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福岡で国をめぐり古代の謎に挑む3選




 都道府県47本勝負 九州カオスモス編、いよいよ最後の福岡県です。福岡と言えば修羅の国のイメージがありますが、日本古代史の中心地でもありました。福岡の旅写真を依り代にして、古代の謎に挑みます。



①伊都国(糸島市)


 伊都国とは魏志倭人伝に見られる国の名前で、糸島市三雲を中心地とする説が有力です。伊都国には卑弥呼が任命したとされる一大率(いちだいそつ)という役人がいて、北部九州の軍事掌握や中国に発送する文書の検閲を行っていたとされています。

 伊都国から邪馬台国までの距離は1,500里とされており、尺貫法だと1里=約434mで651km離れており、九州から畿内(奈良)までの距離と一致します。また、1,500里は短里(たんり)で書かれた説があり、それだと1里=85~90mで127km以上離れていることになり、距離的には中津宇佐となるので邪馬台国=宇佐説と一致します。


伊都国歴史博物館



平原遺跡

 方形周溝墓と呼ばれる方形のお墓。築造年代は紀元100年前後とする説と、紀元200年とする説があり、卑弥呼のお墓候補の一つです。




②奴国(春日市)


 福岡の春日部市にある須玖(すぐ)岡本遺跡は、伊都国と対立していた奴国(なこく)の中心地とされています。伊都国から奴国までが東南100里で約43kmとなり、尺貫法の距離となります。福岡の志賀島から漢委奴国王印の金印が見つかっていますが、漢委奴国王印の委奴をイトと呼んで伊都国とする説もあります。


奴国の丘歴史公園

 


剣持ってる人形





③邪馬台国(?)


 1世紀~3世紀までは日本は倭国と呼ばれ、100余りの小国があったとされています。邪馬台国は2世紀~3世紀の国で、30ほどの小国を従えたとされています。邪馬台国は九州にあった説と畿内(奈良)にあった説があり、その2つが拮抗している状態です。九州説は、出土品の量が突出していること、吉野ケ里遺跡などの大規模な環濠集落があったことを根拠としています(吉野ケ里遺跡は邪馬台国としては規模が小さいとされています)。畿内説は魏志倭人伝に書かれている距離が一致していること、初代天皇の神武天皇から奈良を活動拠点としていること、また、奈良の箸墓古墳という前方後円墳が炭素14年代法によって3世紀半ば造営された可能性があり、そこに葬られたとされる倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)が卑弥呼ではないかと言われています。


 卑弥呼の墓は魏志東夷伝倭人条によると径百余歩(直径140~150m)とされ、箸墓古墳の大きさは直径約280mで径百余歩に比べると大きすぎますね。円の部分の大きさだと径百余歩に近くなるので、畿内説は円の部分の大きさを根拠としています。




 実は、2018年に福岡の田川郡赤村に前方後円墳らしきものが見つかったと報じられました。グーグルアースで見ると確かに前方後円墳に見え、全長は約450mとかなり巨大。円の部分の大きさが径百余歩(140~150m)とほぼ一致するので、卑弥呼の墓ではないかと期待の声が出ていますが、土地の権利関係上で調査ができていない状態です。







 さて、前方後円墳とは何のため作られたのでしょうか。考古学者の茂木雅博さんは前方後円墳は古代中国の思想に由来する寿陵(じゅりょう)であり、王が生前に墓を築くことで長寿を願うものだと推定しています。また、前方後円墳の他に前方後方墳があり、前方後方墳はお墓の部分が○(円)で西日本に多く、前方後方墳はお墓の部分が▢(方形)で東日本に多いです。これらの古墳を囲むように周濠という穴を掘るのですが、それが溜池を作るので、利水と治水も兼ねていたのではとされています。


↓↓↓奈良の天理市の西山古墳(前方後方墳)↓↓↓


 前方後円墳(○)と前方後方墳(▢)の違いは副葬品にも表れています。前方後円墳(○)からは三角縁神獣鏡が出来てますが、前方後方墳(▢)から三角縁神獣鏡が出土した例はごくまれです。また、前方後方墳(▢)は後で前方後円墳(○)に改築されたものがあります。




参考文献。関さんの本は読みやすい。




 近年、古代における気候が解明されつつあり、古代史における影響も徐々に明らかとなりつつあります。弥生時代から寒冷期に入るのですが、それは洪水と干ばつをもたらしました。紀元1世紀は紀元前1世紀に急激に寒冷・湿潤化した気候が、平均的には温暖・乾燥側にほんの少し持ち直した時代であり、当時の人々は干害に備えて灌漑のための水田システムを導入しました(中塚武『気候適応の日本史』吉川弘文館、2022年)。1世紀から2世紀・3世紀と次第に昇温し、4世紀から5世紀の初めにはかなり温暖なピークが現れ、5世紀初めを除く5世紀から6世紀にかけては低温となり、また、6世紀初めから温暖化が100年続きます(吉野正敏『4~10世紀における気候変動と人間活動』2009年)。


 上記の温度が上昇する期間(1世紀~5世紀初め)には古代史における重要な出来事が起こっています。

 2世紀後半(146年~189年)には魏志倭人伝によると倭国大乱が起こったとされ、日本の国同士の戦争が活発化します。1世紀前半から半ばに出現した淡路島の五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡は倭国大乱と同時期に鉄器づくりが最盛期を迎えます、倭国大乱の末頃(3世紀)に男の王に代わって卑弥呼が王となり、平和が訪れます。五斗長垣内の鉄器生産も卑弥呼の出現した3世紀には終了します。247年と248年に皆既日食が起き、248年に卑弥呼は死んだとされます。卑弥呼亡き後は男王を立てますが、再び内乱状態となります。改めて卑弥呼の跡継ぎとして13歳の台与(とよ)を立てると内乱は収束します。

 それから各地に前方後円墳(○)や前方後方墳(▢)が造られるようになります。畿内の卑弥呼の墓候補である箸墓古墳(○)は3世紀中頃~後半(241年~260年頃)に作られたとされます。九州最古の古墳である福岡の苅田町にある石塚山古墳(○)は3世紀中頃~4世紀初頭に作られたとされ、直径130メートルと卑弥呼の墓の径百余歩に近い大きさです。また、古墳が作られた時代を古墳時代といい、3世紀半ばから7世紀半ばまでとされています。



 さて、前方後円墳について、下記の研究が発表されました。

 これによれば、前方後円墳(○)の多くは太陽と月の登る方向に向いているとされています。また、我々が目にする古墳は大体は木が生い茂っていますが、築造当時は木は生えておらず、壺や埴輪を古墳の上に並べて置いていました。前方後円墳の形は天円地方という古代中国の宇宙観を表しているとも、もしくは壺の形を意味してるとも言われています。



当時はこんな風に壺が配置されていたとされる




 以下、自説を展開します。

 この壺が配置された前方後円墳って当時の気候的に、神に向けて雨乞いのメッセージを送ってるのではないでしょうか。ナスカの地上絵も雨乞い説がありますが、太陽(=神)が登る方向へ壺をこれでもかと見せつけて、水をくれと懇願していたと考えると見方がシンプルになります。要はアマテラスに対する立体的な地上絵でSOSです。

 また、前方後円墳(○)が広まっても出雲は前方後方墳(▢)にこだわっていたということから、前方後方墳(▢)はスサノオ信仰と関係があるのではないでしょうか。形状は壺っぽいですが、▢なのは単に○に対抗する形だったのかもしれませんね。

 当時、干害をどうにかしようと、アマテラスに祈るかスサノオに祈るかで別れたのではないでしょうか。アマテラスは太陽神、スサノオは暴風雨を司るとされています。おそらくはこの時期に古事記や日本書紀に書かれた三貴子としてのアマテラス・ツクヨミ・スサノオの神話が形成されたのではないでしょうか。当時、神とは現象そのもののことだったと思います。現在なら熱帯低気圧がどうとかと説明しますが、当時はアマテラスがどうとか、スサノオがどうとかで異常気象を説明しようとしたのではないでしょうか。アマテラスがスサノオの姉となり、スサノオが悪として書かれたのは、結果としてアマテラスを主神とするヤマト王権がスサノオを主神とする宗派に勝ったことに起因するかもしれません。あるいは、スサノオの性格は弥生時代中期末に洪水が頻発した時に形成されたのではとも推測できますが。




参考文献



 ところで肝心の卑弥呼は誰で、邪馬台国はどこなのでしょうか。卑弥呼は王の一族と考えられ、候補者として①倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)、②倭姫命(やまとひめのみこと)、③神功皇后(じんぐうこうごう)の3人がいます。①は生きた年代が卑弥呼と重なり、箸墓古墳もあって候補として強いです。②③も凄くそれっぽいですが年代が離れています。

 淡路島にある五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡での鉄器の生産が卑弥呼が出てきた3世紀には終了したというのはなぜでしょうか。戦乱が続いたせいで、どこかに一元化した可能性がありますね。




 とまあ、結局、どこが邪馬台国で卑弥呼も誰か特定できませんでした。ギリギリまで粘ってみたんですけどね。ちゃんと発掘調査ができていない稜墓もあるのでこれからに期待するしかないですね。

 時間的に氏族関係の調査はカットせざるを得なかったのですが、結果的に正解だったと思います。物部氏についてはまあまあ調べましたが。古事記や日本書紀の記述には詳しくなるにつれ段々と不信感を募らせるようになるのですが、どこまで本当でどこまで嘘なのか、神武天皇は本当に実在するのか、一度読んでみることをお薦めします。

 






 今回で九州カオスモス編は完結です。関裕二さんや宝賀寿男さんのような作家さん達の知識量と想像力にただただ圧倒される日々でしたが、それでも自分なりの解釈はうち出せたと思うので、挑戦してみた甲斐はありましたね。

 でもまあ、本音を言えば邪馬台国の場所や卑弥呼の正体を特定したかったですけどね。悔しいなぁ。


 中国●●●編も九州と同じようなテンションになりそうなんですが、調査が必要でちょっと時間置きたい。そう来たか!と思えるテーマとはなっております。

 軽めのエッセイが書きたいなぁ。あと三体読みたい。





都道府県47本勝負リスト

【プロローグ】
・始まりの地、沖縄で来たるべき世界を見つめる3選

【九州カオスモス編】
・神話の国、宮崎で伝説のサイズを精査する3選!
・温泉の国、大分で湧き出るものを口に入れる3選
・天皇一族がなぜ覇権を取れたのかを考察する鹿児島3選
・火の国、熊本で火の源を確認しに行く3選!
・佐賀で磐座を依り代に天孫降臨の謎に挑む3選
・和華蘭(わからん)文化の長崎で訳分からん体験をする3選!
・福岡で国をめぐり古代の謎に挑む3選 ←NEW!


【中国●●●編】

【四国●●編】

【近畿●●●●●編】
・京都旅行であえて歴史以外を楽しむ逆張り観光地3選!
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・不老不死(バケモノ)に最も近い国、滋賀を旅する3選!

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・地味で有名な愛知で地味さを堪能する旅3選!

【甲信越●●編】

【関東死闘編】
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【東北●●●●編】

【エピローグ】







↓↓↓九州カオスモス編のED曲です↓↓↓





 終わり





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