。

あれはものも出来がいいし、商業的にも成功した。
社会全体に作用したといえるだろうと思います。
虚子の『新歳時記』の成功のもとには
正岡子規の仕事があるんじゃないかと、
ぼくは昔から見当をつけているんです。

大岡 子規は武張ったことが大好きという面があると同時に、
アンソロジーの編纂の名人でもあって、
少年期から編著をずいぶんしている。
三十代の半ばで死んでしまったんで、
全部途中で挫折、やりとげていたら、
すぐれた百科全書派みたいなものに、
学者としてはなり得た。

丸谷 アンソロジストとしての子規
というような面は注目されなかった。
喧嘩がうまいというのと、
病気なのによく頑張った
というのだけが注目された。
論争の名手という面と、
伝記批評、その二つで子規を褒めてた。
近代日本文学の程度の低さのせいで、
子規の虚像が
近代日本文学の背丈に合わせて
つくられたという面がかなりある。

これまでの評価、
これまで書かれたいわゆる日本近代文学史における
正岡子規の人気を博したゆえんが、
武張った精神のほうだった。
ことに「アララギ」の短歌の感じ。
「[与謝野]鉄幹是なれば子規否なり」
なんかにしたって好戦的ですよね。

あれが斎藤茂吉の論争好きに繋がっていく。
茂吉がやったいろんな論争のたいていは
要するに茂吉がむやみに一人で威張りちらして
理屈にもならないことを言っているだけなんだ。
相手を罵る。
罵られた相手は嫌になってもうやめる。
すると自分は勝ったと思う。

世間もまた単純だから、
これはたぶん茂吉が勝ったんだろうと思う。
あれは非常に悪い例を日本文学に及ぼしたと思う。
ああいうことをやって世間の論争好きを喜ばせて、
まるで文学がプロレスみたいなものであることにした元凶は
子規および茂吉にかなりあるんだと、
いえるような気がする。」p.150-153

読書メーター 大岡信の本棚(登録冊数12冊)
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11091529

明治大学文学部学生の頃(1973-77)に読んだ
『岡倉天心(朝日評伝選)』朝日新聞社 1975
https://www.amazon.co.jp/dp/B000J9FFUM
https://www.amazon.co.jp/dp/4022593741

聖心女子大学図書館に勤務していた頃(1978-86)に読んだ
『紀貫之(日本詩人選7)』筑摩書房 1971
https://www.amazon.co.jp/dp/B000J96IAS
https://www.amazon.co.jp/dp/4480098453

『四季の歌 恋の歌 古今集を読む』筑摩書房 1979
https://www.amazon.co.jp/dp/B000J8GSM2
https://www.amazon.co.jp/dp/4480021256

他は未登録です。

大岡信『岡倉天心』1975 を読んだのは、
明治大学文学部(1973-77)
小野二郎先生(1929.8.18-1982.4.26)
https://ja.wikipedia.org/wiki/小野二郎
の講義「比較文学」での課題だったかなぁ。

小野先生は、弘文堂編集者として、

大岡信『芸術マイナス1 戦後芸術論』
弘文堂 1960
を、
1960年に中村勝哉さん(1931-2005)と
創業した晶文社で、
大岡信『抒情の批判 日本的美意識の構造試論』
晶文社 1961
を刊行しました。

http://www.aokishoten.com/yuko/yuko94.html
ユーコさん勝手におしゃべり
「ウィリアム・モリスをはじめて知ったのは、
小野二郎先生の教室だった。」

読書メーター 小野二郎の本棚(登録冊数21冊)
アマゾンに書影がない本(5冊)が残念です。
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11091265

https://note.com/fe1955/n/n64cf2b64efe3
『ある編集者のユートピア 小野二郎:ウィリアム・モリス、晶文社、高山建築学校』世田谷美術館 2019.4
『大きな顔 小野二郎の人と仕事』晶文社 1983.4 非売品

マイケル・ボンド作 R.W.アリー絵
『クマのパディントン』木坂涼訳 理論社 2012.9
マイケル・ボンド作 フレッド・バンベリー絵
『くまのパディントン 改訂版 パディントン絵本 1』中村妙子訳 偕成社 1987.6
小野二郎(1929.8.18-1982.4.26)
『紅茶を受皿で イギリス民衆芸術覚書』晶文社 1981.2

https://note.com/fe1955/n/n0d04f004682c
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
『新々百人一首』新潮社 1999.6
丸谷才一・大岡信(1931.2.16-2017.4.5)
「詞華集と日本文学の伝統」『新潮』 1999年8月号

https://note.com/fe1955/n/n56fdad7f55bb
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
『樹液そして果実』集英社 2011.7
『後鳥羽院 第二版』筑摩書房 2004.9
『恋と女の日本文学』講談社 1996.8


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