見出し画像

さよなら助手席、さよならあの人の私


「次の元号に生まれた子たちが成人するころにはさ」

「うん?」

「きっと自動運転が当たり前になってるよね」

「たしかに、そうかもねえ」

「そしたらさ、その子たちに『え、昔は人間が車を運転してたの?それってやばくない?めっちゃ危ないじゃん』とか言われるのかな」

「はは、エリコが『え、昔はスマホなかったの?やばくない?なにもできないじゃん』とか言うのと同じだね」

「だってスマホなかったらほんとにやばいじゃん、待ち合わせもできないし、こうやってドライブするのもグーグルマップがなかったら困っちゃうよ」

「平成生まれ発言だ」

「自分だって平成生まれのくせにー」


***


今からちょうど一年前にそんな会話をした、あの人はもういない。
わたしの前からいなくなってしまった。

空が力をやどし、そのおかげで川の水はきらめきをとりもどし、木々も嬉しそうに揺れていた。もうすぐ春が来るんだろうな、と感じさせる空気の、あの土曜日。

あの人は起きぬけに「天気がいいから散歩でもしようか」と言った。
あれ、なんだかいつもと調子が違うな。
ぼんやりとそう、言葉に出して説明できない不安は覚えたけれど、気がつかないふりをした。
電車で原宿まで行き、木漏れ日のさす代々木公園を抜けて、北参道でサンドイッチを買った。

お店を出ると、あの人は私の右手を掴むことなく黙り込んでしまって、宙ぶらりんの両手を持て余した私はそれだけで泣きそうだった。

「仕事が忙しくて、エリコのことを考えている余裕がないんだ」

聞きたくなかった。聞こえてしまった。
言い訳も、弁明も、なにもいらない。もう、聞きたくない。やめてくれ。
聞かなくてもわかっているから。

「そんな、大人みたいなことを言わないで、つまんないよ」

必死にそれだけを言い残して、逃げるようにその場を去った。

なにが起きたか把握できなくて、理解なんてしたくなくて、ただただ悲しかった。
やみくもに走って代々木駅に着いたけれど、そこから電車に乗る気になんてなれなくて、新宿まで歩いた。

スクールバッグも、制服もローファーも、月曜日に学校へ行くのに必要なものはなにもかもあの人の家に置きっ放しだから、取りにいかなくてはいけないのに。
あの人に会うために何度も何度も胸を躍らせながら乗った大江戸線なんて見たくもないし、あの改札も使いたくない。じゃがりこを買い込んだ薬局の前も通りたくない。
でも、他の路線での行き方を調べるのもバカバカしくて、そもそも財布もICカードも化粧ポーチも、スマホ以外の全てをあの人の鞄に入れてもらっていたことを思い出した。
どこへも行けない自分を持て余し、サザンテラスで途方にくれた。

日が落ちて、風が冷たくなった。まだまだ冬は立ち去ってくれないんだなと感じて、これからどうしよう、とたたずみ、震えつづけるスマホを眺めた。

「ごめんね」
後ろからあの人が声がした。

なんでここにいるとわかったのだろう。驚いて振り向くと
「代々木からは乗らないだろうなと思って。そのままここまでフラフラ歩くんじゃないかなって」
私の考えなんてお見通しだとでも言うかのように、私が口に出してすらいない質問に答えた。

「ごめんね、とりあえず、帰ろうよ」
電話に出なかったことも、突然駆け出したことも、なにも咎めず、それでも手は繋いでくれず、あの人は南口の雑踏へと体を向けた。

その日はぼんやりとした虚無感を抱え、なにも消化できないままあの人の家で荷物をまとめた。
友達には、親には、なんて言おう。
この先の週末、私はなにをして過ごせばいいのだろう。
そんなことを考えながら眠り、翌日は雨が降ったので部屋で映画を観た。
努めて優しくしようとするあの人に居心地の悪さを感じながらも、私も努めて明るく振る舞い、ぎこちなさだけが自然と漂っていた。

仕事だなんだと、いろいろと理由はつけても、要するにあの人にとっての私はただのアクセサリで、社会に出て大人として働き始めたらそんなアクセサリは必要なくなってしまって、使わなくなった途端にただのお荷物になってしまったのだ。

23歳の社会人はただの社会人になり、17の小娘も魔法がとけてただの高校生に戻ってしまった。
うわついた少女との夢心地の日々に付き合っている暇をなくしたあの人は、つまらない大人になってしまった。

そう切り捨てようとはしたものの、あの人のいない日常に慣れるにはたくさんの時間がかかった。
映画をみて、服を買って、テスト勉強をして、志望校を考えて。
予備校に通い始めて、雑誌を立ち読みして、部活を引退して。
そんなふうにして、あの人への気持ちを日常や天気と一緒にどこかへ溶かそうとした。

それでも、学校帰りにコンビニで買い食いするものが肉まんから唐揚げになって、カルピスになって、クーリッシュになっても、わたしの中のどこか奥のほう、横隔膜の上あたりにはずっと、あの人がいた。

時折、あの人にとっての私はその程度のものだったのかとひどく悔しくなって、すべての感情を持て余した。
週末の夜はとくに空気が硬く感じられた。ドライブをするときに助手席で使っていたブランケットを抱え、ただただぼんやりと泣き、眠りについた。

***

金曜日はいつも、部活が終わってそのままJRとメトロを乗り継ぎ、あの人の家のある門前仲町に向かった。
駅前で待ち合わせて、近所のスーパーで翌朝用のパンを買い、お菓子を安売りする薬局に立ち寄った。
映画を観たり、一緒に料理をしたり、ふらっと近所を歩いてみたり。
そんな土日が毎週当たり前にくることが、幸せでたまらなかった。
たまに早起きした日曜日に「ドライブしようか」と言ってもらえるのが嬉しくて、その言葉をいつも心待ちにしていた。

今では車内で聴く曲を選ぶことも、信号待ちでキスをすることも、目的地までのナビをセットすることも、そもそも助手席に座ることさえもなくなった。
生活から色が消えてしまった。

月曜日に学校へ行くのは憂鬱だったけれど、友達はみんな「あーエリコ今週もお泊まり?浮かれた顔しやがってー」なんてからかってくれて、そう言われるのはまんざらでもなくて、週明けも悪くないなと思えていた。

親だって心配していなかったわけではないと思うし、ときどき「たまには家にいなさいよ」なんてどこか寂しそうにこぼしていた。
それでもわたしが幸せそうにしていて、平日はメリハリをつけてきちんと学校に行き、成績も落とさずいたので、そんなわたしとあの人のことを信頼してくれていたのだと思う。

だから、社会人と高校といえど対等でありたいなんて考えて「平日の夜にバイトでもしようかな」と夕食どきに漏らしたときも、お父さんは少し間をおいて
「バイトは大学に受かってからにしなさい。それまでは、お小遣いを少し増やすから、それでやりくりしなさい」
と、きっとわたしの心情を察してくれたのだろう、きちんと汲んで対応してくれた。

あの人の好物の茶碗蒸しを作れるようになりたくて、お母さんに「レシピ教えて」と言ったときも親身になって教えてくれたし、丁寧にまとめたメモをくれた。

きれいな茶碗蒸しを披露したくて、あの人の前で失敗したくなくて、何度も練習したのに。
難なく作ったふりをして「すごいね、美味しいね」って驚いてもらいたかったのに。
振る舞う機会さえなくしてしまった。
恥ずかしがっている時間なんて、ばかみたいだった。
今更作れるようになったって意味なんてないのに、卵を目にするたびに手順を思い出してしまう。

誕生日には素敵な万年筆をプレゼントしようと、銀座で下見もしたのに。
自分の新しいリップやマスカラは我慢して、コンビニでチョコレートを買うのも控えて、どんな顔をするかな、喜んでくれるかな、ってドキドキしてたのに。
全部全部、叶わなくなってしまった。ばかみたいだ。

そんなことを思いながらもオープンキャンパスに出向いて、過去問を解いて、模試を受けて、通学中に古語を覚えて、出願する大学を決めて。
少しずつあの人との日々を遠いものにした。

センター試験が終わって、私大の入試が始まった。
滑り止めの大学には受かっていたので少しは安心して、それでも不安で不安でたまらない日々を過ごした。

第一志望の、どうしても行きたい大学の入試が終わった日、開放感からふと寄り道をしたくなった。
同じ大学を受けているはずの友達に連絡しようと思い、スマホの電源を入れた。

ロックを解除するとランプが光って、あの人の名前が表示された。
「受験どうだった?」
2分前のメッセージだ。

どうして今日、私が入試を受けているとわかったのだろう。
私のことを考えてくれているという、それだけで舞い上がってしまいそうな気分をなんとか抑えて、
「どうしてわかったの?今日だって」
と返す。

「エリコは俺の母校を受けるだろうなと思ってたから。当たってよかった」
ずるい。なんでそこまで自信満々なんだよ、と苦しくもなるが、図星だった。

いつもそうだ。あの人はいつも私のことを先回りして、待ち構えている。
そんなあの人が学んだ場で、あの人と同じように青春を過ごしたかった。
私はあの人になりたかったのだ。

何をどう返していいか、返すべきなのかすらわからず固まっていると
「久々にドライブでもどうかな」
と届いた。

あんなに待ち望んでいた言葉なのに、嬉しいはずなのに、返事が書けない。
会いたいけれど、あの人ともう一度、いやこれから先も一緒にいたいなんて、いまだに考えてしまうけれど、私はもうあの頃の私ではないのだと、下手くそに鳴くホトトギスが教えてくれた。

あの人との日々は楽しかったし、いまでも輝いている。ほんとうに大切な思い出だ。
それでも、その思い出をきちんと思い出にして、私は私として、私なりの生き方を見つけなくてはならない。

大好きだったけど、あの人の隣であの人を追いかけていた私はもういない。


もう大学生になる。バイトもできるし、今よりは自由な時間も増える。
車の免許を取って、今度は助手席ではなく、運転席に座ろう。

遠くない将来、運転免許なんて必要なくなるかもしれない。
だけど、だからこそ、助手席ではなく運転席に座りたいのだ。
自分でハンドルを握って、自分で行き先を決めて、自分のための、自分だけのドライブをしよう。

平成と一緒に、あの人も、あの人といた私も、助手席にしか座れない私も、さようならをしよう。

バイバイありがとうさようなら、平成の私。



創作だよ〜〜〜
10代のうちにこんなに強くなれたらいいよね〜
うらやまし〜〜〜〜〜〜〜

#創作 #平成

お読みくださりありがとうございます。とても嬉しいです。 いただいたサポートがじゅうぶん貯まったら日本に帰りたいです。