ライスカレー100人前を注文!? トートバッグに文豪の逸話をこめて
昭和期に活躍した作家・坂口安吾ゆかりの、カレーにまつわる事件。文豪のおどろきエピソードをテーマにした、唯一無二のキルティングトートバッグが完成しました。
みなさま、こんにちは! 歴史と読書が好きなミュージアム部プランナー・ささのはです。
私はより多くの方々に本の世界、そしてそれらを生み出す作家たちに親しみを持っていただきたくて「文学作品」や「文豪」をテーマにした雑貨商品を企画・発表しております。
例えばこちらのnoteでご紹介しているのは、太宰治と中原中也のエピソードをモチーフに制作した「空に浮かんだ青鯖ポーチ」。
どことなく気難しそうで、取っつきにくい印象を持たれがちな存在・文豪。しかし実のところ彼らだってごく普通の人たちで、前述の青鯖発言でわかるように、人間味あふれるエピソードがたくさん残っているのです。
作品はもちろん、文豪たち自身が持つ不思議な魅力を、もっとたくさんの方々にお伝えしたい!
そんな想いから今回は「昭和に活躍した文豪・坂口安吾」と、彼の「カレーライスを100人前注文したエピソード」をご紹介します!
~坂口安吾とは~
新潟県出身。『堕落論』『桜の森の満開の下』『不連続殺人事件』などを執筆した、新戯作派(無頼派)を代表する作家。
のちに「ライスカレー100人前事件」と呼ばれる出来事が起きたのは、1951年11月のこと……。当時、とある事件(※)に疲れ果てた彼は、友人であり作家仲間でもある檀一雄の自宅に居候をしていました。
※とある事件については、記事の最後で詳しくご紹介しています
そんなある日、安吾は突然、自分の妻・三千代さんに「ライスカレーを100人前頼め!!!!!」と発言。
三千代さんが驚いて聞き返すも、「100人前と言ったら100人前だ!」と安吾は譲らず。仕方なく彼女は近所のお蕎麦屋さんと食堂に走り、言われた通りの注文を伝えました。
やがてライスカレーたちが次々と到着! 檀一雄宅の縁側や庭にズラリと皿が並べられ、その場にいた人々は庭の芝生に座りこみ、届けられる端からひたすらカレーを食べ続けることになったのだそうな……。
現実に友人・家族にされたら非常に困る言動、間違いなくトップクラス! でも正直に言うと、ちょっとその場に巻き込まれてみたかった&カレーがたくさん並ぶ壮観な光景を見てみたかったような気もする……!
現実には体験できないけれど、この逸話をモチーフに何かを作ったら、事件に立ち会った気分になれるかも!?
そんなことを考えて、「ライスカレー100人前事件」をモチーフにした、かわいらしいキルティングトートバッグを作ってみました!
どこまでもカレーライス柄ステッチが続く、唯一無二のデザインのキルティングトート。まさしく「ライスカレー100人前事件」をほうふつとさせるデザインに、心躍ります。
ひとつひとつ、ふっくらかわいい仕上がり♡
かつてこんなにカレー愛を感じるキルティング生地があったでしょうか?
アイテムそれ自体でも伝説のエピソードを表現したいと、私、随分悩みまして……。
カレーが出前として運ばれる際に使われただろう岡持ち(料理や食器を持ち運ぶための箱)から持ち手があって物を持ち運べるアイテム、「トートバッグ」に仕上げることに決めました!
「ライスカレー100人前事件」が起きたのは、終戦からまだ6年目のこと。当時の精米技術や食糧事情を鑑み、精米歩合少なめ=糠などが落ち切っていないお米をイメージした生成カラーのボア生地を、パイピングに採用しました!
エピソード満載トートは、底まちがたっぷりあって収納性も抜群♪
ちょっとそこまでのお出かけはもちろん、お弁当箱や水筒を入れて、ランチバッグとして使うのもオススメです!
内側には文庫本が一冊入る、縦長ポケット付き。ここは是非、坂口安吾の著作を入れたいところです。
「お気に入りの本をカレートートに忍ばせて、行きつけのレトロな喫茶店でのんびり読書」なんて、素敵な休日を過ごしてみませんか?
バッグ正面の右下には、特製デザインのタグを付けています。
「Rice Curry 100ninmae jiken(ライスカレー100人前事件)」の文字入りで、いつでもどこでも大好きな作家の逸話を布教できちゃいます◎
エピソードや作家にまつわるモチーフをぎゅっと詰め込んだ、特別なキルティングトートバッグ。
実用的かつかわいらしく見えるこのバッグをきっかけに、魅力的な作家たち・そして彼らの作品に興味をもってくださる方が、もっともっと増えますように!
〈「ライスカレー100人前事件」に至るまで〉
1946年に発表した随筆『堕落論』などをきっかけに、一躍流行作家となった坂口安吾。彼は次々舞い込む執筆依頼に必死に応えようと、覚醒作用がある薬剤や睡眠薬に頼る日々を送っておりました。
やがて心身ともに不安定になり、限界を感じた安吾は療養生活に入ることを決意し、1949年に静岡県・伊東に移住。新たな家から歩いて行ける距離に競輪場があり、安吾はいそいそと散歩に出かけては、レース観戦を楽しむ日々を送るのでした。
しかし、1951年9月に行われた競輪レースをきっかけに事態は一転。
彼は該当のレース結果について「競輪界の権力者が、民衆を欺く八百長行為・着順不正を指示したのではないか?」と疑念を抱き、検察庁に告発したのです。
安吾の思いとは裏腹に、彼が不正と考えた案件は、のちに嫌疑不十分で不起訴処分に。そして告発をきっかけに、安吾は各種方面に敵を作ってしまいました。
療養のためにやって来た土地で再び心身ともに疲れ果て、同時に身の危険を感じ始めた彼は、伊東から転出。安寧を求めさまざまな土地を転々としたのち、三千代夫人とともに、友人・檀一雄宅へと向かいます。
それは「ライスカレー100人前事件」が起きる、約1か月前のことでした。
~もっと作家・作品に触れたい方へおすすめ~
実際にプランナーが訪れた、
作家ゆかりのミュージアムその他の紹介コーナー
・坂口安吾生誕碑(新潟・新潟市)
新潟大神宮の敷地内で、生誕碑に出会いました。すぐ近くには少年時代の安吾が学校から逃げ出しては足を運んだ浜辺・寄居浜、そして彼が眺めた日本海が広がります。
・安吾がカレーを注文した2軒のお店(東京・石神井)
①辰巳軒
当時、安吾の無茶な注文に応えたと言われるお店は今も元気に営業中!
実際にカレーライスをいただきました!
どろりと濃厚なルーがご飯にしっかり絡んで美味しかったです^^
②ほかり食堂
辰巳軒のすぐそばで営業されていたお店。私が伺った後、非常に残念ながら2022年に閉店されたようです……。黄みがかったルーが特徴的なカレーは、昔なつかしの美味しさでした!
・稲荷凰庵 安吾(京都・伏見)
安吾が一時期住んでいた家を改装した、伏見稲荷大社付近のきれいな京町家に宿泊しました。
安吾は1938年、31歳の時に京都に一時期下宿。ここで長編『吹雪物語』を執筆したそうです。
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