人が人を虐めるとき

人間が人間を虐めるときの感情って、一つ残らず嫉妬なんじゃないかと思う。

まあ、もっと単純に弱い立場の人間をいたぶるのが楽しいとかいう原理でそれを行う人もいるけど、それは動物的な衝動であって「感情」とよぶにふさわしい人間的な動機ですらないと個人的には思う。

で、人が誰かを虐めてやりたい、と思うとき、言い換えればその人の尊厳を奪いたい・その社会の中での地位を潰したいと思うときは、何かしら相手に対して「ずるい」「羨ましい」という感情が根底にあるように思う。

それに自覚的なうちはまだ良いにしても、それを自覚したくない、認めたくない、あるいはそれすら思考を放棄した人たちが作り出した言葉が「ウザい」とか「ムカつく」ではないだろうか。
それらの言葉ってとても曖昧で漠然としていて、「なんかわからないけど加害したいと思う」って意味の言葉だと思うけど、私の考えが正しければ要するにそれは妬み嫉みであり、それを認めてしまうと自分が下にいることになってしまうから、「嫉妬している自分」ではなく「あいつがウザい」から悪いんだ、という風に原因の在処をすり替えている。狡猾だ。

そうしてその矛先を向けられた人間は、自らの尊厳や立場を奪われて潰されただけでなく、自らの幼稚な嫉妬心を認められない弱い人間によってその加害衝動の原因すらも押し付けられてしまう。
だからその先もずっと、「悪いのは自分で、自分がウザいから虐められた」という錯覚の中で、自己嫌悪しながら生きていくことになる。

まあなかには本人の発言や行動に明らかな問題があるケース(たとえば傲慢で人を見下した態度をとるとか)もないとは言わないが、だからといって自分がその尊厳を奪っていいなんて歪んだ正義感を振りかざすほうこそよほど傲慢だ。
なるほど、傲慢や嫉妬が大罪に数えられるのも納得。

自分が誰かに嫌悪感を抱いた時に、その根底に嫉妬心が潜んでいないかを一度考える必要がありそうだ。
もしそうなら、それは自分自身の問題だ。
そして、誰かの嫉妬の矛先を向けられて、ずっと呪いのように自己嫌悪に溺れている誰かがいるとしたら、こう伝えてあげてほしい。
君は何も悪くないよ。

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