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母よ、頼むから自由に生きておくれ

「お母さん、僕の高校時代のTシャツやサンダルを履くのはやめてくれ。そうやって節約して、自分たちに金をかけようとするのはやめてくれ。自分にお金を使ってくれ」
最近見ている韓国ドラマの中で、男性主人公が母親にこんな感じで訴えるシーンがありました。
自分がみじめな気分になり、申し訳ない気持ちになるから、と。

このセリフ、むっちゃわかるわ!って思ったんですよね。

私も同じようなことを思っていたから。

「お母さん、自由に生きてよ。私にばかり人生を賭けないで」

でもね、これ、私の八つ当たりだったのですよ。

この私の言葉の裏に隠れている本音はコレです。

「私に尽くすお母さんのことを犠牲にして私が自由に生きたら、私が恩知らずな性格が悪い子になるじゃん。お願いだから、私を悪者にしないでよ」

私が性格が悪いと思いたくない。
恩知らずな親不孝者って思われたくない。
そんなのイヤだから、私が自由に生きられない。
お母さんがどう思うかを常に考えてしまう。
だから、お願いだから好き勝手に生きてよ、お母さん。

要するに"お母さんを踏みつけて好き勝手する冷酷な子"だと自分のことを認めたくなくて、お母さんに八つ当たりをしていたのです。
お母さんのせいにしていたのです。

私にとって、私が何の制約もなく自由にすることイコール母を踏み台にすることだと思い込んでいました。
常に私が母の犠牲によって成り立っていると信じきっていたからです。
それが、真実だと。

そして、自己犠牲こそ愛情表現と思っていました。

だから、自分もやたらと人に尽くそうとするし、人の心配をしていました。
人のために動かないと、冷酷な人って思われる〜!っていう恐怖があったのです。

私が氷女なんて認めたくないし、許したくない。
そのために、一人で勝手に母を気遣う子どもとしての行動を意識して生きて、勝手に苦しくなっていたのです。

もう、諦めよう。
認めよう、私は母がどんなに尽くしてくれても何も返す気はない冷酷な子だと。

あえて、冷たいと自分が思う行動や言動をやってみたのです。

冷たい自分を認めると、気づきました。
愛情って行動や言動じゃないんだ。
愛情ってエネルギーだから、どんな行動でも言動でも伝わるものだし、そもそも自己受容すればするほど、その愛のエネルギーが周りにも広がり、周りも幸せになるんだ。

ちなみに、自己犠牲こそ愛情表現って一言で言っても、細かく分析した方がよくて、人それぞれ「母とはこういうもの」「子どもとはこういうもの」という思い込みがあります。それについては次回書きたいと思います。

ところで、冒頭のドラマを紹介しようかと思った時に思い出しました。
高校生の時に、よく宮部みゆきさんの小説を読んでいたのですが、ある小説が面白くて友だちに勧めました。
どんな話?って聞かれた私の答えが、
「ドロボウの話」
「・・・あのさ、どこの人がそれで読もうと思うと思う?なっんにも伝わらないじゃん」
友だちに真剣に諭されました笑

よく考えたら、結構いつもこんな調子で紹介下手なクセに"面白いのになぁ、なんでみんな読まないの"って思っていました。
説明しようとすると、省略し過ぎるか、もしくは、アレもコレも重要ポイントと思い、盛り込み過ぎてネタバレ満載になるか。
要するに、面倒になったということです。

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