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ユニークさの継続は「商材」からの脱却

BMWのオートバイ

さっきコンビニの駐車場にBMWのオートバイが止まっていて、ずいぶん尖ったデザインになったなあと思ったのですが、エンジンを見ると水平対向ツインなんですよね。

水平対向ツインエンジンは昔からBMWのエンジンの特徴なのですが、一般的なエンジンは、シリンダーが縦置きでピストンが上下に動く仕組みですが、水平対向は横置きでピストンが水平に動くのです。
したがってエンジンのヘッドがオートバイの左右に出っ張る形になって、ある意味スマートではないのですね。

元々はおそらく、振動の問題や、重力の関係でオイルが上に回りにくいという問題を、シリンダを水平に置くことで解決したのだと思うのですが、比較的早くからそのような問題は解決されていたので、今、無理に水平対向である必然性もないはずなのです。

必ずしも合理的ではないものが、世界中の一定のユーザー層に支持されていることの典型かもしれません。

スーパーカブ

ホンダのスーパーカブは、前身が単なる「カブ」だったと思いますが、燃費の高さはずば抜けていて、1リッターで100kmぐらいは走れるのですね。そういう「実用車」として古くから使われ続けています。
今は趣味的な要素も取り込んでおしゃれなデザインになっていますが、基本的なフォルムやコンセプトは変わっていないと思います。

日本の製品の中でイメージも役割も変わらないで存在し続けている製品はかなり少ないと思いますが、スーパーカブは稀有な例だと言っていいのではないでしょうか。
ただ、スーパーカブは先のBMWと違って、効率化・最適化された末のある種の理想系でしょうし、スーパーカブに不合理な部分というのは探せないかなと思ったりもします。

つまりユニークというよりはスタンダードになっているんですね。

ユーノス

80年代にマツダが「ユーノス」というブランドを展開したことがあって、ユーノス店というものも存在しました。

個人的な話で恐縮ですが、僕はユーノスの「プレッソ」という車種をディーラーで見て一目惚れして購入したことがあるのです。
スポーツカーっぽくスタイリッシュで内装も良く、エンジン音も心地良かったのですね。
ユーノスの倶楽部のようなもの(たぶんプロモーション)まで存在していたのですが、プレッソはその時代だけで終わりました。あとはマツダブランドで車種名を変えて少し続いていたぐらいです。

他にもユーノスには「ロードスター」がありました。これは今のマツダ・ロードスターの前身です。
こちらはとてもヒットして、その後も愛好者の活動が盛んになり、今に至るまでとても長く続いていますね。

スーパーカーブームでも
日本のスーパーカーは無かった

中学生ぐらいの時だったような気がしますが、スーパーカーブームがありました。海外の市販スポーツ車の最高峰として「スーパーカー」が位置付けられていました。
具体的な車種(メーカー)ではランボルギーニやフェラーリやポルシェなど。
でも日本のスポーツ車にはスーパーカーはありませんでした。今でもありませんね。一方、海外のスーパーカーはランボルギーニにしてもフェラーリにしても、相変わらず世界の人気スポーツカーとして君臨しています。

日本にユニークな製品が生まれにくい・続かない理由

上記の話以外にも、クルマの話や、オーディオや家電製品、インテリアの話など、いろんな話をしたいのですが(笑)とても長くて本題に入れなくなるのでバイクとクルマの話だけに留めます。

かつては工業立国とさえ言われて、それが経済に大きな影響を持っていた日本ですが、ユニークな製品は生まれにくかったし、生まれても続かないことが多かったと思います。
確かに全ての企画が成功するはずもなく、所詮、一部のものだけが成功して世の中に広く認知されることになるわけですが・・

なぜそういうことになっているのか、思い当たることを箇条書きにしてみます。現在とこれからに関しては必ずしも当てはまらないかもしれないので、過去形にしています。

過去にユニークな製品が続かなかった理由

  1. 製品を経済のために開発していた

  2. 性能を追求した(実用性とスペック訴求)

  3. 常に製品単位で採算性を考えていた

  4. 初めから世界市場を考えていなかった

  5. ユニークな発想をするデザイナーや設計者を育てる経営者がいなかった

  6. 多数決主義だった

こんなところでしょうか。一言で言うと

経営者(陣)のマインドの問題

のような気がします。それと

少数派のユーザーを切り捨ててきた

裏切ってきた、ということも言えるかもしれません。
少数派向けの商品を温めるという風土が無かったと思います。
なぜそうなるかというと、日本だけの市場だからなのでしょうね。

世界を視野に入れれば少数派でもものすごい数の市場がありますし、少数派にも明確な理由や本質はあるのです。そこをターゲットにすれば長い間の継続した展開も可能なはずだったのですね。
日本だけで展開する限り、少数派を切り捨てるのは必然だったのかもしれません。

「商材」からの脱却

メーカーの中では、商材という言葉を嫌う傾向があると思います。
確かに商売のために作った製品ではありますし、社内教育等でも製品と言わず「商品」と呼ぶことを促されるケースもあると思います。

けれども、メーカー企業としてのポリシーを考えるときに、果たして「商材」というニュアンスの捉え方をしていいのか?という疑問はありますね。
商売、商売、と言わなかった時代の方がユニークな商品は沢山あったような気もするし、ブランディングも確固たるものがあったような気がしているのです。

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