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MMM2009-2018++

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茨城県ひたちなか市那珂湊地区の芸術祭「みなとメディアミュージアム」が10周年を迎えます。そこで創設者の田島悠史が、各年の一枚と一日を通して、MMMを振り返りました。2019年から…
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#アートイベント

みなとメディアミュージアムの成り立ちについて〜なぜ、どうやって生まれたか〜

みなとメディアミュージアムの成り立ちについて〜なぜ、どうやって生まれたか〜

0.はじめに茨城県ひたちなか市那珂湊でやっている小規模地域芸術祭「みなとメディアミュージアム」について「どうやって始めたんですか?」とか「なんで始めようと思ったんですか?」みたいなことをよく聞かれます。

聞いていただけるのは嬉しい一方で、調べりゃわかることを調べてないことを聞かれることも多いので、有料ページをつくっておこうかなと考えました。過去のことを何度も語るのも自分にとってあまり良いことでは

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「みなとメディアミュージアム」という分かりにくい名称について

「みなとメディアミュージアム」という分かりにくい名称について

11回目のMMM(みなとメディアミュージアム)が無事に終わって、はや3ヶ月。今年はとても良い年で、3年目を迎える実行委員も2年目を迎える実行委員もとても元気。

さて現在は色々と議論をしている。来年のMMM2020は現在のフレームワークを活かして開催するものの、MMM2021(仮)は大きく変えることになっている。その一つに「"みなとメディアミュージアム"という名称が分かりにくい。わかりやすい"那珂

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「アート×まち」な視点から見るべき、2019秋の中小規模の芸術祭9選+α

「アート×まち」な視点から見るべき、2019秋の中小規模の芸術祭9選+α

はじめにぼくが事務局長をつとめた茨城県ひたちなか市の芸術祭みなとメディアミュージアム(MMM)2019が終わりました。残務処理と見なかったことにしていた別仕事の山を眼前にして、クラクラしている昨今の田島です。

さて、MMMには毎年、多くの実行委員が加入します。その中には芸術祭なんて知らなかった、そもそもアートに興味がなかった、という人もいます。そのため他を知らないことで悩んでしまったり、辛い思い

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地域アートプロジェクトの事務局制度:みんなで議論して、ずっと続けるために

地域アートプロジェクトの事務局制度:みんなで議論して、ずっと続けるために

先日、ぼくが関わっているMMM(みなとメディアミュージアム)とMRS(一般社団法人新宿メディア芸術地域活性化推進協会)で、同時プレスリリースを公開した。内容は、MRSがMMMの事務局を担うこと、MMMは共同代表制とすること、そしてぼくがMMMの事務局長となること、だ。

昨年末に報告した、最終責任者としてMMMに戻る、という話をやっと公的に報告することができた*1。前任者のありがたみをひしひしと感

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「アートプロジェクトの時代」が終わる前に:地域に文化芸術を残すためにできること

「アートプロジェクトの時代」が終わる前に:地域に文化芸術を残すためにできること

(合計6500文字程度の有料記事となっていますが、ほぼ全文読めます。「支援のお礼」として、800文字程度の簡単なおまけページがあります。もしよろしければ、支援よろしくお願いします!)

茨城県北芸術祭の開催が中止となった。

美術手帖でも言っているが、今回の中止には知事交代による影響が非常に大きい。茨城県知事は2017年8月の選挙で、現職の大井川和彦茨城県知事が、前職の橋本昌を破って、新知事となっ

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MMM2009-2018:ハッピーエンドは、まだ早い(MMM2017)

MMM2009-2018:ハッピーエンドは、まだ早い(MMM2017)

2017年は、ぼくの身辺変化から話した方が良いだろう。

まず職場(宝塚大学)で大きな変化があった。
自分の管轄の映像領域を廃止し、入試委員長(IR推進委員長兼務)になった。8年間定員を大幅に下回る状況は問題があると思い、学部全体とターゲットがズレている映像領域に固執するよりも、学部全体をなんとかしたいと思ったからだ。ここから、外部のコンサルティング団体と毎回、喧嘩しながら、毎日数字とにらめっこし

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MMM2009-2018:SOS(MMM2015)

MMM2009-2018:SOS(MMM2015)

2015年。2015年2月に博士論文を無事刊行し、宝塚大学の仕事も慣れてきていて、いろいろなものからぼくは解放されていた。

2014年に感じた「鑑賞者」でいることに対する「もやもや」の解消はMMMではなく、他の場所で発揮していた。この年は、新宿区中井で新しいアートイベント「プライベート・パブリッシング」(〜2016)を作ったり、自分の作品『developments』を発表したり、博士論文を活かし

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MMM2009-2018:見守るしごと(MMM2014)

MMM2009-2018:見守るしごと(MMM2014)

MMM2013をもって出展することと、プロデューサーをやめた。今回は、心機一転の2014年の話。

2014年というのは、ぼくにとって転機で、宝塚大学の専任講師として働き出した年でもあり、下北沢での生活を始めた年でもあった。また、当時執筆していた博士論文も大詰めを迎えていた。MMMは現在も続いている、中村(やす)さんをプロデューサー、橋口(静思)さんがチーフキュレーターという体制になった。必然的に

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MMM2009-2018:話すことと、作り続けること(MMM2013)

MMM2009-2018:話すことと、作り続けること(MMM2013)

誰にも見せる予定のない、2013年5月5日の非公開の日記に、こういう一文を書いていた。

今だってMMMがあるじゃないかって思うかもしれないけど、僕はMMMで腐っている。「作家」としてではなく「プロデューサー」として期待されている。人はどんどん来るけど、彼らと話したいと思えない時がある。

MMM2012はとても順調だった。上手くいくと、色々なことをやりたくなるし、後押しも生まれる。ぼくはMMM2

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MMM2009-2018:盛れた年(MMM2012)

MMM2009-2018:盛れた年(MMM2012)

人生、生きていれば、まあ1枚ぐらいは「盛れた写真」というものがあるはずだ。

ということで、この年の1枚は個人的には「田島史上最大に盛れた写真」の一つ、と認識している。陰影が彫りを深くしてくれているし、左下に学生がいて、右下に田島がやや強面で立ちはだかる、という対立構図も良いし、真顔にピコピコハンマーを持つという、少し抜けたコントラストも良い。

撮られた時期は確か、2012年の秋。MMM2012

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MMM2009-2018:29歳変動説(MMM2011)

MMM2009-2018:29歳変動説(MMM2011)

29歳ってのは転機となる年だ、ブッダも親鸞も出家したのは29歳だ、って世界史の参考書かなんかで読んだことがある。ちょっと調べてみると、田口ランディが「29歳変動説」というのを唱えていて、村上春樹が小説家デビューしたのも29歳という。例によって、ぼくは身の丈を知らない人間なので、おこがましくも「ぼくも何かあったらなあ」とか考えていた。

で、結論から言うと2011年はぼくにとって、とても大きな一年だ

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MMM2009-2018:定点観測(MMM2010)

MMM2009-2018:定点観測(MMM2010)

「最も大変だった年」は2009年、「最も辛かった年」は2011年とすると、2010年は「最も人生に絶望していた年」だったなあ、と振り返ると思う。

絶望と言ってもそんなネガティブなものではない。要するに昨年度の「高い意識」が、MMM2009と博士課程のフォーマル発表終了の反動で消え、のんびり作家活動と非常勤講師業で細々と生きていければいいかな、なんてナメたことを考えていた。

まあ振り返れば、仕

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