幸せになりたくない

歌いたい歌が少なくなった。
作りたいものも焦りもいつのまにかどこかに消えた。
創作や表現へのモチベーションが足りないという状態。
疲れているのかな、とか、そういう周期なのかな、とか考えてみたけど、ひとつ心当たりがある。
満たされてしまったのかもしれない。

思い返せばずっと孤独だった。
いつも心に穴が開いていて、満たされなくて、何をしていても寂しくて不安で。
安心とか幸せとか、どこか遠い世界の話だった。
でも今の私はどうだろう。

Vtuberをやっていて、引退(本人も望まない、やむを得ない事情がある場合を除いて)をする人というのが私には不可解だった。
表現したいものがなくなったのか、理想との違いに失望してしまったのか、飽きてしまったのか、あるいはVtuberとして追い求めるものが違ったのか、さまざまだろうけれど私はきっと辞めたくなることはないだろうなと思っていた。
私は自己表現のためにVtuberという在り方を選んだ。
私には言いたいことがたくさんあって、伝えたい想いも言葉も歌いたい歌も、なくなることはないと思っていた。
いろんな方法で、誰かの音楽を借りてでも、この先何年も何十年もかけて痛みを作品にしていくと思っていた。
きっと、死ぬまでこの孤独を歌い続けるんだって思っていた。

だけどもしかしたら、私にはもう表現したいものも、私が絶対に世に出さなければいけないんだと思うほどの強い感情も無くなってしまったんではないか。


私がバーチャルな存在として表現をすることを選んだ目的は、「かつてそこにいて欲しかった誰か」という存在を創り上げることだ。
私の痛みも絶望も受け止めたうえで「もう大丈夫だよ、生きていていいんだよ」って抱きしめてくれる誰か。「こんな場所から逃げ出そうね」って手を引いてくれる誰か。「きみのことを愛してるよ」って私のために歌ってくれる誰か。
その誰かに私自身がなりたいと思った。
だから星廻エトはそういう存在で、そんな誰かを求めている人のために歌っていた。

そのモチベーションが少なくなっているのってどういうことなんだろう、って向き合ったときに、ふと思った。
もしかして、自分で創り上げたいとまで思ったそんな「誰か」を、手に入れてしまったからじゃないか。

幸せになってもいいんだよと言ってくれるリスナーがいる。
いままで辛かったねと慰めてくれる友達がいる。
これからたくさん楽しいことをしようねと言ってくれる仲間がいる。
ずっとそんな幸せがほしいと思っていた。
私はそれを手に入れて満たされてしまったんじゃないか。

そんなの裏切りじゃないか。
自分だけ勝手に満たされて幸せになって、過去の自分すら裏切って、全部捨ててのうのうと生きるなんて。

誰かに愛されて、赦されて、安心して穏やかで、それは一見とても素晴らしいことのようだけれど、

痛みや苦しみを忘れて、言いたいこともなくして、過去の自分のことも救いたい誰かのことも忘れて、そんなふうに自分だけ救われて、

それなら幸せになんてなりたくない。


まだまだ、これからやっと始まっていくんだってところなのに。
歌だって全然出せてないし、曲も一曲しか作れてない、形にできてない物語も気持ちもたくさんあるのに。

この先どんな人生になっても、私はずっと傷ついて孤独を抱えた誰かの味方だって本気で思っていた。
この痛みは消えることはないし、それこそが私たちを繋ぐ絆なんだって、だからずっと痛み続けたいと思っていた。
魂の色がおんなじの人を救いたいんだよ、なんて言いながら、知らないうちに私の色は変わってしまっていたんじゃないか。

幸せになってもいいかなって、問いかけたのを覚えている。
幸せになってしまった私は、もう私ではいられないんじゃないか。
心に穴が開いていて、埋まらないよって叫んでいる声が、私の歌を輝かせていたのではないのか。
幸せになりたいよって、こんなに寂しくて痛いよってずっと泣いている私こそが、ほんとうの理想像だったのではないか。

幸せになんてなりたくないよ。

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