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僕が80年代音楽を愛する理由

誰でも若い頃に聴いた音楽は一生、心に残ると思います。
それは僕も同じで、自分がいちばん若くて自分の意思で自由に行動できた時期が1980年代で、かつ、あの頃はJPOPが隆盛を極めていました。
ソニーのウォークマンに象徴されるように、どこにいても常に音楽を聴いている、音楽と一緒に生活をしているのが若者のトレンドでした。

自分のなかの美しい体験と同期する

1982年に僕は京都の大学に入り、それまでの自宅ローカルでの暮らしから一気にさまざまな人種(日本人)と交わる生活に移行しました。
京都という町は全国から人が集まっていて、キャンパスにも各地から来た学生が溢れ、初めて聞くような方言にも触れられました。

そこでブルジョワの卵みたいな裕福な連中から刺激を受け、我を見失い(笑)3段階ぐらい意識がアップグレードされたように思います。

4年間の学生生活を終えた1986年に、僕は東京の会社に就職しました。
その会社の居心地が大変によくて、職場や同期の人たちの仲がよく、休日には一緒に遊びに行くことも多かったのです。
職場の旅行も一般的に行われていましたが、うちの職場は必ず冬に苗場スキー場に行っていました。

人生初めてのディスコ体験も六本木。
そういうところに通っている友達に誘われて、職場の仲間(笑)と男女のグループで出かけました。

空前のスキーブームとリゾートブームで、とにかく休日にレジャーに出かける機会が多く、クルマには必ず音楽カセットやCDを積んでいました。
80年代はレコード&カセットからCDへの移行期にあり、クルマに搭載するオーディオもカセットから6連装などのCDチェンジャーへと移行しつつあった頃です。

レコードは一気にCDに移行しましたが、カセットはクルマで聴く需要が長く続き、レンタルレコードやレンタルCDを借りてきてカセットにダビングし、自分のお気に入りの音楽をクルマに持ち込むことが一般的でした。

記憶の定着

1992年に個人的な都合で会社を辞めて、関西に帰ってきました。
べつに東京が嫌になったわけでもなく、素敵な仲間とは一緒に居たかったのですが、先のことを考えるとそうした方がよいと自分的には思っていたのでしょうね。

しばらくは喪失感を抱えながら生活をしていました。
新しい職場ではプライベートな人間関係はなかなか出来ず、会社は本当に仕事だけを一生懸命やる場所になりました。
90年代後半は、インターネットでスキーサークルを作り、冬の休日はスキー仲間と戯れていました。

ふとした時に思い出すのはいつも、80年代の東京での暮らしと、仲間と、その頃の音楽でした。
自分はあの頃が一番、輝いていたし、思い出も多く楽しかったなという気持ちがずっと拭えませんでした。
気持ちを素直に言えなかった女性のことなども思い出したりして、僕のなかでは 東京 = 80年代 = 素敵な想い出 というイメージが完全に定着していましたね。

日常がなにかつまらないと感じた時に、いつも80年代のことを思い出していました。好きな音楽もやっぱり80年代のもの。
それは今も変わりません。

現在は YouTube があって、80年代の音楽で自分が聴いたことがない音楽にも簡単に触れることができます。
そうすると、聴いたことがないのに懐かしい感じがするのです。あの頃の世の中の空気感が、その音楽に感じられるから。

音楽というのは時代を反映するし、イメージとなって心に焼き付くのですね。だからどうしても年代と音楽は一体化してくるし、自分の世代的な体験とも重なって保存されるのです。

だから、いま僕が note を使って相変わらず80年代がどうのこうのと言っているのは、いまが静かな80年代ブームだからではなく、昔から同じことをどこかで言ってきているのです。
一つ違うことは、シティポップが流行ってしまったということと、シティポップというキーワードであの時代の音楽を捉えることができるようになったということでしょうか。

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