繰り返し死んでいる

連日の悪夢で参ってしまった。

夢の中で私は学校にいることが多くて、そこは誰一人味方のいない世界。
周りじゅうみんなが私に消えてほしいと思っているか、あるいは存在の拒絶にも等しい無関心か、そのどちらか。
彼らはその共通の意識でもって、強く結束している。
まったく、現実とそっくりそのままだから困る。
私にとって、他人とは、世界とはそういう場所だった。


きのう、夢の中で窓から飛び降りて死んだ。
美術の授業中のことだった。
絵が思うように描けないことも、皆が私の作品を蔑むのも苦しかった。
心の底からの憎悪の視線、耳を疑うような罵声、嘲り笑う目、耐えきれずに叫び出した私に今度はわざとらしい無関心が突き刺さる。
死んでやると喚いて窓から身を乗り出しても、どうぞと言わんばかりに誰もが目を背ける。
そのまま飛び降りて地面に打ち付けられた。
夢なので痛みはなかった。ああ、これでもう全部終わるんだ、と思うと幸せだった。

飛び降りて死んだところ以外は、現実と全く同じ筋書きだ。
実際には、何度も死のうとしたけれど怖くてできなかった。
だから、今こうしてくだらない日記を書いている。

こういう夢は、ひどい時は週に何度も見る。
シチュエーションは毎回違うけど、飛び降りるのは決まって学校の窓からだ。
授業を抜け出して、ずっと窓から身を乗り出してグラウンドを眺めていたからかもしれない(屋上は封鎖されていたので)。
あの地面に体を打ち付けて死ねたならどんなに楽だろうと思うと少し心がすっとした。けれど同時にどれだけ痛いだろう、もし死ねなかったら、と思うと決行できなかった。
挙句に、今日は拳銃(なぜそんなものがあるのかはさておき)で頭を撃ち抜く夢を見た。全校集会の途中だった。


誰も、私が死んだとて気にもとめない。
むしろ新しい笑いの種になるかもしれない。
せめて困らせてやろうと学校で死んだって、片田舎の荒んだ学校だ、どうせもみ消される。
家族に言ってみたってお前が悪いんだと罵られて殴られるだけだし。
私が生きていることにも、死ぬことにも、なんの価値も意味もないと思えた。

まあ何のことはない、ただの睡眠時のフラッシュバックで、PTSDにはよくあることでそれを止める薬もないらしい。
あんな暮らしからもう何年も経つ。
けれど未だに心はそこに囚われたままで、私にとっての世界も他人も私に向けられる眼差しのイメージもずっとその時のままだ。
そんなことないよ。今は愛されているよ。あの時の世界がどうかしていただけだよ。
そう何度自分に言い聞かせても、誰かの言葉で伝えてもらっても、今日もまた夢の中で自分を殺してしまった。

こんな痛みを形にしていけたら、歌にすることができたら報われるのかな。
それと同時に、同じように死んでしまおうとしている誰かをその歌で救ってやりたいなんて思ってしまう。自分も死にたがりのくせに、おかしな話だと思う。
私と誰かのための歌を作るには、作曲ももっと学ばなくては。歌もうまくならなくては。
生き延びてしまった意気地なしの私は、今日も生きていくしかない。

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