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丸谷才一「昭和が発見したもの」『一千年目の源氏物語(シリーズ古典再生)』伊井春樹編  思文閣出版 2008.6  「むらさきの色こき時」『樹液そして果実』集英社  2011.7



伊井春樹 編『一千年目の源氏物語(シリーズ古典再生)』
思文閣出版 2008年6月刊
2008年9月5日読了
https://www.amazon.co.jp/dp/4784214089
https://www.shibunkaku.co.jp/publishing/list/9784784214082/

「「私にとっての『源氏物語』、言わずもがな不動であり、なおかつ自在な存在です。千年前なのに、今と全く変わらない人間の姿に自らや周りを重ね、確認したり、「ああすればいいな」「こうすれば良かったかしら」と思ったりします。」加賀美幸子氏

「絢爛豪華な曼陀羅や尊像を並べて、そのエキゾティックな美しさに接しながら、その上でなお性的な欲望を超えていくことができるのかどうか、男であることをやめることができるかどうか、というところにいく。空海の目指した精神性の究極の目標がそこにあったような気がいたします。光源氏の愛、その内面生活というのは、そのような心的な態度や作法と似通ったところがあると思うのです。」山折哲雄氏

「自分が自然に対して頼むような文化で、非常に自然が中心なんです。日本はそういう社会としてずっと暮らしてきて、『源氏物語』もあれだけすごい文章ですけれども、やはり仮名で書かれた文章として成り立っているわけです。それで『源氏物語』を読みましても、自然というものは、非常に大きな力を持っていると思うのです。」中井和子氏

「中級の貴族たちの家がどうであったかというイメージは残念ながら漢文の史料からはほとんど知ることができません。ところが『源氏物語』を読みますと、まさにその中級以下の貴族の邸宅が、障子のあり方によってうかがえるように思います。」川本重雄氏

「日本の古典が海外の人にわかるはずはないとの先入観を、私どもはもはや破棄する必要があり、むしろ今後は積極的に広めていく努力をすべきだとも思います。作品が成立して千年過ぎようとも、そこには人種や文化・歴史を超えた人間共通のテーマが、汲めども尽きない源泉のように、読めば読むほど湧出してくるのです。」伊井春樹氏」

2007年9月22日に開催された国文学研究資料館主催シンポジウム
「一千年目の源氏物語」と、
2007年11月4日開催の思文閣出版・京都新聞社主催シンポジウム
「私の源氏物語」。

https://twitter.com/
で、この本を、検索しても、ほとんど誰も(私以外)、つぶやいていません。
2016年4月23日 
午前8:25 価格2円
https://twitter.com/brooklyniv/status/723653885227724800
http://james.bloten.com/product/book/4784214089/一千年目の源氏物語_シリーズ古典再生.html

以外には。

面白いのになぁ。
源氏物語千年紀の出版でしょうけど、京都の思文閣出版は、この本が全国の書店で売れるようなセールスをしなかったんでしょうか。

第一部 現代に生きる『源氏物語』の世界
大岡信「近江の君について」
岡野弘彦「「いろごのみ」の女神と光源氏」
丸谷才一「昭和が発見したもの」 
加賀美幸子「私にとっての『源氏物語』
シンポジウム「一千年目の源氏物語」
大岡信・岡野弘彦・丸谷才一・加賀美幸子、司会:伊井春樹

第二部 私の『源氏物語』
山折哲雄『源氏物語』の宗教性」
中井和子『源氏物語』と京ことば」
川本重雄「『源氏物語』と寝殿造」
伊井春樹『源氏物語』をめぐる人々」
シンポジウム「私の源氏物語」
山折哲雄・中井和子・川本重雄、司会:伊井春樹


丸谷才一(1925.8.27-2012.10.13)による講演
「昭和が発見したもの」
「日本の小説の読者が、一番するべきことは、『源氏物語』を原文で読むことですね。翻訳で読む、それはもちろんいいけれども、翻訳を横に置いて原文で読む。

ぼくが一番お薦めしたいのは、若菜から柏木まで、四巻か五巻くらいですかね、誰の訳でもいいですから横に置いて、場合によっては英訳でもいいです、それを横に置いて原文の『源氏物語』を読む。

そうすると小説というものの一番のありがたみが分かると思うんです。『源氏物語』という千年前の大長編小説を、学者でもないのに原文で読めるっていうのは、我々日本人だけですよ。我々日本の文学好きだけが許されているすごい特権で、この特権を使わない手はないと、ぼくは思います ……」p.111

ふ~ん、そ~ゆ~ものなのか、一度やってみようかなあ~と思いました。
いつになるか、分かりませんけど。

岡野弘彦(1924.7.7- )による講演
「「いろごのみ」の女神と光源氏」
「『源氏物語』の心を「もののあはれ論」によって説こうとする本居宣長に、共感とじれったさを感じた折口信夫が『源氏物語』の奥深くに流れている民族の伝承心理ともいうべきものをさして言う時には、「いろごのみ」という言葉を用いました。

「いろごのみ」という古代のやまと言葉は、「色好み」と漢字を宛てたり、さらに「好色」という漢語にふりかえたりすることによって、その内容が変り、時代が下るほど意味が下落する傾向があります
……
折口は「いろごのみ」の理想を、古代のやまと言葉の第一義を踏んで、わかりやすく説きました。

それによると、「いろ」というやまと言葉は「いろ夫(せ)」「いろ妹(も)」などというように、きわめて親愛な、理想の異性をさす言葉です。さらに「このむ」というのは、数ある中から、よきものを選ぶ、選択するというのが古意です。

「いろごのみ」はすなわち、理想の異性を選びとる情熱でありました。従って、後の「好(す)き者」とか、「好色」といった言葉とは、大きく違った内容を持っていました ……」 p.14

『伊勢物語』の業平もこのような意味での情熱家なのですね。

「そのころ[1957年]國學院大學で、予科のころから教えてくださった先生の中に佐藤謙三[1910-1975]という先生がいまして、その佐藤先生が僕に、
「岡野、丸谷が平安朝の和歌をもっと深く理解したいと言っているんだけども、話し相手になってやりなさい」と言った。
「丸谷はとにかく國學院の一番いい学問に触れたい、それは折口信夫の学問だと思う。まず折口信夫の和歌に対する理解力を学びたいと言っているんだ。君、話し相手になれ」。
折口先生亡き後はこの人と思った佐藤謙三先生がそんなふうに丸谷さんを推薦する。「分かりました」と引き受けるほかなかった。」p.103
岡野弘彦 「快談・俳諧・墓誌」
菅野昭正編『書物の達人 丸谷才一(集英社新書)』集英社 2014.6
http://www.amazon.co.jp/dp/4087207412


丸谷才一『樹液そして果実』集英社 2011年7月刊
福岡市総合図書館蔵書
2011年8月7日読了
2021年4月9日購入
アマゾン中古 600円 初版帯付き
https://www.amazon.co.jp/dp/408771408X
https://www.facebook.com/tetsujiro.yamamoto/posts/525171187557525https://www.facebook.com/tetsujiro.yamamoto/posts/5357555810985681

「[『新古今』時代の] 歌人たちは、時代が下つてかつての宮廷的なも
のの伝統がぐらつき衰へてきたとき、歌が詠みにくくなつたのを感じ、しかしそれでもなほ歌を詠まなければならないため、自分を『源氏』の作中人物に見立てて生活の演劇化を試み、様式美を整へ、そこから歌を詠んだわけです。

女につかはしける
皇太后宮大夫俊成
よしさらば後の世とだに頼めおけつらさにたへぬ身ともこそなれ

返し
藤原定家朝臣母
頼めおかんたださばかりを契りにてうき世の中の夢になしてよ

これは藤原俊成が、美福門院に仕へる女房、後に俊成の妻、定家の母となる人に言ひ寄つて拒まれたとき、贈つた歌
(大意「仕方がない。それならせめて来世で、と約束して下さい。冷たい仕打ちに堪へられず死んでしまふといけないから」)と、
それへの返歌
(大意「ええ、来世でとお約束しませう。ただそのことだけを二人の契りとして下さいませ。これまでのことは現世で見た夢と諦めて」)で、
実生活の恋歌のやりとりとしては日本文学最高のものかもしれない。
殊に双方の一句切れの応酬がすごい。
後鳥羽院が『新古今集』巻第十三恋歌三の巻軸に据ゑたのももつともな話です。

しかしかういふ名作が生まれるためには、男も女も『源氏物語』を日夜読みふけり、自分自身を物語の作中人物とすることに慣れてゐなければなりませんでした。」p.135
丸谷才一「むらさきの色こき時」
2008年10月1日、東京・世田谷文学館講演「源氏物語千年紀」
『文學界』2009年1月号 
『樹液そして果実』集英社  2011.7
https://www.amazon.co.jp/dp/408771408X

読書メーター 丸谷才一の本棚(登録冊数174冊 刊行年月順)
https://bookmeter.com/users/32140/bookcases/11091201

エクセルファイル "発表年月日順・丸谷才一作品目録.xls"
現在2990行
目次・初出・書評対象書を、単行本80数冊分他、
発表年月日順に並べ変えて編成中



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