私の妄想メディア論〈主にテレビについて〉
ジャーナリストになりたかった時期もあるからか、メディアについて考えることが多い。といっても体系的な学習は積んでこなかった。ただただ、モノ申したいだけ!!
テレビのジャーナリズムに求めるもの
いきなり大きいけれど、こんなことを思わないだろうか。
「情報の受け手としては、ディスカッションの場が欲しいなぁ」
「AとBとCと、いくつかの立場があって当然。見比べることができたらなぁ」
私は最近とみに感じる。特にコロナに関する報道や国際紛争の報道を見ていると、もやもやが爆発しそうになる(というか爆発したため仕事が手につかなくなってnoteに来た。タイムシートはちゃんと止めた)。
・(着地点を作るためだとしても)一つの見方を伝えるだけの報道
・(意図が無かったとしても)扇動的・情動的・センセーショナルな報道
・(そんなつもりじゃないとしても)有事に頻出するお涙頂戴の美談
こうした報道は、勿論そんなつもりじゃなかったり、色々やむにやまれぬ事情があったり、予算や視聴率の都合があったりするのは良いとして、しかし分断やヘイトを生みやすいし、そうした世論形成にも繋がってくる。
感動の美談が悪いわけではなくて、使い方というのか、そこばかり取り上げて自分たちの国難を乗り切ろうみたいな精神に違和感を覚えるのかもしれない。
冷たい奴って言われて終わりそうで、周りにはとても言えないが。
そうじゃなくて、root cause(根本の原因)について情報を提供してもらって、いろんな立場の意見を聞いて、考えられるようにしてほしい!
妄想する未来のメディア
例えば
・コロナとはそもそも何なのか?
・ワクチンはどうやって製造され、接種にはどのようなメリット・デメリットが想定されるのか?
・オリンピックを開催したい理由とそうではない理由は?
・LGBT法案に対する様々な知見・意見のディスカッション
・入管法の現状とそのあるべき改正は?
等の話題について、根本からまず知識を提供し、スタジオにそれぞれの立場を表明する有識者(知識があるなら誰でもOK)を呼び、ディスカッションをしてもらう。
それを視聴者は聞きながら、脳内の考える土壌を耕す。
今、こういうことができる場は無いのではないか。
テレビは娯楽であり、SNSは自分へのおすすめに占有されて反対意見が遮断されてしまう。
狭い空間で培われた「正義」がぶつかり合って分断を生んでいる。
このままいったら気候変動なんかと合わせて私(20代)が死ぬ前に世界のほうが滅びそうだとも思う。
だから、今、同世代でたくさんのアクションが起こっていて、それぞれの分野で新しい仕組みを作っていこうとする人達が活躍しているなかで、
近い将来、こうしたチャンネル(スポンサーも社会的起業やNGO等、あるいは受信者、クラウドファンディング等)がひとつくらいあってもいいのではと切実に思う。
こうした社会派メディアともいえる媒体はウェブのほうに流れがちだが、観たい人しか見ないのが難点だ。大勢の人が立場に関係なく目にするテレビは、新たな可能性を秘めているのではないだろうか。