星廻エト

Vsinger。 作品の制作秘話や日頃考えていることなど、明るくない内容も多く含まれま…

星廻エト

Vsinger。 作品の制作秘話や日頃考えていることなど、明るくない内容も多く含まれますが自分自身のことを書いています

最近の記事

「可愛いもの」と私

可愛いものを可愛いと素直に思ったり手に取ったりできるようになりたい。 「可愛い」にも色々あるけど、ここでいう可愛いとはいわゆるガーリーなもの、スカートやドレスにフリルやリボン、そういった類のもの。 誤解しないでほしいのだけど、これはよくある「普段ボーイッシュなファッションをしている子が本当は可愛いものに憧れている」みたいな話ではなくて。 まあ、それを話すにはまず私が今のファッションに至るまでの話をしていく必要があるだろうか。 まず、私は男性でも女性でもない、無性別だ。 今の

    • こんなに脆いものに

      好意なんて、人間の感情の中で一番脆い。 敵意や憎しみは永遠にだって続くのにな。 どうやら私以外の人間の言う「好き」はとても軽くて一過性のもので、挨拶がわりみたいなものらしい。 彼らにしてみれば、私の好意は重すぎるようだ。 ずっと大好きだよ、仲良しでいようね、と言っていた友達もほとんどが消えた。次は誰が離れていくんだろうなんて思ったりもする。 ねえ人間達、頼むから私に気軽に好意を渡さないでくれない。 馬鹿正直に信じてしまうし、好きになってしまうし、私だけずっと好きなままで、失

      • オリジナル曲「楽園まで」解説

        人は死ぬとどこに向かうんだろう。 そこには楽園があるのかもしれないし、なにも無いのかもしれない。 本日公開された星廻エト3rdオリジナルソング、『楽園まで』は、私自ら作編曲を行ったものとしては2作目となる。 MIXとguitarはいつもお世話になっている柳澤奈緒樹さんに、動画はお馴染み屍野シノネにそれぞれ担当していただいた。 今回はタイトルロゴ(ただの手書き文字なのだけど)と、MVイラストも自ら担当した。 イラストと詩と曲、そして歌声を使って、拙いながらも描きたかった世

        • 『ほしのね』の解説 星廻エト視点

          ※Vtuber同士の交際の話、前世の話、同性カップルの話が含まれます。それらが苦手な方は閲覧非推奨です。 先日、現在同居中の私のパートナー・屍野シノネが、こういった( https://t.co/yrv1ow9e0f )記事を書いていたので私視点も書いてみることにした。 出会いから今に至るまでの経緯については概ね向こうの書いているとおりになるので、そちらを参照されたい。 私視点のほうでは主に感情面の話をしていこうと思う。 まず、私のシノネに対する感情は「好意」という言葉だ

        「可愛いもの」と私

          繰り返し死んでいる

          連日の悪夢で参ってしまった。 夢の中で私は学校にいることが多くて、そこは誰一人味方のいない世界。 周りじゅうみんなが私に消えてほしいと思っているか、あるいは存在の拒絶にも等しい無関心か、そのどちらか。 彼らはその共通の意識でもって、強く結束している。 まったく、現実とそっくりそのままだから困る。 私にとって、他人とは、世界とはそういう場所だった。 きのう、夢の中で窓から飛び降りて死んだ。 美術の授業中のことだった。 絵が思うように描けないことも、皆が私の作品を蔑むのも苦し

          繰り返し死んでいる

          「死にたい」なんて言っても

          結局人望次第なんだ、信じてもらえるかどうかは。 どれだけ周囲から愛されているかで言葉の重みが決まる。 だから、私が「死んでしまいたいほど辛いな」なんていくら口にしてみても、本気にしてはもらえないのは仕方のないことなんだ。 言葉にして、文字にして、体を傷つけても呼吸を止めてみても信じてもらえないことが、悔しい。 だって証明するには死んでみせるしかないのだ。 それができない意気地なしだから、いつも無様に生き延びてしまって、その度に周りに呆れられて、そのうち誰も信じなくなった。

          「死にたい」なんて言っても

          悪いのは

          自分が本当は何をしたくて、何が欲しくて、どんな人間でありたいのか、全部わかれば良いのに。 誰かを救えるような歌が歌いたかった。 その歌がたった一人にでも届くならそれでいいと思っていた。 別に何度も聞いてくれなくたって、私自身のことまで好きにならなくたって、ほんの一瞬、その歌を聴いてくれている間だけでもなにかが満たされたり、癒されたり、救われてくれるなら、十分に報われる。 少なくとも、そういうことを言える人間であれたら良いと思っていた。 でも実際のところは、わかりやすい形で

          悪いのは

          潮時

          結構真剣に、潮時なのかもな、と思っている。 今まで目を背けていたけど、この数ヶ月自分よりずっと活躍しているVtuberさんたちを見てきて、一瞬でもそんな世界に足を踏み入れて、輝いているものをいやというほど見てきた 誰かにとって、大勢にとって、輝いているとはこういうことだよというお手本を見せられて、 ああ、私は輝いてはいないのだ、と思い知らされて 届ける必要や価値がある、自分でそう思えるものを作れない。 私が個人で届けられるものってなんだろう、それは大勢に届ける価値のあるも

          逃げようか?

          グラグラの足場に立ってる もう自分で決めた存在意義とか使命感とかあるべき姿とかぜーーんぶ捨てて、何もかもやめにして、 これからはただ歌いたい歌を歌って、やりたいことだけやって、みんなとただ楽しく遊んで、苦しいことはなんにも考えずに、嫌なものはなんにも見ないで、価値とか意味とか全部放り出して、 そんなふうに生きてしまおっか でもきっとそれじゃだめだよね きっといつかそんな自分を許せなくなる 私は私から逃げたくないけど 私でいることにちょっと疲れてしまったよ

          逃げようか?

          幸せという麻酔

          幸せって一時的に苦しみを麻痺させる鎮痛剤で、優しさとか大切な感情とかも鈍らせて見えなくしてしまう 自分が一瞬満たされてそれでいいやって鈍感になってしまう そんなものをどうして人は求めて、大切な人に与えたいと思ってしまうんだろう 痛み止めもなしに生きていくのはあまりに苦しいからかな ↑ツイートした文章そのままなのですが、すごい腑に落ちるなと思ったので見返せるようにメモしておきます 私はみんなに痛み止めをあげたいし傷口を優しい言葉と歌で包んで麻痺させてあげたいけど、それをする

          幸せという麻酔

          幸せになりたくない

          歌いたい歌が少なくなった。 作りたいものも焦りもいつのまにかどこかに消えた。 創作や表現へのモチベーションが足りないという状態。 疲れているのかな、とか、そういう周期なのかな、とか考えてみたけど、ひとつ心当たりがある。 満たされてしまったのかもしれない。 思い返せばずっと孤独だった。 いつも心に穴が開いていて、満たされなくて、何をしていても寂しくて不安で。 安心とか幸せとか、どこか遠い世界の話だった。 でも今の私はどうだろう。 Vtuberをやっていて、引退(本人も望まな

          幸せになりたくない

          みんなへ

          私を見つけてくれたみんなへ 私が星廻エトとしてこの世に生を受けて3年と半年が経ちました たくさんの出会いと別れがあって、失うものもありましたが得たものもたくさんありました 他の人と歩みの速さを比べて落ち込むこともありましたが、本当はそんなことはどうだってよくて、私は私を見てくれるみんなが、私の歌や配信やツイートで笑ったり泣いたりしてくれることが何より幸せでした みんなのことが大好きです あなたのことが大好きです きっと最後まであなたの顔を見て話すことはないけど、それでもこ

          みんなへ

          人が人を虐めるとき

          人間が人間を虐めるときの感情って、一つ残らず嫉妬なんじゃないかと思う。 まあ、もっと単純に弱い立場の人間をいたぶるのが楽しいとかいう原理でそれを行う人もいるけど、それは動物的な衝動であって「感情」とよぶにふさわしい人間的な動機ですらないと個人的には思う。 で、人が誰かを虐めてやりたい、と思うとき、言い換えればその人の尊厳を奪いたい・その社会の中での地位を潰したいと思うときは、何かしら相手に対して「ずるい」「羨ましい」という感情が根底にあるように思う。 それに自覚的なうち

          人が人を虐めるとき

          理想と見積もり

          人間のことを好きになろうとするたびに人間が嫌いになっていく。 この世には治安の良い場所も悪い場所もあって、家庭や学校のクラスのようなごく小さなコミュニティであってもその差は千差万別だと思うんだけど、仮に人類全体として見た時の善悪のスコアを50ぐらいとした場合自分はどの位置で生きてきただろう? きっと80ぐらいのときもあれば20ぐらいのときもあって、平均して50ぐらいにおさまってるんだろうか。 生きてきた環境のスコアが低いほど苦しいのかといえば、それはもちろん生きづらいだろ

          理想と見積もり

          人の気持ちがわからない

          昔から他人の気持ちがわからない。 想像できないというのとはちょっと違って、想像はするんだけどその前提が間違っている感覚。 なんというか自分と他人の間に境界がない、切り分けが出来なくて、相手の気持ちを自分の気持ちとして考えてしまうからで きっと私の思考のプロセスが「この人ならどう考えるか」ではなく「私がこの人の立場だったらどう考えるか」だから、それは前提となる主体が「私」になるから間違ってしまうんだと思う。 自分と全く違う原理や思考で生きてる人間のことがどうしてもわからな

          人の気持ちがわからない

          バーチャルな命のリアル

          最近本当にインターネットで生きているなと感じる。 もちろん"V"singerとして活動していても、リアルな肉体の生活はあるわけだけど、自分の中ではそちらがサブという感覚がとても強くて、むしろインターネット上に存在する人格のほうが本質なのだとすら思う。 星廻エトとして存在することも曲を作って歌を歌うことも、三次元的な肉体がないとできないことのはずなのに、それらの実績はネット上にしかなくてそれを観測してくれる人もネットを介してしか触れることができない。私にとってはどちらも現実で

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