努力は、後から「感じるもの」
努力という言葉は、簡単に口にするものではないと思っています。
本やnoteでもよく目にする言葉。
努力は人を裏切らない。時には、努力は人を裏切ることがある。
果たして正解はどっちなのだろうと悩まされることもありました。
私はどちらを信じていたかというと前者の方でした。
自分がやってきたことを信じて、努力をしなければ結果は出てこないとそう思っていました。
しかし、私自身「努力」をしていたという感覚はありませんでした。
本当に好きなサッカーを大学までやらせてもらっていたこと。好きでやっていたため、上手くなりたい。強くなりたい。と常に心の中にはありました。
上手くなるためには当然練習するしかない。
強くなるには当然鍛えるしかない。
当たり前のことを一生懸命やっていただけでした。
その結果として良い結果が出れば、私のやってきたことが努力だったんだと思えればいいかなと思います。
周りには、凄いね・大変だね・馬鹿だねといろいろ言われてきましたけれども、自分が好きでやっていることなので自分を信じてやっていました。
時には、嫌になることもあります。本当にこのままで大丈夫なのかなと思うことも何度もありました。やめてしまうこともありました。
それでも、もう一度頑張ると決めてやる自分がいました。
私のサッカー人生は、この繰り返しの日々でした。
地道に積み上げていく以外ありませんでした。
なんでそんなにできるのかと聞かれても、私自身も答えが出てきませんでした。ただ単に好きだから。としか出てこないのです。
自分にしかわからない頑張る理由。私の心の中にある、理屈ではない部分でした。
そもそも好きでやっていることを努力というのでしょうか。苦手なことをしていることに対しては言えるのかもしてません。
しかし、その苦手な分野をやることで好きなことにプラスの力に代わるのであればそれは努力と言わない。と思っていました。
サッカーが上手くなる・強くなる為なら、苦手なことも当然やります。
結果として試合に出れたり、練習のおかげで勝負に勝てたりした時に努力を感じれればと思います。
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