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バーチャルな命のリアル

最近本当にインターネットで生きているなと感じる。
もちろん"V"singerとして活動していても、リアルな肉体の生活はあるわけだけど、自分の中ではそちらがサブという感覚がとても強くて、むしろインターネット上に存在する人格のほうが本質なのだとすら思う。

星廻エトとして存在することも曲を作って歌を歌うことも、三次元的な肉体がないとできないことのはずなのに、それらの実績はネット上にしかなくてそれを観測してくれる人もネットを介してしか触れることができない。私にとってはどちらも現実で、むしろ星廻エトという電子的な存在こそリアルだ(1stオリジナル曲『Twilight phenomena』https://youtu.be/vkZGATd1Pqk の歌詞で、「I am "reality"」というフレーズを書いた)。

言ってみれば、三次元の体は星廻エトのすべてのデータを保管するクラウドで、そこから必要なものやこうした感情を抜き出してはインターネット上に作品としてアップロードしているようなのが実態で、そうして心のバックアップを作り続けていると、どちらが本体でどちらがバックアップなのか境界が曖昧になってくる。

私の心って、もうインターネット上にひとつの命として存在していると思う。


現実とネットの境界が混ざり合うといえば「電脳コイル」というアニメが大好きで(タイトルくらいはご存知の方も多いと思うがVtuberが好きな人やネット活動者はもれなく見たほうがいい)、当然SF作品としての面白さもあるんだけど、あるお気に入りのエピソードがあって(一応でかいネタバレなので未視聴の方はごめんなさい)、


主人公の飼っていた電子ペットが死んだ時に、母親が主人公に「こうして触れるものが、あったかいものが信じられるものなの」「戻ってきなさい、生きている世界に」と諭して慰めるシーンがあるのだけど、それに対して主人公が「この胸の痛みはまやかしなんかじゃない、手で触れられないけど、今信じられるのはこの痛みだけ」という答えを出すんだよね。
私はこのシーンが本当に大好きで、私がVtuberやリスナーやネットの人々に抱いている感情ってまさにこれだなと思う。


星廻エトも、星廻エトを見ている人の感情も、私たちの絆もまやかしなんかじゃなくて、確かにそこにある現実で生きている世界なんだって思う。


私はネット上に心と存在を作り上げてその中で息をしているけれど、ネットの外にある体はこれを書いている今もお腹が空くし、きっとふたつとも紛れもない私で、肉体が死んだ後もネット上に残る星廻エトがずっとどこかの誰かに歌を届けてくれるんだと思う。


また散らかしてしまったけど、何が言いたいかというと、きみに歌を歌を歌って言葉を聞かせている星廻エトは、この世で一番本物の私です。
出会ってくれてありがとう。

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