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丸谷才一『樹液そして果実』集英社 2011.7  『後鳥羽院 第二版』筑摩書房 2004.9  『恋と女の日本文学』講談社 1996.8

丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
『樹液そして果実』集英社 2011年7月刊
2011年8月7日読了
2021年4月9日購入
アマゾン中古 600円 初版帯付き
https://www.amazon.co.jp/dp/408771408X

目次
Ⅰ ジョイス
空を飛ぶのは血筋のせいさ ジェイムズ・ジョイス『若い芸術家の肖像』改訳版 丸谷才一訳 集英社 2009年10月 解説
巨大な砂時計のくびれの箇所 ジェイムズ・ジョイス 『ユリシーズ 3』 改訳版 集英社 1997年6月 解説

Ⅱ 古典
むらさきの色こき時 2008年10月1日、東京・世田谷文学館講演「源氏物語千年紀」 『文學界』2009年1月号 
北野供養 [古今和歌集成立論] 『海燕』1986年1月号
王朝和歌とモダニズム 2000年11月、ケルン、ベルリン、ローマでの講演 『文學界』2000年1月号
室町のころ [世阿弥と正徹] 『ZEAMI 01』森話社 2002年1月
ばさら連歌 [佐々木道誉] 『プリスマ』1991年10月号 小沢書店

Ⅲ 近代
美談と醜聞 [森鷗外] 『すばる』1995年6月号
むかし物語のここちもするかな 尾崎紅葉『多情多恨(岩波文庫)』岩波書店 2003年4月 解説
折口信夫論ノート 『言論は日本を動かす 4 日本を発見する』講談社 1986年2月
隠岐を夢みる 『折口信夫全集 9』中央公論社 1995年10月 月報
批評家としての谷崎松子 『中央公論』1993年2月号
伊藤整の方法 『文藝』1970年1月号
『野火』の思ひ出 [大岡昇平] 『群像』1989年3月号
『雲のゆき来』による中村真一郎論 『群像』2006年7月号
『暗室』とその方法 [吉行淳之介] 『中央公論』1994年9月号

Ⅳ 藝術
六日のあやめ [金屏風幻想] 『國華』1331号 2006年9月

2013年10月17日
https://www.facebook.com/tetsujiro.yamamoto/posts/525171187557525
1968年から2009年に発表された十七篇を収録した評論集。
ジョイス・古典・近代・藝術、の四章からなります。
私には古典の章が一番面白かったかな。
読書の楽しみを味わいました。
著者は今月末(2011年8月)で86歳。
こんな評論集はこれで最後かしら。
長寿と健筆を願います。

「昨年[2010] 二月、入院した際、手術までの二週間に四冊の著作を編集した。いづれも旧稿をまとめたもので、刊行順に記せば、
『文学のレッスン』新潮社[[2010.5]
『あいさつは一仕事』朝日新聞出版[2010.9]
『星のあひびき』集英社[2010.12]
『樹液そして果実』集英社[2011.7]
といふことになるが、あわただしい話だつたし、手許に資料がないため、重大なあやまちを犯した。
この『樹液そして果実』に収めるもののうち二篇、
「隠岐を夢みる」と
「王朝和歌とモダニズム」は、すでに『後鳥羽院 第二版』筑摩書房[2004.9]に入れてあつたのである。
この本の校正刷が到着したときに気づき、一時は除かうと思つたものの、取去つてみるとやはり寂しい。やむを得ず、『後鳥羽院 第二版』の版元に許しを乞うて、最初の案のままでゆくことにした。筑摩書房の寛容な態度に深く感謝する。」p.425「あとがき」

重複したものを買わされる読者へのお詫びはしないんですねぇ。
私は図書館で借りて読む読者なので、買ってはいませんけど。

「象徴主義の詩がモダニズム文学の重要な部分であるどころか、むしろモダニズムが発生した基盤であることは言ふまでもありません。そしてこれはむしろ、『新古今』歌人たちの求めた余情妖艶(よせいようえん 直接的な表現以外の連想や余韻によつてかもし出す王朝の優美)といふのは、縹渺たる味はひによつて意味と情趣を増幅するもので、象徴派およびその影響下にあるモダニズム文学に通じる趣がある。

余情妖艶の風はそれ以前からの王朝和歌の積み重ねのせいもあるけれど、藤原定家の探求と後鳥羽院の奨励によつていよいよ発達し洗練されました。たとへば、

春の夜の夢の浮橋とだえして峯に別るる横雲の空
 
は、春夜における閨房の快楽と後朝(きぬぎぬ)の別れとを歌ひあげてまことに官能的であり、憂愁にみちてゐる。この場合、「春の夜の夢の浮橋とだえして」と「峯に別るる横雲の空」とは真二つに切れてゐて、その断絶が(もちろん恋人たちの別れを表現しながら)解釈の上では想像を刺戟し、意味とイメージを曖昧にし、重層的にします。

「峯に別るる」ものは「横雲」であり、また恋人たちである。男と女は夜明けの空に横たはりながらしかも離れる。上の句と下の句は助詞テでつないであるけれども、この接続はまことにほのかで、これはまた男女の関係、雲の姿の表現となるのでせう。

また定家の詠は、「夢の浮橋」といふ句によつて『源氏物語』の最後の巻「夢浮橋」をちらつかせ、浮舟の落飾と沈黙とによる謎めいた(とも言へる)結末を思ひ起させ、さらには『源氏』全体の世界を大きく浮かびあがらせて、宮廷人の恋の種々層を喚起する。かういふ、言及と連想による複雑化は、モダニズム文学で多用されました。」p.357
丸谷才一「王朝和歌とモダニズム」
『文學界』2001年1月号
『後鳥羽院 第二版』筑摩書房 2004.9

装画装丁 和田誠

「和歌の集で格の高いのは勅撰集で、これは国王の命によつて編まれる詞華集だから、いはば一国の文化を導くものだつた。その勅撰集の部立(ぶだて)では四季の巻と恋の巻とが主要なもので、まづ春夏秋冬の歌によつて季節の正しい循環を予祝し、次いで恋歌によつて人の心をやはらげるわけだが、しかし四季を詠む歌と言つても、純粋に季節の移り変わりだけがあつかはれるわけではない。

たとへば八番目の勅撰集『新古今和歌集』の巻第一春歌上を見ると、1番から36番まではともかく、37番、38番となると様子が違つて、
 
かすみたつ末の松山ほのぼのと浪にはなるる横雲の空 藤原家隆 
春の夜の夢のうき橋とだえして峰にわかるる横雲の空  藤原定家
 
の二首は春そのものよりもエロチックな情趣が主題となる。
[略]
44番から47番までは

梅の花にほひをうつす袖のうへに軒もる月のかげぞあらそふ 藤原定家 
梅が香に昔をとへば春の月こたへぬかげぞ袖にうつれる 藤原家隆 
梅の花たが袖ふれしにほひぞと春や昔の月にとはばや 源通具 
梅の花あかぬ色香も昔にておなじかたみの春の夜の月 藤原俊成女

と『古今』在原業平「月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身一つはもとの身にして」の本歌どりによつて、過ぎ去つた恋の思ひ出にひたる。
かういふ調子で、恋歌は春歌にまぎれこむ。」p.37
丸谷才一「恋と日本文学と本居宣長」
『群像』1995年2月号
『恋と女の日本文学』講談社 1996.8

装画装丁 和田誠

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"発表年月日順・丸谷才一作品目録.xls"
現在3010行
目次・初出・書評対象書を、単行本80数冊分他、
発表年月日順に並べ変えて編成中

読書メーター 丸谷才一の本棚(登録冊数174冊 刊行年月順)
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11091201


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