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佐賀で磐座を依り代に天孫降臨の謎に挑む3選



 佐賀の旅のテーマは磐座(いわくら)です。磐座とは石のご神体のことで、特徴的な巨石は古代から神様の依り代として崇められてきました。依り代という概念は柳田国男の有名な弟子である折口信夫が作った言葉なので、古代では依り代という単語はありませんでした。

 今回は佐賀の磐座を旅して、アマテラスの孫にして天皇一族の始祖であるニニギがおこなったとされる天孫降臨の謎に挑みたいと思います。


①金立神社上宮(佐賀市)



 吉野ヶ里遺跡から車で30分くらいの場所にある神社の磐座です。分かり辛い写真ですが、かなり大きいです。先っぽが人の頭にのようにも見えます。


 石造りの神社は珍しいですね。というか日本では初めて見たような気がします。この裏手に上の写真の磐座があります。




②巨石パーク(佐賀市)


 名前のまんま、巨石ばっかりの巨石パークです。


 これは船に見えるという巨石です。

 大阪と奈良の県境に磐船神社という場所があり、アマテラスの孫であり物部氏の先祖であるニギハヤヒという名の神様が、磐船神社に奉られている巨石の船に乗って地上に降りたという伝承があります。つまり、ニギハヤヒはニニギと同じ天孫降臨の逸話を持つので、物部氏一族は天皇一族と同じ天孫降臨の逸話を持つ一族となります。蘇我氏に滅ぼされてしまいましたが。



 この巨石は造化大明神といいます。まつろわぬ民の土蜘蛛である大山田女・狭山田女が與止日女命(よとひめ)という水神を鎮めたそうで、巨石パークのすぐ近くにある與止日女神社の上宮が、この巨石パーク内の磐座とされています。蜘蛛という漢字は虫偏に朱を知ると書くのですが、佐賀の嬉野は丹生(水銀朱)の産地として九州で突出していました。土蜘蛛という漢字は"朱を知る虫"という暗号なのではという話もあります。




③土器山(かわらけやま)(神埼市)


 土器山の頂上に磐座があると聞いたので登ってきました。


 上の写真は登山道です。この細いところを歩いていきます。


 はしごを登る必要があります。ゲームに出てきそうな登山道だなと思いました。


 これは山頂付近の磐座です。


 願い事を書いた小皿が奉納されています。誰か邪(よこしま)な願い事でも書いてないかな、と文字を読んでしまうのは私だけではないはず。


 ご神体岩の説明書き。ここで雲根(うんこん)という単語を初めて知りました。かつて、雲は山頂の岩から生じると信じ雲根と呼んでいたそうです。『先代旧事本紀』という9世紀頃に書かれた書物があり、内容自体は偽書と見なされているんですが、そこに天押雲根命(あめのおしくものみこと)という神様が出てきます。その時代にはすでに雲根という概念はあったのだろうと思います。




 さて、ここから天孫降臨の謎に切り込みたいと思います。天孫降臨とは、アマテラスの孫であるニニギが神々の住む天から地へと降臨する話で、それから人間との間に子供を産み、ニニギ→山幸彦→ウガヤフキアエズ→初代天皇の神武天皇へと家系が続きます。



 まず、古事記(712年)からニニギが天孫降臨する箇所を引用します。

"天の石位(いわくら)を離れ、天の八重たな雲を押し分けて、いつのちわきちわきて、天の浮橋にうきじまり、そりたたして、竺紫(つくし)の日向の高千穂の久士布流多氣(くじふるたけ)に天降り坐(ま)しき"

中村啓信 訳注『新版 古事記 現代語訳付き』(角川ソフィア文庫、2009年)古事記 訓読文


 これが現代語訳だと下記の通りになります。

 "高天原の玉座を離れ、天の八重にたなびく雲を押し分け、荘厳な御幸の道を開き進んで、天の浮橋に浮島があったので、そこに高々とお立ちになって、そこから筑紫の日向の高千穂の聖なる峰にお降りになった。"

中村啓信 訳注『新版 古事記 現代語訳付き』(角川ソフィア文庫、2009年)現代語訳


 現代語訳だと久士布流多氣(くじふるたけ)→聖なる峰と訳されてますが、この"くじふる(くしふる)"が何のことかハッキリしていません。クシは縄文時代からある言葉と考えられており、九州の北西岸とその周辺の島嶼、瀬戸内海の西部にその名称が集中しています。クシは岬を意味していると考えられていますが、くじふるたけとの関係性はよく分かりません。

 アイヌ語だとクシ・フル(クジ・フル)で「超える・丘」という意味となり、古代人は高い山を「山あて」にして旅をしていたそうで、その「山あて」にする山が「クシフル」で「チ・クシ」とも呼ばれていたそうです。参考リンク:ユーラシア大陸の縄文語地名

 福岡市と糸島市の境目にある高祖山の南の峯はくじふる山と呼ばれているそうで、近くに日向峠という地名もあるので、天孫降臨の日向=福岡の日向峠あたりという説があります。




 日本書紀(720年)だと、何パターンかの天孫降臨の伝承が紹介されているので、代表的なものを引用します。

"高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)は、真床追衾(まとこおうふすま)で、ニニギを包んで降らせられた。皇孫は天の磐座を離れ、天の八重雲を押しひらき、勢いよく道をふみ分けて進み、日向の襲(そ)の高千穂の峯にお降りになった。"

宇治谷 孟 『日本書紀(上)全現代語訳』(講談社学術文庫、1988年)


 高皇産霊尊(たかみむすびのみこと、以下「タカミムスビ」)は天地開闢の時に出現した神様で、アマテラスが最高神となる前はこのタカミムスビが最高神だったとされています。この真床追衾(まとこおうふすま)とは、ニニギが天を降りる時にくるまれていた掛け布団だとされています。天皇が即位する時、大嘗祭という儀式を行うのですが、その際、正殿に寝具が用意され、そこで天皇が何かしらの秘儀を行っているとされていますが、誰も見ることができません。ただ、寝具を神話の真床追衾(まとこおうふすま)と見なす説があります。


 この真床追衾(まとこおうふすま)は日本神話で後2回、出現してきます。

 2回目:ニニギの息子である山幸彦が「海神(わたつみ)の宮」に行くと、床が3つ用意されていた。その内1つが真床追衾で、その上に山幸彦がゆったりと座ったことで、海神(わたつみ)はニニギが天神の孫であることを知った。

 3回目:豊玉姫(とよたまひめ)が子を産むときに、夫の山幸彦に出産のところを見るなと注意したのに見てきたので、怒って山幸彦との交流を断絶し、生まれた子供を真床追衾で包んで波打ち際に置いて海に帰る。

 以上の経緯から、真床追衾は天皇であることを証明するものであると考えられています。



家にある日本書紀




 ここから私の視点で天孫降臨を解釈します。

 まず、ニニギが地上に降臨する前に、"天の岩位(いわくら)を離れた"と書かかれています。これを玉座と訳されることがあるんですが、それに関して違和感を感じました。なぜなら岩位は磐座以外の何でもないからです。

 古代において、神というのは姿が見えない、見てはいけない存在でした。もし神が見えてしまったら、神はその人から去るか、神を見た人が死ぬ、と考えられていました。偶像崇拝は仏教の伝来によって広まりましたが、それまでは磐座などが神の間接的表現をしていました。

 ニニギが天から地へと降りるのに真床追衾にくるまれたのはニニギの姿が見えないようにするためではないでしょうか。なぜなら人間が空中に浮かんでるなんて状態は物理現象に反しており、それはまだ神の状態であるからです。

 体を透明にする道具はギリシャ神話にすでに出ており、ハデスの隠れ兜と言われるもので、それを被ると透明になるとされています。プラトンは『国家』でギュゲスの指輪という道具を書いており、その指輪をはめると透明になります。そして、ハデスの隠れ兜もギュゲスの指輪も古事記が成立する前の話です。

 しかし、海神の宮で山幸彦が真床追衾の床の上に座って神の子だと知られたのはなぜでしょうか。おそらくは真床追衾とは姿を隠す光学迷彩のようなもので、それ自体は普通の人間には見えないのですが、山幸彦は神の末裔なので見えた、あるいは触れることができた、ということではないでしょうか。

 豊玉姫が赤子を真床追衾をくるんだのはなぜでしょうか。単純に考えると、真床追衾にくるまれることができるのは神の末裔だけなので、それを強調する為に書かれたかもしれません。その点において、真床追衾が天皇の証明であるということは間違いないと思います。


 ところで、筑紫の日向の高千穂のくじふるたけにニニギが降り立つのはなぜでしょうか。古事記だと真床追衾という道具は出てきません。それでは神の姿は丸見えですね。ですが安心してください。降臨の時は火山から噴煙が出ているので、降り立つ姿は見えません。高千穂峰のある霧島火山群に不動池火山があり、3世紀後半から5世紀前半まで活動していたそうです(参考リンク)。これで神の姿は見えないというルールは守られました。あるいは、火山っぽいから過去に噴煙が出たであろうという想定でも天孫降臨があった可能性を見いだせそうですが。

 阿蘇山や桜島じゃダメだったのかという疑問が湧きますが、霧島火山群の活動時期が神話形成の時期と重なったからかもしれませんし、高千穂という名前が関係しているのかもしれません。

 真床追衾という概念は火山の活動がなくなった時の創作か、あるいは別の神話から借りてきたのか、その辺は謎です。



これは高千穂峰の河口


 しかし、3世紀後半から5世紀前半だとニニギの時代と違うだろというご指摘が予想されます。そもそも論になりますが、天から人が降りてくるなんてありえません。この逸話は後から付け加えたと考えるのが自然ではないでしょうか。

 韓国の古代の王様、首露王(しゅろおう)は西暦42年に駕洛国(金官伽耶)を建国したとされていますが、生まれる際、亀旨峰(クジボン)という小さな峰に金の卵として降り立ったという伝説があります。クジボンとクジフル、似てるっちゃ似てますね。ですが、この話の出典は『三国遺事』で13世紀に書かれたものなので、古事記より以前にこの伝説があったという証明にはなりません。

 しかし、北方アルタイ語系諸民族にはこの手の降臨神話があり、山上降臨型神話と呼ばれているのですが、これが朝鮮半島を経て日本に伝わった可能性は十分にあります。おそらく、渡来人が北九州(九州の北側)にやってきて、降臨の話が天皇家に伝わり、始祖ニニギの神格化に丁度よいと日本神話に組み込まれたのではないでしょうか。

 また、日向の説明で、ニニギの発言で「この地は韓国(からくに)に向かい、笠沙の御崎に真来通りて、朝日の直刺す国、夕陽の日照る国なり(古事記)」という描写があります。その為、福岡の日向峠付近の海岸だと「韓国に向かい」という文章が理解できるという話がありますが、その辺についての反論はこの人のブログがまとまってるので読んでみてください。






 以上が私の仮説です。いかがでしたか? これ以上ないくらいシンプルな解釈だと思います。佐賀に行った時は磐座が何か関係ありそうだなくらいにしか思ってませんでしたが、家に帰って再び古事記と日本書紀に目を通し、そして真床追衾という単語に着目した時に一気に解釈が進みました。

 来週は長崎ですが、タイトルがダジャレになってます。予想してみてください。最近のガチの記事しか知らない人が見たらズッコケそうな内容です。このまま一気に福岡までいって九州カオスモス編の幕を閉じたいと思います。



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 終わり



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