毒親育ちメンヘラ女子の恋愛模様
毎日更新へのこだわりを緩和したら、全然更新できなくなって、気づけば2週間も経っていました。
この2週間、本当にいろんなことがあった…
・・・
彼氏と、些細な出来事があって、わたしのメンヘラが爆発した。
自分の家族とのことでもいろんなストレス要因があり、激病みしていたが、彼氏はそのLINEを既読スルー。
そもそも、この人は本当にわたしのことが好きなのか?
将来を考えて付き合ってくれているのか?
特段別れる理由がないから惰性で付き合い続けているだけなんじゃないか?
もう別れよう。こんな人と付き合ってる意味なんてない。
もういい。
無駄に期待をして、裏切られて傷つくくらいなら、最初から期待しなければいい。最初から「ない」と思えばいい。
なにも言わず、相手の人生から消えよう。
そんなことまで考えて、女友達にLINEで相談したりして、みんなに「それはないわ」「別れた方がいいんじゃない?」と言われ、「そうだよね」となって、固まっていく別れる決意。
でも。
別れたくないと思う自分もいた。結局、なんだかんだ、好きなんだ。どうしようもなく。期待もしてしまうんだ。好きだからこそ。
そして、「お互いに冷めてきたり、別れたいってなったら、勝手に決めるんじゃなくて、まずは話し合いをして、その上でふたりでベストな選択を選ぼう」とふたりで復縁したタイミングで決めていた。
なので、話し合うことにした。
彼は将来的には同棲・結婚を前提に付き合っていると、ちゃんと言葉にしてくれた。
「というか、そもそも好きじゃなかったら、付き合ってないし。付き合ってるっていう時点で、好きじゃん」と。
そんなのわかんないよ!
って思ったりもしたんだけど。
でも、そうやってはっきりと言葉にしてくれて、わたしも心がほっとした。
やっと、自分の立ち位置が理解できた感覚。
メンヘラと被害妄想を爆発させたまま、勢いで一方的に別れなくてよかった。
・・・
今回のことで気づいたことがふたつ。
ひとつ目は、自分にとって仲がいい子たちっていうのは、自分と基本的な考え方や価値観のベースが同じなので、自分と同じような意見しかもらえないということ。だからこそ、自分とは考え方や価値観が違う人の考え方を聞くことも大切だということ。
わたしの親友たちは、男も女もみんな、「寄り添い力が足りなさすぎ。別れろ」という感じだった。
が、彼と共通の男友達に同じことを質問してみたところ、
「客観的にみて、つむはちょっと重いよ。
好きじゃなかったらそもそも付き合ってないんだから、男からしたらわざわざ確認しなくても良くない?って思うよ」
「彼も今事業を起こしたばかりで、手一杯なのは理解してあげてほしいと思うよ。それで将来どうする?って聞かれても、あいつの性格的に『わからない』しか返せないでしょ」
と言われた。
そうか。
確かに、そういう考え方もあるし、そういう事実もあるし、男側の目線からしたらそうなるよな、と納得した。
年の差カップルなので、世代感が違うのもあるのかもしれない。
年齢はそんなに離れていないけれど、業界的にガッツリ昭和男児の彼と、性格的&業界的に令和よりのわたし。
その辺りの価値観の違いをちゃんと客観的に伝えてくれる、こういうニュートラルな存在って、大切だ。
ふたつ目は、わたしが彼に対してかなりメンヘラで、不安が強くて、依存心が強いということ。
どれだけメンヘラで不安が強いかというと、昨日の今日ですでに「昨日言ってくれたことは、本当に本心だったのかな…?その場を納めるために適当に言っただけなんじゃないかな?」と疑いの気持ちが湧いてくるレベル。
そりゃあ、相手からしてもしんどいよなって思う。
何度言っても信用してもらえなくて、不安になられて、何度も同じことを聞かれて、何度もメンヘラを爆発されて。
今は人生の中でも特にわたしのメンタル・生活が共に不安定になっている時期というのもあって、彼と一緒にいるときのわたしは、自分の一番弱くて脆い部分を曝け出しまくっている。
というか、彼の前でしか、その姿を見せることができない。家では、ママとして、頑張ることにエネルギーを注いでいるから(それでもだいぶ、力を抜いて等身大の子育てができるようにはなってきた)
病院の先生にも「おそらく診断名をつけるなら、不安症になるかと思います」と言われている。お墨付きだ。
今回のことで痛感したことがある。
それは、わたしが恋人に対して「お母さん」を求めているということだ。
母親が子どもに与える無償の愛。寄り添ってくれて、抱きしめてくれて、何度でも安心できる言葉をかけてくれて、自分のことは全部ほっぽって、ちゃんと向き合い続け、愛を降り注がせ続けてくれるような、そんな「理想のお母さん」。
それを、わたしは彼氏に求めていた。
なんなら、お父さんも、親友も、恋人も、全部を彼ひとりに求めていた。
それはなぜって、わたしにはお父さんはいたことがないし、お母さんからは条件付きの愛しかもらったことがないから。
だからこそ、自分の子どもを育てる中で、より「お母さんに与えてもらえなかった無償の愛」を痛感してしまって、その寂しさを彼に埋めてもらおうとしていた自分に気づいた。
結局、やっぱり自分なんだよなって。
不安になることなんてないはずなのに、不安材料を自分から探しに行って、不安になる。それは、「不安じゃない状態」の方が自分にとってはイレギュラーで、「不安な状態」の方が親近感があって、安心するからだ。
そのループから抜け出したいなと思う。
そして、こんなわたしに忍耐強く、信じて、待ち続け、見守り続けてくれて、付き合い続けてくれている彼は、本当にありがたい存在だなあ、と改めて思った。
価値観や考え方が違うからこそ、ぶつかることも多いし、「わからない!」ってなることも多いけど。こうやってなんだかんだで話し合って、対話を重ねて。少しずつお互いのことを理解しあって。新しい価値観や考え方、視点をお互いから学びあって。
そんな感じで、一緒に成長して行けたらいいなぁ、と思う。
ひとまず、彼とのことは、ひと段落。
遠い昔に読んだマンガか小説の中にあった言葉だ。
ずっと、お守りのようにわたしの胸の中に大切にしまっている。
信じると決めること。
そして、最後まで信じきること。
わたしに圧倒的に足りていないのは、相手のことを信じる勇気。
そのことに気づけてよかった。
だから、ここで宣言しようと思う。
わたしは、彼の言葉を、信じる。
それがたった一回だけしか言ってくれないものだとしても。
その一回に、彼の気持ちがすべて詰まっているのならば。
その気持ちを、想いを、言葉を、信じる。信じ続ける。
メンヘラの恋愛って、結局は自分自身との闘いだなぁ、と思う。
闘いっていう言葉はちょっと違うかもしれないな。
でも、古い自分のパターンに気づいて、そこと向き合って、そして変わっていく。
そういう意味で、自分との闘いだなぁと思う。
がんばれ、自分。
そして、そんなメンヘラで不安症で、豆腐メンタルで、依存しちゃいがちな自分も、認めてあげて、受けいれてあげて、優しく抱きしめて愛してあげたいな、と思う。
サポートしていただいた方のことは忘れません