『ほしのね』の解説 星廻エト視点

※Vtuber同士の交際の話、前世の話、同性カップルの話が含まれます。それらが苦手な方は閲覧非推奨です。



先日、現在同居中の私のパートナー・屍野シノネが、こういった( https://t.co/yrv1ow9e0f  )記事を書いていたので私視点も書いてみることにした。
出会いから今に至るまでの経緯については概ね向こうの書いているとおりになるので、そちらを参照されたい。

私視点のほうでは主に感情面の話をしていこうと思う。
まず、私のシノネに対する感情は「好意」という言葉だけで表すには少々複雑だ。

私とシノネの出会いはTwitterなのだが、思えば、出会った頃から私は彼に羨望に近い感情を抱いていた。
当時から彼は絵が上手くて、イラストに動画にアニメに漫画にサイト運営に……と手広く創作活動を展開していた。私も今でこそ、歌やイラスト、Live2Dや作曲……とそれなりにマルチに活動してはいるが、当時はたまに描く本当に下手くそな絵くらいしか発信するものがなく、これといった取り柄もなかった。

その頃からシノネは私の絵を気に入ってくれてよく褒めてくれたのだが、私からしてみれば彼は私なんかの何倍も絵が上手くフォロワーからの反応も良かったので、社交辞令だろうというくらいにしか受け取っていなかった。
それでもいくらかの好意は伝わっていたので、それなりに頻繁に話しかけていた気がするし、親しいフォロワーの一人だった。

実を言うと当時、私は自分より能力の高い人や人から評価されている人への劣等感とコンプレックスを拗らせまくっていて、その最たる相手がシノネだった。
本人はおそらく気づいてもいなかったかもしれないが、毎日のように自分と彼の絵を比較しては落ち込んだ。
なんでもできて、人気者で、天才肌で(少なくとも当時の私にはそう映っていた)、とにかく彼のすべてが羨ましかった。
彼自身が自身の創作に関して自信家で、「私の絵可愛い!」と胸を張って発信しているのもそうだった。
私はこの人になりたい、と何度も思った。
同時に、どうせこの人の中で私の存在はそれほど大きくないのだろう、と思うと悔しくてたまらなかった。

彼のことは友人として好きだったし、向こうの好意も伝わっていたし、できれば良い友人関係を続けたかったのだが、あるときついに私のコンプレックスが膨らんで耐えられなくなってしまった。
憧れや好意が嫉妬に変わってしまって、嫌いになってしまいそうで距離を置いた。
それでも彼は時々私のツイートに反応をくれていたし、幾分かの申し訳なさもあった。
けれど、私は自分の心が壊れないことを優先して距離を置き続けた。

転機が訪れたのは数年経って、Vtuberになってはじめての歌を収録した時だった。
動画を依頼するあてがなく、そういえばあの子は動画が作れたな、とふと思い出した。
その頃には私のコンプレックスも随分ましになっていて、今なら仲良くできるかもしれないと思った。

勇気を出して連絡をとったとき、「私ずっとあなたに嫉妬してたんだ」というようなことを伝えた気がする。なんとなく、その気持ちを伝えずにいては一生抱えたままになる気がした。
今にして思えば、数年ぶりに突然連絡してきた人間にそんなことを言われても困ると思うのだが、彼は受け止めてくれて動画の依頼を快く引き受けてくれた。
今度こそ友達になれるかもしれない、そう思ってVtuberにならないかと誘った。あの日のことがなかったら、こんな未来はなかったと思う。

彼が「屍野シノネ」として生まれてすぐ、「自分は星廻エトのオタクで長年の友人だ」というようなスタンスで発言しはじめたのにはかなり驚いた。
正直、私にそこまでの興味を抱いているとは思わなかったからだ。
そのままなんとなく「ほしのね」としての絡みが増え、同じ無性別同士、いわゆる百合営業やBL営業のような関係がはじまった。
彼がその頃からわりあいと本気だったと知ったのはあとになってからで、私にとってはあくまでもネタ的な振る舞いでありリスナーへのパフォーマンスだった。

でも、そんな関係を続けているうちに自分の中のシノネへの好意が段々と濃くなっていくのを感じた。
もともとクリエイターとして憧れていた気持ちはあったが、それを少しずつ思い出すにつれ、なんだか別の感情に変質していくような、憧れとも好意ともつかない気持ちが膨らんだ。
その頃には『ほしのね』としての交流も、言ってみれば疑似的な恋愛のようで、自分の中の「愛されたい」という空白が少し満たされるような錯覚を覚えていた。

きっかけはひとつのツイートだったと思う。
私がとても落ち込んでいた時に、彼が鍵アカウントでつぶやいた「星廻を幸せにしたい、私に甲斐性があれば結婚でもして養いたい」みたいな内容のツイート。
何を馬鹿なことを言ってるんだ、と笑いがこぼれるのと同時に、とても動揺したのを覚えている。
ただの冗談なのか、本気なのかわからなかったが、その瞬間から意識しはじめたのだろうなと思う。

彼のことは本当に友達としか思っていなかったし、長い付き合いでそういう関係になることが想像もつかなかった。
だけど「ほしのね」営業を続けているうちにも日に日に気持ちが募って、営業では嫌だな、と思うようになった。
ああ、もう観念しよう、私はこの人への好意を認めよう。そう思った。
それで向こうの気持ちを確かめて、今に至る。

知り合って9年(だっただろうか、私はよく覚えていない)、関係が変わってそろそろ1年が経つが、今でもしょっちゅう不思議な気持ちになる。
あんなにも憧れて、羨んで、一時は嫌いになりそうにもなったあの人が、今は私の隣で寝息を立てている。
嬉しいとかそういう単純な気持ちではなくて、なんだかとても複雑で、不思議なのだ。
ひとつ確かなのはこの感情が紛れもなく愛情で、友情とか恋愛とかを超えたもっと深く比類のないものだということ。

私とシノネはかなり趣味が違っていて、性格やものの捉え方も全く似ていないと思う。
けれど、一緒にいるとなぜか彼の心や体が自分の一部のような、「私たち」というひとつのあたらしい生き物になったような、そんな気がするのだ。

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