衝動の先に出会うもの
先週日曜の話。
朝起きて、ネガティブになっている自分に気づく。
自分を奥深く見ていくと、ここ最近なんどもハマっている悩みの渦にいることに気づく。答えのない問いを問い続けている。
その状況を「もうどうしようもない」と、どうにかしようとすることを諦めた。解決しようとさえ思わなかった。
ふと「高千穂に行く」と思い立った。
去年、闇のどん底にいたとき、救われたくて、すがりついていた天然石を全部身につけて、突き動かされるような衝動に身を任せる。
「阿蘇は凍結してるから危ない」「日曜日だから人が多い」「やることもやらなければも多い」そんな言い訳も流れていたけれど、行かない理由には、ならなかった。
行かない理由がなかった。そして行く理由もなかった。
ベッドから出て20分後には出発した。
日の出を眺めながら、車を走らせた。
運転しながら涙が溢れた。過去に同じ道を通って懐かしくなったのか、あのときから大きく変わった自分に感動したのか、景色が綺麗で感動したのか、よくわからない。
そしてふと高千穂に行く理由が浮かんだ。「ああ、私は自分の能力を開花することを宣言するために高千穂に行く」
2年前、ふと通った道で、気になっていた場所があった。「天岩戸神社」その名前だけずっと頭の中に残っていた。
ついに2年越しに、天岩戸神社を訪れた。
それは2年前、友人たちとそばを食べたお店のすぐ近くだった。
天安河原は、物凄く心地が良いところだった。朝日が気持ちよく差し込んで、木々も川もキラキラしていた。
ここに来たかった。ただそう感じて、大満足した。
どうせなら、とTHE観光地の高千穂峡に寄ってみたら、絶景ポイントの寸前で、カメラを落とし、レンズが開かなくなるという、大大大ショックな出来事!
翌日、カメラ屋さんに持っていくと、感じの良いおじちゃんが、5分ほどでレンズキャップを開け、割れた保護レンズを掃除して、「これくらい無料でいいよ!また保護レンズ買えば大丈夫だよ。大事に至らなくて良かったね!!」と優しくしてくれて、心があたたかくなり、感動した。
「またおいでね」と笑顔で送り出してくれた。
看板も広告もない家の端っこでおじちゃんがひとりでやっているカメラの修理屋。
おじちゃんのこんな優しさが顧客の心を掴んで、ファンになっていく。
カメラが壊れたときはこの人にお願いしたい!って思った。多くの人も、同じような気持ちになって、このお店は継続していってるんだろうなあ、、、って、これが人の心を掴む、集客につながっていく、と感じた。
*
行動を起こすことに理由なんて必要ない時があってもいいんじゃないか、と思う。衝動的に動いて、その先、何か変化があるかなんてわからない。
もはや変化があるか、ないか、どちらでも良い気がする。
今回、衝動的に動いた先に、心を掴む集客について感じたことがあった。
私にとっては大きな学びだった。
それでいい。これからも衝動的な感覚に耳を澄まし、身を任せてみようと思った。
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