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ウミガメとぼく【超短編童話】

ぼくのかあさんは「物書き」だ。
いつもノートにボールペンで何かを書いている。

さらさらさら

ペンがノートの上を走る。
物語を書いているときのかあさんは夢中でまわりのことが見えなくなる。
だから、ぼくはペンの音が嫌いになった。
ペンの音がしなくなると、かあさんはドライブに出かける準備を始める。
そして、「ねえ、一緒に行く?」とぼくを誘う。 

ぼくは、かあさんと行くドライブが好きだ。
テーブルに向き合ってゲームをしているより、同じ景色を見ながら一緒にいる方がいい。

ぼくたちは、町を通り抜け、海岸に沿った道を走って、海浜公園の駐車場に車を停めた。海まで来たのは初めてだ。

窓一面に波しぶきをたてている海が見えた。
アシカのように浮かぶ黒いウェットスーツのサーファーやゴールデンレトリバーを連れて散歩しているおじさんもいる。

車のエンジンを止めると、かあさんはすぐにノートを取り出してペンを動かし始めた。

さらさらさら

「せっかく、海に来たのにな」

ぼくは、がっかりして、車の窓から海辺をぼんやりと眺めていた。

波打ち際の砂浜で小さな女の子がぽつんとしゃがみこんでいるのが見えた。
うつむいて夢中で穴を掘っている。

そのころには、砂浜には誰もいなくなっていた。

あの子はひとりで海に来たのかな、まさか。
女の子は、三歳くらいだと思った。

駐車場から波打ち際まではずいぶん距離がある。
柔らかそうな髪がぱよぱよと風に揺れていた。

近くまで行って、「なにをしているの?」とたずねたいけど、変なやつだと思われたらどうしよう。女の子から離れたところをさりげなく歩いてみようと思った。

ぼくは車をそっと抜け出した。目の前を千鳥がタッタッタと走り去る。

ザーッどどう、ザーッどどう。

激しさを増した波の音は4年生になったばかりのぼくでさえ、すこし怖く感じる。

だんだん近づくと、穴がすっかり深くなっていることに驚いた。スコップも使わず小さな手で掘っているはずなのに。

もっと近づくうちに、女の子の姿は見えなくなってしまった。

ぼくがぽっかりあいた穴のそばを通ると、女の子の声がした。
「ねえ!」と女の子は確かに言った。
ぼくが自分のことなのかどうか迷っているうちに、さらに女の子は、続けた。

「ねえ、ちょっと来て!」

穴はちょうどぼくがギリギリ入れる大きさで地底に向かってまっすぐに落ちていた。

「どうしたの?」と声をかけると、底の方から女の子の大きな声が聞こえた。

「ウミガメのたまごを探してるの!」

「ウミガメがいるの?」

ぼくは真っ暗な穴の底に向かって叫んだ。

「そう!」

女の子がちょっとイライラしたような声をだしたので、ぼくはあわてて穴に入った。

さらさらさら

足元で砂が崩れて、ぼくは穴に吸い込まれる。
落ちていくと、急に穴が広くなって、ぼくは空中に放り出され、砂と一緒に落ちて尻もちをついた。

「いたたたた」

「本当?」

女の子はしゃがんだままぼくの顔を見ないで言う。
あれ? 気のせいだった。全然痛くない。
あたりは桃色にうすぼんやりとして、一面に白い砂が敷き詰められている。上を見ると穴が青い月のように小さく見える。フラスコの底にいるみたいだ。

「ここは、地球のおなかのなか」

女の子は、ぼくが知りたかったことを先回りして言うと立ち上がった。

小さな女の子と思っていたけど、ぼくと同じくらいの背の高さだ。

「あの…」

女の子はぼくの前を通り過ぎると、またしゃがみこんで、小さな刷毛で、さっさっと砂をはらった。

「あった!」

女の子の弾んだ声にぼくも思わず駆け寄る。

砂から丸いものが少し見えていた。

「これは…」

「静かにして!」

ぼくははっと口を押える。

女の子は、刷毛をズボンの後ろポケットにさしこむと、腹ばいになって、ふうっと息をふきかけた。丸いと言うより楕円形だ。

「たまごだ!」

女の子は顔をしかめると、人差し指に口によせて、シーっと言った。そして、楕円形のものを大事そうに砂から取り出し、そっと耳にあてた。
ポケットから小さな木のトンカチを取り出し、殻をトンとたたく。

たまごはチカチカっと光ったあとに、打ち上げ花火のように殻が飛び散った。

くだけた後には、何かがうずくまっていた。
緑色の長い髪が濡れている。
呼吸に合わせて、ところどころに虹色の鱗がキラッキラッと光っていた。

「人魚だ」

思わずぼくが言うと、長い髪を分けて小さな白い額が現れ、ほっそりとした両腕がうーんと突き出た。

「呼んだ?」

人魚はふわーあとあくびをしながら言った。

「あなたじゃない」

女の子ががっかりした声でいうと、人魚はフンと言って、ぼくに尻尾で砂をひっかけてから、とぷんと砂に潜ってしまった。

「なかなか見つからない」

女の子のそばには、花火の燃えかすみたいな黒い殻がたくさん落ちていた。

「ウミガメのたまごがそんなに大事なの?」

「ううん。ウミガメのたまごは大事なものを教えてくれるだけ」

女の子はそう言うと、泣きだした。

「きっともうウミガメはいないんだ」

女の子をなぐさめようと肩に手を置く。

「ぼくも一緒に探すよ」

泣き止まない女の子を残して、ぼくは砂浜に目を凝らしながら、たまごを探す。砂の平原を夢中で探していると、どこまで探したのかわからなくなる。ぼくは座り込んでいる女の子を目印にした。

砂には割れたたまごもたくさん埋まっている。完璧なたまごを見つけたと思っても、どこかが欠けている。ぼくは何度もかけよっては、がっかりを繰り返した。

ぼくは女の子のところへ戻って言った。

「全部探したけどなかったよ」

女の子ははじめてぼくをじっと見た。桜貝みたいな唇をぎゅっと噛んで、大きな二重の目に涙をいっぱい貯めて。

「ね、君の座っているところは、まだ見てないよ」

ぼくは女の子の目から涙があふれるのを見ないようにして慌てて言う。女の子の足元の砂が少しだけ盛り上がっている。指で探って砂を払うと、アーモンドみたいな青い石が出て来た。
だめだ。これも違う。

「あ」

女の子はぼくの手から石をとって言った。女の子が触ると石に光が灯った。

「生まれる前の心だわ」

「ウミガメの?」

「わからない」

女の子のうつむいた顔を石の光が照らしている。細い指で耳に髪をかける女の子は親戚のお姉さんみたいに見えた。うすい耳たぶに金色の小さなピアスが光っていた。

「生まれる前の心って?」

「まだ感情を知らないの。嬉しいとか悲しいとか」

ぼくが石に触れると、光が大きくなってぼくと女の子を呑み込んでしまった。

さらさらさら

目覚めると、ぼくは、ウミガメになって、波をゆりかごに揺られていた。
女の子はいなくて、月だけがぼくをみていた。
ぼくはクチンとくしゃみをして、月がつくった金色の道を泳ぎ出した。

静かなように見えたのに水の流れは激しくて、ぼくはおぼれそうになった。でも、海の中に潜ると、とたんに流れが静かになった。

ぼくは水底までもぐって仰向けになり、ひれをゆっくり動かした。
赤や黄色にゆうらりゆらりと揺れる海藻。
水中には誰もいない。
魚たちも貝も人魚も。

月の光が柱のように差し込んでいる。
ぼくの吐いたあぶくがひとつ、ぽくんとのぼっていった。    

めちゃくちゃはやく泳いでも、褒めてくれる人はいない。
どんなに楽しくても気持ちを伝える人がいない。
ぼくが泣いても、なぐさめる手もない。

さらさらさら

波の音だけ。こんなところいやだ。かあさん。


「ここにいるよ」

ぼくは車の助手席にいて、かあさんが大きな目で覗き込んでいた。

エンジンがかかるとぼくは聞いた。

「ウミガメのたまごを探したことある?」

かあさんは、だまって、ノートをぼくに差し出した。
ウミガメのたまごを探す女の子の物語だった。

ぼくは、読み終えると、車の窓を開けた。

どっどう、どっどう。

砂浜は海に、海は空に、空は宇宙に、つながっている。

「さみしいところだったね」

かあさんは、ぼくを見つめて少し笑うと、真剣な顔で前を見つめた。

ぼくは、このままずっとドライブをしていたいと思った。


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