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ほんの少しの計算違い

船はどうして沈まないのか、と訊ねられたら、即答できる方は果たしてどれほどいらっしゃるであろうか。

船が沈まないのは、「浮力」、すなわち水から上向きの力を受けているからである。

それでは、船が沈むのは何故であろうか。

初航海後、1300メートル走行後に沈没してしまったこの戦列艦に関しては、原因がいくつかある。


その原因の一つ、砲甲板の大砲穴から大量の水が流入してしまったこと


1628年、ほんの数分間の航海でその悲運を終えた戦列艦であったが、その333年後の1961年に引き上げられてから再び陽の目を見る


出港後、すぐに横風を受けたことが沈没の最初の原因であるが、復原性の低さが災いしてしまった。復原性とは、旋回時の遠心力で船体が傾けられた際に、どの程度の角度まで転覆せずに持ちこたえ、外部からの応力が減じた際にもとの姿勢に復元出来るかを示す言葉(参考ウェブ


もともと砲甲板は一層の予定であったが、建造途中で二層に増やされるなど無理な構造で、さらに重武装だったため極端な重量艦なってしまったことも沈没の一因(参考ウェブ


333年前の船としては、フナクイムシに浸食されておらず、大部分の復旧が可能であった。バルト海は塩分の含有量が比較的低い。船の上部が非常に重そうであることも否めない



「船はロマン」、と著者の尊敬する創作家、くなんくなんさんは語る。以下にくなんくなんさんと、造船に半生を掛けられたそのお父様のお言葉をご紹介させて頂くことにする。くなんくなんさんのこちらのお言葉こそ、本来なら記事の本質となるべきであった。奥の深い言葉である。

造船技術は、長い長い歴史の中で、数多の成功と失敗の中で積もりに積もった人類の叡智の結晶、とのことです。

この船も、当時では最新鋭の技術者たちが魂をこめて建造したものでしょうに、船には素人同然の、ときの権力者たちにああだこうだと注文をつけられて、いらぬデコレーションを満載、挙句、進水数分でその船生命を終えるなんて、気の毒の限りでした。

くなんくなん


数々の彫像、当時を知るという意味では貴重なものである


当時の船内の生活、多くの船乗りたちは、壊血病に蝕まれた。これは主にビタミン不足に依るものであり、そのため彼らはレモンを重宝していた。その他にも、赤痢、チフスも蔓延していた。壊血病は精神にも異状を来し得るものである


ずっと眺めていたいようなミニアチュール。そう思ったのは私だけではなかったようで、人を入れずに写真を撮るのは大変であった。船の中では女性も料理等の業務を担っていた


真ん中の階の左手では、罰せられた人が足枷をはめられており、中心では病気の人達が横たわっている


当時は船内の階級差が顕著であり、規律も厳しかった。規律を犯した船員は海に投げられることもあった


復旧された船はヴァ―サ号と呼ばれていた。ちなみに船舶事故はバルト海に限らず、湖にても頻繁に起きていた。こちらでは広大な湖も多い


船首の下にはレストランがあり、当時を偲ぶことが出来る。ついでなら当時の食事でも提供して頂きたいものであるが、こちらはこの国の誇るシナモンパンである


博物館で長時間を過ごし食事をする、優雅な週末の過ごし方の一つである


ご訪問有難うございました。

昨年に続いて、今年も親戚が遊びに来てくれました。
以前、この町を訪れる知人の中には、この博物館を訪れたいという方が多かったのですが、最近は、博物館巡りよりも、風光明媚な丘などをプラプラと一緒に歩くことが多いです(今回は2万歩歩いて少しクレームが出ましたが)。

皆様が遊びに来て下さる時は、どのような観光のかたちがご所望なのでしょうね。