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【絵本エッセイ】うちの絵本箱#1『「ぐりとぐら」と「ねずみのおいしゃさま」を比較して』【絵本くんたちとの一期一会:絵本を真面目に読む大人による絵本の本格評論】

第一回「ぐりとぐら」と「ねずみのおいしゃさま」を比較して

0.本シリーズを始めるにあたって

本シリーズは、自宅の本棚に眠っている絵本・童話について、思うさまを存分に述べてみようという趣旨で企画されたものであり、その際、まず企画者である私自身の本棚から始めようと考えた次第です。
 私がこのような企画を思いついたのは、個人的な話になりますが、この春2歳になった娘に読み聞かせをしてきたこれまでの1年の間に、個々の絵本について、思うところが本当にたくさんみつかったからです。繰り返し読み聞かせながら、いつも考えていたことを、文字の形にしてみたいと思うようになりました。それが、楽しい思いをさせてくれた娘と絵本くんたちへの恩返しになるとも思うからです。

その際、対象をあえて我が家の本棚に眠っている絵本たちに限定したのは、絵本の世界がまことに広大で、限定しないと果てしなくなると考えたからです。また、本との出会いも、人と同じで、一期一会であると思うのです。すなわち、人生の中で出会えた、貴重な思い入れある数十・数百冊の絵本をこそ大事にしたいと思うからです。

その中には、自分の子供のころ、母が買ってくれた本もあれば、母が知人からもらってくれた本もあります。なぜ自分のところにあるか、経緯のわからない不思議な本もあります。そして、数はまだ少ないながら、我が娘のために夫か私自身が買い与えた、思い入れある数冊の本も交じっています。

これからは、そうしたささやかな歴史を持った、なじみ深い本の、特に思い入れある部分について、たどたどしいながらも、形にしていきたいと思っています。とにかく気軽にフランクに、を心掛けながら、楽しくつづっていきたいと思っていますので、温かいご支援のほどをよろしくお願いいたします。

 

1.子供の世界と大人の世界 ――中川李枝子作『ぐりとぐら』と中川正文作『ねずみのおいしゃさま』のテクスト比較から――

 第一回は、児童文学作家の中川李枝子さんの作品『ぐりとぐら』と中川正文さんの作品『ねずみのおいしゃさま』をとりあげて、比較したいと思います。

まず二人の作者についてですが、苗字が同じせいか、お二人がご夫婦なのではないかという説がネット上で流布していますが、これは間違いです。中川李枝子さんは昭和十年生まれで、保母さんとして一歩を踏み出された後、同人誌で頭角を現した、母としての顔も持つ自立した女性職業作家です。夫は画家の中川宗弥さんで、後でとりあげる『ももいろのきりん』等で一緒に仕事をしています。ちなみに、出世作童話『いやいやえん』、一千万部を超える超人気シリーズ『ぐりとぐら』等で組んでいる画家の山脇百合子さん(旧姓大村)は実妹だそうです。一方の中川正文さんは、大正十年生まれで、京都女子大学教授、日本児童文学学会会長などを歴任された、児童文学界の大物で、作家兼研究者です。二〇一一年に九十歳で亡くなりました。『ねずみのおいしゃさま』は、その中川正文さんの代表作の一つです。よって、お二人は苗字が同じというだけで、家族関係はないことがわかります。

 さて、誤解は解けたわけですが、このような誤解が生じるのは、二つの作品に、非常に似通った点があるからだと思われます。では、どういった点が似ているのか考えてみたいと思います。

 まず、双方の作画者が同じ山脇百合子さんということです(註:『ねずみのおいしゃさま』の旧版(一九五七年)は別の作画者だったらしい)。これはだれでもすぐに気が付くことですね。繊細でかわいらしく、ユーモラスなタッチが特徴的ですね。そして、さらに紛らわしいのが、どちらも主人公がねずみで、擬人化されている点です。表紙にそれぞれぐりとぐら、ねずみのおいしゃさまが大きく描かれているので、なおさらそんな印象を持ってしまいます。そして、この主人公のねずみがかわいい小動物で、どことなくのんきでユーモラスなところも似ていますね。その主人公のねずみの周りに、他の動物たちが出てきて、動物だけの社会を構成していることも挙げられるかもしれません。加えて、どちらの作品も、ストーリーの起承転結がはっきりしており、面白いオチがついていることが、私としては特筆したい点です。また、今となっては、あまり気が付かない点かもしれませんが、『ぐりとぐら』は一九六三年、『ねずみのおいしゃさま』は一九七四年(新版)に出版されています。懐かしい古き良き昭和の時代の匂いがする点が似ている気がします。

 では、相違点についてはどうでしょうか。まず、『ぐりとぐら』では、主人公のねずみに具体的な名前がついていますが、『ねずみのおいしゃさま』では、ただ職業名で呼ばれるだけです。『ぐりとぐら』の主人公は、のねずみで、高度な教育を受けた形跡もなく、職業は持っていません。一方のねずみのおいしゃさまは、ねずみで、医者として活躍しています。おそらく医者になるまでに高度な教育を受けているはずで、周囲からも「せんせい」と尊敬されています。周りの雰囲気も違います。のねずみのぐりとぐらの仲間の動物たちは、森に棲んでおり、ほとんど擬人化されていません。職業にもついていない、普通の動物たちです。一方のねずみのおいしゃさまの置かれている環境は、まったく人間の社会と同じです。おいしゃさまだけでなく、皆が職業についていて、働いています。『ねずみのおいしゃさま』では、高度な社会システムが構築されていると言えるでしょう。

 続いて、まったく視点を変えてみます。『ぐりとぐら』と『ねずみのおいしゃさま』を、それぞれ一つの文学作品とみた場合の、文体の比較です。『ぐりとぐら』は音楽性に富んだ、『ねずみのおいしゃさま』は文学性に富んだ文体とはいえないでしょうか。まず、音楽性ということで言えば、『ぐりとぐら』では、歌がたくさんでてきます。そして、文体はリズミカルで、音読して大変きもちのよい文体になっています。音楽性に富んでいるというのは、以上のような意味です。では、文学的であるとはどういうことでしょうか。文学的文章とは、説明的文章の反対のことです。説明的文章とは、理解を求める文章で、文学的文章とは感動を求める文章です。文学的であるとは、趣があるということだという説明をしている辞書もあります。即物的ではないということだといってもいいでしょう。このような説明を行ったうえで、『ねずみのおいしゃさま』をみてみると、大変奥行きのあるセリフや言い回しが使われていることがわかります。陰影に富んでいるといいましょうか、『ぐりとぐら』の解放感あふれる雰囲気とは異なる世界が表現されています。たとえば、「やがて、あさになりました。ねずみのおいしゃさまは、まだゆめのつづきをみているようなかおで、あなのそとへ、でてきました。そとは、まぶしいよいおてんきでした。ゆうべ、あんなにつもっていたゆきはかげもかたちもありません」といった、趣ある描写の入った地の文、「ああつめたい。こごえそうだ。たすけてくれ!」「じゃまをしないから、しばらくやすませておくれ」といった、古風な言い回しのセリフなどが、例として挙げられるでしょう。

 次に、主題の相違という点について触れていきます。まず、両者の季節の違いです。はっきりとは書かれていませんが、おそらく『ぐりとぐら』の季節は春から夏にかけてだと思われます。まつぼっくりなどが描かれているので、秋かもしれませんが、冬ではないことだけは確かです。一方の『ねずみのおいしゃさま』は、明らかに冬が舞台です。大雪が描かれています。こうした季節を背景に、『ぐりとぐら』では、野外の心地よさが、『ねずみのおいしゃさま』では、家の中の暖かさが、大変切実に伝わってくるように描かれています。そして、前者では、料理の楽しさ・歌の楽しさ・野外で遊ぶ楽しさが、後者では、自然の猛威に対する家庭の暖かさと仕事の面白さと責任の重さが主題として表れています。自然と調和しているのが前者、自然と戦っているのが後者という視点も有効かもしれません。『ぐりとぐら』は、自然と宥和し、赤ん坊のように無邪気な世界であるのに対し、『ねずみのおいしゃさま』は、職業観にしても、自然観にしても、厳しい大人のまなざしに支えられた世界であることがわかります。特に、『ねずみのおいしゃさま』の、「のんきなおいしゃさまですね」の表現からは、作品全体を俯瞰する、作者の視点が存在することが明らかにされます。厳しく監視する視線が作品世界を立体的に構築しているのです。

こうしてみてくると、『ぐりとぐら』と『ねずみのおいしゃさま』は、似ているようで、かなり性質が異なっていることが明らかになります。私は、これを子供の世界と大人の世界の違いという言葉でまとめようと思います。『ぐりとぐら』は、自然と宥和した、無邪気で自由な、解放感あふれる、遊ぶ楽しさいっぱいの子供の世界であり、リズミカルな文体に裏打ちされています。一方の『ねずみのおいしゃさま』は、社会的な職業倫理と自然の超克の理念に立脚した、基本的に厳しい大人の世界であり、表現もやや文学的な、より大人っぽい作品に仕上がっているといえるのです。

 さて、これで、『ぐりとぐら』と『ねずみのおいしゃさま』の二作品を比較して、それなりにおもしろいことがいえたことにならないでしょうか。同じ山脇百合子さん作画のねずみのお話でも、こんなに違うのですね。それでは、次に結論に至る前に、ついでに今度は作者は同じですが、作画者が異なっている作品、つまり、中川李枝子さんの実の夫である中川宗弥さんが挿絵を手掛けた、『ももいろのきりん』という作品を、違った角度からの比較を可能にするために、追いかけてみましょう。


2.絵を描くことの楽しさを伝える作品――中川宗弥絵『ももいろのきりん』を『ぐりとぐら』と比べて――

 さて、東京芸術大学美術学部絵画科油絵部卒業の鋭い線が持ち味の中川宗弥さんの絵となる『ももいろのきりん』ともなると、『ぐりとぐら』の山脇百合子さんのいかにも子供の好きそうな、優しくかわいらしいタッチの絵とはガラッと変わってきます。そのせいもあってか、同じ中川李枝子さんの作ですが、絵本と童話の違いもあるでしょうし、文体も中身も、なんとなく同じ作者の手になるとは思えないくらい、違ってみえてきます。しかし、やはり最初は、『ぐりとぐら』と『ももいろのきりん』の共通点について考えてみましょう。同じ作者なのですから、似ている点もやはりあるのです。

 まず、どの中川作品にもみられるとおり、やはり歌交じりの音楽性の高い文体ということが挙げられます。本当に楽しげな歌で、子供も大人も楽しめますね。また、どちらも動物がいっぱい登場します。そして、『ぐりとぐら』ではお料理と食べることでしたが、『ももいろのきりん』にも、工作や色塗り、洗濯干しなど、子供の好きな遊びの発想がふんだんに使われています。最後に、きりんを切り抜く、切り抜いたきりんが話して動く、クレヨンが木になっている、カラフルな動物たちが踊ったり歌ったりする、魔法の画用紙からキリカの家ができあがる、など、自由な発想によるスピーディーで血沸き肉躍る話の展開が、同じ中川李枝子さんの持ち味として、『ももいろのきりん』にもみられることを挙げておきます。

 では、逆に相違点はなんでしょうか。まず、『ももいろのきりん』では、主人公が人間の女の子るるこであることが挙げられます。るるこは感情を表に表わす、陰影のある性格の女の子です。ぐりとぐらのように、ニュートラルな感じがしません。次に、るることもう一人の主人公であるももいろのきりん、キリカの間に、ある意味の主従関係(創造者と被創造者)がみられる点も挙げておきましょう。ここが、すべて平等である『ぐりとぐら』の世界とは大きく異なるところです。キリカをはじめとした動物など、各登場人物に個性があることも違います。平等ではないのです。先にも言いましたが、少々陰のある性格を持った人物からなる陰影に富んだ世界が成立しているのです。これは、『ぐりとぐら』の明るい突き抜けたような開放的な世界とは、対照的です。そして、文体もより大人っぽく、文学的です。もちろん、絵本ではなく、童話で、対象年齢が異なるので、当たり前といえば当たり前ですが、長く、より複雑な表現が使われています。それと関連して、敵(オレンジぐま)との戦いや和解といった冒険が展開され、勇気や友情の大切さが伝わってくるという意味で、主題的に教訓的なメッセージが含まれているのも、絵本の『ぐりとぐら』に比べて、大人っぽい点です。紙のきりんが口を利く、クレヨン山や魔法の画用紙、といった、重層的なファンタジーの要素が強いのも、より大人びた世界の表れかもしれません。そして、この童話において、とりわけ特徴的なのが、色、描くこと、塗ることなどが重視され、絵を描くことの面白さが伝わってくるところです。これは、この作品の主題であるといっても差し支えないでしょう。なんとなく楽しい『ぐりとぐら』に比べて、はっきりと創造のすばらしさが強調されているのです。より人間的に高度な営みが語られているといってもいいでしょう。

 それでは、こうしたこの作品は、超人気作品『ぐりとぐら』と比べて、より優れ、なおかつ読者受けしている作品といえるのでしょうか。以下、この問いについて検討してみようと思います。

まず、中川宗弥さんのユーモラスでひょうひょうとした、大人っぽい絵によっても表現されていますが、先にも言ったとおり、きりんの誕生、雨で色が落ちる、クレヨン山、カラフルな動物たち、魔法の画用紙、きりんの家といったモチーフに特に表れているように、この作品は、描くこと、塗ること、つまり、絵を描くことの面白さを伝えるものとして第一に位置づけられる作品です。次に、絵本でなく、長く、大人っぽい童話です。理屈っぽく、教訓的でもあります。こうしたことを考えると、とにかく楽しい絵本『ぐりとぐら』に比べると、万人向けではないといえるのではないでしょうか。

すなわち、描くことの面白さを伝える名作ですが、子供受けするかどうかはわからないというところが妥当な回答でしょう。つまり、より高度で複雑で理念的な世界が構築されているので、理解が難しいということです。

ただし、それだからといって、この作品が『ぐりとぐら』に劣るわけではありません。少なくとも私は名作だと思います。個人的には、まず、特に主人公の女の子である、るるこの繊細なところ、感情の起伏を思った通りに出してしまうまっすぐなところが好きで、そういったところからもとてもかわいらしい素直な作品だと思っています。また、きりんのキリカがちょっと首を振り回すくらいで、敵であるオレンジぐまとの戦いの決着がつくぐらいの、戦いといっても大した争いのない穏やかなものであるところ、敵といってもクレヨンをくれないくらいのかわいいものであるところが、罪がなくていいなあと思います。こうした『ももいろのきりん』の世界は、敵との戦いを含む一種の冒険であるとはいえ、総体的にみて、あまり起伏のない、淡々とした世界であるように思います。ですが、淡々としているからこそ、見た目のかわいらしさ・無邪気さの中に読み取れる何かは深いのかもしれません。私は静かな淀みの中に沈んでいる、深い真理のようなものを感じるのです。私はこうしたわけで、『ももいろのきりん』が、埋もれているのがもったいないすぐれた作品だと考えます。

以上、夫中川宗弥さんと組んだ『ももいろのきりん』についての私の個人的な評価でした。いかがでしたでしょうか。中川李枝子さんというと、つい妹の山脇百合子さんとのコンビを思い浮かべますが、ご主人とのお仕事もあったのですね。そして、それはベストセラーにはなれなかったかもしれないけれど(註:正確な累計部数については、調べられませんでしたが、おそらく『ぐりとぐら』にはかなわないと思われます)、渋い魅力のある作品です。興味深いことですね。やはりパートナーとの相性や相乗効果によって、それぞれのよさや特徴が引き出されてくるのでしょう。その意味で、『ぐりとぐら』と『ももいろのきりん』では、同じ作者ながら、ほとんど異なる世界が構築されているといってよいと思います。

それでは最後に、今までの二つの比較の論点をたたき台に、もう一度『ぐりとぐら』のよさについて考えてみたいと思います。


3.結語:『ぐりとぐら』のよさについて

 まず、超人気作『ぐりとぐら』はその後にシリーズとして確立されました。本シリーズでは、その後、『ぐりとぐらのおきゃくさま』『ぐりとぐらのかいすいよく』『ぐりとぐらのえんそく』『ぐりとぐらとくるりくら』『ぐりとぐらのおおそうじ』『ぐりとぐらとすみれちゃん』ほか、多数の作品が日の目を見ています。そのどれにも共通して言えるのは、まず、ほぼ必ず楽しい歌が混じっているところです。『ぐりとぐら』といえば歌、という印象があるほどです。そして、食べたり、料理したり、泳いだり、掃除したり、遠足したり、変わった人(動物)に会ったり、畑仕事をしたり、と、子供の好きそうな遊びや冒険のモチーフがふんだんに使われていることも、共通しています。また、手の伸びるうさぎや、ぞうきんおばけ、葡萄酒の瓶に入った手紙、うみぼうず、サンタ、伸びる毛糸玉、すみれかぼちゃ、といった意外な人物やガジェットが登場する、自由な発想に裏打ちされた血沸き肉躍るストーリー展開も、特徴的です。そして、なんといっても、かわいらしくユーモラスなキャラクターたちです。そのキャラクターの魅力を、山脇百合子さんの挿絵が阿吽の呼吸で引き出しています。中川作品なら山脇さん、という定番のイメージが生まれるほどです。そういったパートナーシップの成功があったればこそ、こうした特徴があわさって『ぐりとぐら』シリーズの根強い人気に結びついていることは、間違いがないと思われます。むべなるかな、です。

ところで、『ぐりとぐら』シリーズの中で、初代『ぐりとぐら』にだけ見られる特徴は何でしょうか。なんといっても、子供たちの大好きなお料理と食べることがメインなモチーフで、歌がことにわかりやすいという点ではないでしょうか(註:『ぐりとぐらとすみれちゃん』でも食べることと料理がモチーフになっていますが、ストーリー展開にあまり衝撃力がありません。かわいらしい話ではあるのですが)。そして、いきなり大きな卵が落ちている→外でカステラを焼く→その手順が全部出ている→動物たちみんなで食べつくす→殻で車を作るという、予想外の展開が、なんともユーモラスで、また、インパクトがすごいではありませんか。以降の『ぐりとぐら』シリーズには無かった路線といえます。また、ぐりとぐらという命名もすごいと思います。自然で、かつ、ユニークです。
 おそらく、第一作『ぐりとぐら』以前の児童文学界において、『ねずみのおいしゃさま』のように、文学的には素晴らしくても、大人目線で難しい作品が多かった中では、『ぐりとぐら』のような、お料理や歌といった子供の好きな世界に立ち位置を持った、子供目線の作品の登場はさぞかし斬新だったのではないでしょうか。実妹との息の合ったコンビによって生み出された、かわいく楽しいぐりぐらワールドです。そのリズミカルな文体とおいしいお料理の描写、かわいい挿絵、ユーモラスなキャラクターの造形は、一時の新しさを文学史にもたらしたのみならず、今でも十分通用する楽しさがある気がします。

『ぐりとぐら』は、このように、子供ならだれもが好きな作品であるだけでなく、大人にも十分訴えかける作品です。今や、世代を問わず、ひきつけてやまない、古典中の古典になりました。そして、その成功はもっともなものであり、ただ世間的に成功しただけでなく、端的に優れた作品といってよいのです。

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 ただし、あまりに有名になりすぎてしまったので、評判が先走りしている感もあります。今では『ねずみのおいしゃさま』のほうが古風で文学的で、かえって希少価値があるかもしれません。パーッと明るい陽気なぐりとぐらと、ひょうひょうとしたいぶし銀のおいしゃさま、どちらが好きかはそれぞれの好み次第でしょう。

ちなみに私はおいしゃさまもぐりぐらも好きで、娘もどちらも好きなようで、気分によって読み分けています。大人と子供、どちらもそれぞれの魅力がありますよね。甲乙つけがたいところです。愉快な気持ちになりたい人はぐりぐら、のんきな気持ちになりたい人はおいしゃさま、なのかもしれません。さて、皆様はいかがでしょうか。

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