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林望『源氏物語の楽しみかた(祥伝社新書)』祥伝社 2020.12  『謹訳 源氏物語 私抄 味わいつくす十三の視点』祥伝社 2014.4  『謹訳 源氏物語 四』祥伝社 2010.11  『謹訳 源氏物語 五』祥伝社 2011.2  丸谷才一「舟のかよひ路」『梨のつぶて 文芸評論集』晶文社 1966.10

林望(1949.2.20- )
『源氏物語の楽しみかた(祥伝社新書)』
祥伝社 2020.12
https://www.amazon.co.jp/dp/4396116187

目次
はじめに
親子の物語としての源氏物語
女としての当たり前
色好みの魂
源氏は食えぬ男
明石の入道はどんな人?
垣間見の視線
とかく夫婦というものは…
この巧みな語り口を見よ
女親の視線の「うつくしさ」
奥深い名文の味わい
源氏物語は「死」をいかに描いたか
濡れ場の研究
救済される紫上
あとがき

林望(1949.2.20- )
『謹訳 源氏物語 私抄 味わいつくす十三の視点』祥伝社 2014.4
https://www.facebook.com/tetsujiro.yamamoto/posts/674649349276374
https://www.amazon.co.jp/dp/439661490X

に、「「はじめに」を入れるなど加筆修正、[改題]新書化」p.2。

「『源氏物語』は、決して今言う意味でのベストセラーなどではなかった。平安時代、鎌倉時代、室町時代、江戸時代、そして近現代と。どの時代で観察してみても、この長大で難解な物潟を自由に読める人など、限りなくゼロに近かった。ただ、ごく限られた貴族社会の人たちや、すぐれた知識階級の人士が、細々と読んでいたに過ぎない。

読もうと思えば努力しだいで誰でも読解できるようになったのは、江戸時代前期、延宝元年[1674]に成立した北村季吟の『湖月抄』という周到な注釈読解書が出版されて以降のことであったが、それとて、大本六十冊にも及ぶ浩瀚な出版物で、おそらく今の貨幣価値にしたら、百万円くらいにはあたるほど高価なものだったろうから、それを買って自在に読める人は。やはりごく一部の知的・経済的エリートに限られたことであろう。

だから、その時代時代で、『源氏物語』を直接に享受できた人の数などは、まさに寥々たる少数に過ぎなかった。「多くの人に読まれた」という意味でのベストセラーというのには、まったく当らない。

しかしながら、であるにも拘わらず、『源氏物語』は常に文学の王道として千年に余る年月を堂々と生き延びてきた。それは何故か。」
p.3「はじめに」

「『源氏物語』では、当たり前のことは書かない、ということが一つの原則としてある。なぜなら、この物語は、時代・階級・空間・常識・教養・生活体系と、さまざまなものを共有する人々の間で楽しまれた「仲間内(なかまうち)」の文学であったからだ。

日々の食事は、いつどのようなものを食べていたのか、ほとんど何も書いていない。分かり切ったことは書かない、それがこの物語の叙述の大原則である。

恋に肉体的な交わりが前提されていることは自明のこと、みんなが分かり切ったこととして共有している以上、その「行為」を微細に露骨に書いたりしなかったことは、理の当然というものであった。

そこで、実際に『源氏物語』を読み進めていく時には、どこでその肉体的な交渉(これを[実事]と呼ぶ)を持ったかということを、具体的に「想像」しながら読んでいかないといけない。」
p.262「第十二章 濡れ場の研究 そこに「実事」はあったか?」

「親子の物語としての源氏物語」から始まる全十三章。
この本を、楽しく、面白く読めるかどうかは、読む人が林望さんの文章を好きかどうか、だろうなぁ。

林望(1949.2.20- )
『謹訳 源氏物語 四』
祥伝社 2010.11
https://www.amazon.co.jp/dp/4396613784

2010年12月3日読了
最新の現代語訳

全十巻の四冊目は薄雲・朝顔・少女・玉鬘・初音・胡蝶。
源氏31歳から36歳まで。
内大臣から太政大臣になっています。

既存の和歌を様々な描写に利用している物語ですが、
和歌を訳文に溶かし込む訳者の工夫のお陰ですらすらと読めます。

「この『謹訳 源氏物語』を読んでこられた方々は、原文の背後に込められた先行文学からの引き事が、かなりたくさんあることに気付かれたことと思う。

思うに、この物語が作られ享受された時代の人々は、和歌の引き事などは、おそらくちょっとした断片からだけでも、その背後の典拠までさかのぼり得て、その意味を理解し、その感情を感得したであろう。

そこで、現代の読者にも、彼らのレベルと同じところまで理解鑑賞していただきたいと思って、本来なら注釈として添えるべき典拠までも、なんとかして訳文のなかにこれを溶解せしめて、すらすら読めるように工夫してきたつもりである。」
月報 4「 背後にあるもの」

「やがて[藤壺の]亡骸は荼毘に付され、お骨を墓陵に収めるについても、世の中こぞってただならぬ騒ぎで、その死を悲しいと思わぬ人とてもない。
殿上人たちも、みなおしなべて墨色の喪服を着て、せっかくの春の暮れも、まことに寂しい色彩になった。

二条邸の庭先の桜を見ても、源氏は、あの花の宴の折に自ら春鶯囀(しゅんのうでん)を舞い、藤壺の宮がそれを見守っていてくれたことなどを思い出している。

源氏は、だれにも聞こえぬような低い声で、昔、太政大臣藤原基経公が深草の野に葬られた時の古い挽歌を唇にのぼせた。

 深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染に咲け
 深草の野の、その野辺の桜よ、もしおまえに心があるならば、どうか今年ばかりは墨染めの色に咲けよ

と、こんな歌を呟いているのを、もしや人に見とがめられてはいけないので、源氏はすぐに念誦堂に籠って、そこでその日一日を泣いて暮らした。」
p.40「薄雲」

丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
「舟のかよひ路」
中村真一郎編『文芸読本 源氏物語』河出書房新社 1962.9
『梨のつぶて 文芸評論集』晶文社 1966.10
https://www.amazon.co.jp/dp/B000JAAGG4


「をさめ奉るにも、世の中響きて悲しと思はぬ人なし。殿上人など、なべてひとつ色に黒みわたりて、物の栄えなき春の暮れなり。二条の院の御前の桜を御覧じても、花の宴の折などお思し出づ。「今年ばかりは」とひとりごち給ひて、人の見とがめつべければ、御念誦堂ににこもり居給ひて、日一日泣き暮し給う。

源氏が桜を見て「今年ばかりは」と独言を言うのは、『古今集』巻十二の「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染に咲け」を踏まえているからである。『古今集』は当時の貴族の必須の教養であったから、彼らは会話その他のなかでこのように一句だけを引用して、一種全体を引用することに代えた。それだけで会話の相手にはじゅうぶん通じたのである。そしてまた、『源氏物語』の読者にもじゅうぶん通じたのである。当時の読者の心には、この件りを読めばかならず墨染めの桜というイメージが咲き乱れるのであったろう。」p.101


林望(1949.2.20- )
『謹訳 源氏物語 五』祥伝社 2011.2
https://www.amazon.co.jp/dp/4396613857

2011年3月9日読了
最新の現代語訳

全十巻の五冊目は蛍・常夏・篝火・野分・行幸・藤袴・真木柱・梅枝・藤裏葉。
源氏36歳から39歳まで。
太政大臣から準太上天皇になっています。

この現代語訳では、和歌の部分を除いて、注釈が一切ありません。
訳者の考えている原文の意味の説明を、本文とは別の注釈としてではなく、本文自体に盛り込んでいて、とにかくすらすらと読めてしまいます。

「「野分」の巻に、次のようなさりげない一文がある。

「南の御殿(おとど)には、御格子(みかうし)参りわたして、昨夜(よべ)見捨てがたかりし花どもの、行方も知らぬやうにてをれ伏したるを見たまひけり」

これをいま、仮に、なにごころもなく訳してみる。

「南の御殿には、格子戸を上げ渡して、昨夜見捨てがたかった花々が、見る影もない姿で折れ伏しているのをご覧になっていた」

まず、これでもなんとなく意味は分かるから、それでいいといえばいいかもしれない。
……
私は、謹訳源氏の訳文を作るに当たっては、以上のような含意のすべてを、読者が、どこにも立ち迷うことなく想起できるようにと考えて現代語の表現に工夫を加えた。そこで、結局次のように訳したのである。

「東南(たつみ)の御殿では、今やすっかり蔀戸(しとみど)を上げて、源氏と紫上が、荒れに荒れてしまった庭上(ていしょう)を眺めていた。昨夜(よべ)、紫上が見捨てるに忍びない思いで、いつまでも惜しんでいた花々だったけれど、もはや見る影もなく折れ伏してしまっている」

最初の漠然とした口語訳でも、たしかに意味は通じるかもしれない。
しかし、それでは、作者がこの文章に仕掛けておいた時間の経過や、昨夜の紫上の動作や心理への言及や、御簾越しに仲良く外を見やっている源氏と紫上の気配や、そういうあれこれがはっきりとは見えてこないのではあるまいか。

それをはっきりと現代文に表現して、残りなくこの場面を味わい尽くせるように、私の思いはまさにそこのところにあるのである。」
月報 5「 原文に込められたものを……」


読書メーター 林望の本棚(登録冊数16冊)
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11091283


源氏物語の本棚(登録冊数42冊)
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https://note.com/fe1955/n/n8ef90401b665
大塚ひかり(1961.2.7- )
「嫉妬と階級の『源氏物語』
新連載
『源氏物語』は「大河ドラマ」である」
『新潮』2023年1月号


https://note.com/fe1955/n/nd8f3acdc8bc1
大塚ひかり(1961.2.7- )
「嫉妬と階級の『源氏物語』
 第二回 はじめに嫉妬による死があった」
『新潮』2023年2月号


https://note.com/fe1955/n/n333db0b1fcbd
大塚ひかり(1961.2.7- )
「嫉妬と階級の『源氏物語』
 第三回 紫式部の隠された欲望」
『新潮』2023年3月号


https://note.com/fe1955/n/n124d45f52d2b
大塚ひかり(1961.2.7- )
「嫉妬と階級の『源氏物語』
第四回 敗者復活物語としての『源氏物語』」
『新潮』2023年4月号

https://note.com/fe1955/n/n942cb810e109
大塚ひかり(1961.2.7- )
「嫉妬と階級の『源氏物語』
第五回 意図的に描かれる逆転劇」
『新潮』2023年5月号


https://note.com/fe1955/n/ncc2837435432
大塚ひかり(1961 .2.7-)
「嫉妬と階級の『源氏物語』
第六回 身分に応じた愛され方があるという発想」
『新潮』2023年6月号

https://note.com/fe1955/n/nc07bb6cbfb99
山本淳子 (1960.8.27- )
『源氏物語の時代
一条天皇と后たちのものがたり
(朝日選書 820)』
朝日新聞社 2007年4月刊
305ページ

https://note.com/fe1955/n/nef8cb068b3ec
山本淳子(1960.8.27- )
林真理子(1954.4.1- )
『誰も教えてくれなかった『源氏物語』本当の面白さ
(小学館101新書)』
小学館 2008.10
192ページ

https://note.com/fe1955/n/n8a77c09049c5
山本淳子(1960.8.27- )
『私が源氏物語を書いたわけ
紫式部ひとり語り』
角川学芸出版 2011.10
253ページ

https://note.com/fe1955/n/nc3a1160a0123
山本淳子 (1960.8.27- )
『平安人の心で「源氏物語」を読む』
朝日新聞出版  2014.6
328ページ


https://note.com/fe1955/n/n27e6fad89d78
山本淳子(1960.8.27- )
『枕草子のたくらみ
「春はあけぼの」に秘められた思い
(朝日選書)』
朝日新聞出版 2017.4
312ページ


https://note.com/fe1955/n/nf22b8c134b29
三田村雅子(1948.11.6- )
『源氏物語 天皇になれなかった皇子のものがたり
(とんぼの本)』
新潮社 2008.9
『記憶の中の源氏物語』
新潮社 2008.10


https://note.com/fe1955/n/n2b8658079955
林望(1949.4.20- )
『源氏物語の楽しみかた(祥伝社新書)』
祥伝社 2020.12
『謹訳 源氏物語 私抄 味わいつくす十三の視点』
祥伝社 2014.4
『謹訳 源氏物語 四』
祥伝社 2010.11
『謹訳 源氏物語 五』
祥伝社 2011.2
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
「舟のかよひ路」
『梨のつぶて 文芸評論集』
晶文社 1966.10

https://note.com/fe1955/n/na3ae02ec7a01
丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)
「昭和が発見したもの」
『一千年目の源氏物語(シリーズ古典再生)』
伊井春樹編  思文閣出版 2008.6
「むらさきの色こき時」
『樹液そして果実』
集英社  2011.7



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