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夏目漱石から学ぶ【本物の知性】とは。

知性とは、生きる力である。

「○○教徒はテロリスト予備軍だ」
「移民をわが国から追放しろ! 」
「海外の生産拠点はとにかく国内へ」——
近年、こうした排外主義的な主張を声高に行う指導者が、先進国・途上国を問わず世界各国に相次いで登場し、その国の大衆層から熱烈な支持を受けるようになっています。彼らの言説は、正義は必ず自分たちの側にあり、対立する国家や民族、集団は常に不正である、と信じ込んでいる点であまり違いが見られません。

反知性主義、好きや嫌いなどの感情や自分たちの主観的な見方に価値を見出す態度のことです。

まさに、ドナルド・トランプのような人物かもしれません。

しかし、それは一国の指導者だけではなく、現代を生きる個人一人一人にも当てはまります。

SNS上で赤の他人を平気で批判したり、ゴシップに乗っかり自分の考えの正しさを強調したり、

ドナルド・トランプと、現代の個人個人一人に大きな差はありません。

そんな現代にこそ、生きる力としての知性が求められています。

本日は参考図書に沿いながら、先人からの【本物の知性】とは何か、を考えていきます。

本日の参考図書はこちらです。

斉藤孝氏の『知性の磨き方』。斎藤氏は教育学者。考える力、読解力の書籍を書いていいます。

冒頭分を読むと確かに、現代における知性の重要性を突き付けられます。

では、本noteの結論からです。

本物の知性は、自分という存在を飛び越えて悩む力。そして、それを解決するための腰を据える場所見つけることで身に付けることができる。

では、夏目漱石から【本物の知性】とは何かを考える探検にでかけていきましょう。

■夏目漱石に学ぶ:自分の存在を超えて悩む力

100年前の日本にも、国家と自分自身を同一視し、日本の宿命を自らの宿命と捉えて悩みぬいた第一級の知識人がいました。文豪夏目漱石です。

「稼ぐ力を身に付けたい」、「出世したい」、「お金持ちになりたい」

と、悩む人は多いと思います。一方で、

「日本の国力を底上げしたい」、「世界から貧困をなくしたい」、「地球温暖化を防ぎたい」、

と、悩む人は多くないはずです。

しかし、本当の知性というのは、”自分という存在を超えて悩む”ことから始まります。

明治時代に日本における個人主義を考え尽くし、いかに自己同一性を保つのかを苦悩した人物、

夏目漱石

漱石は明治維新の激変を、西洋のように内発的に起きたものでなく、外国により外圧的に起きたもの。と捉えていました。

西洋から日本に押し寄せている大きな潮流は、決して逆向きになることはないし、その波に晒されることにより、日本という国家と日本人は今後自分も見失いがちになるのは避けられないだろう。

それが、将来を通じた夏目漱石のテーマでした。

「近代日本に生きる人間はどう生きるべきか??」

という大きな課題を漱石は引き受け、それを物語として僕ら日本人に問いかけます。

そこれから生まれたのが、『こころ』『三四郎』『門』などの名作です。

そしてそこに答え(救済策)はありません。

小説を読んで僕ら読者は、日本人のアイデンティティ考えさせられる、つまり悩まされます。

それが、漱石の意図したことでもありました。

翻って現代に生きる僕らはどうでしょうか。

自分のことばかりで、社会や他者が抱える問題に目を向けられているでしょうか。

ハウツー本や自己啓発書などで、安易に答え(救済)を求め、悩む、考えることを放棄していないでしょうか。

自分という存在を超えて、悩むことができていますか??

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■夏目漱石に学ぶ:尻を落ち着ける場所を見つける。

漱石は語ります。

何かに打ち当たるまで行くということは、学問をする人、教育を受ける人が、生涯の仕事としても、あるいは十年二十年の仕事としても必要でないでしょうか。ああここにおれの進むべき道があった!ようやく掘り当てた!こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたは始めて心を安んずることができるでしょう。

漱石は英国留学につき、文学を学びますが『文学とは何か。』という根源的な答えを見つけることができず、

漱石は神経が衰弱していると周りから言われるほど、悩んだそうです。

しかし、ロンドンの下宿部屋で懊悩する中で、ついに答えを見つけます。

この時私は初めて文学とはどんなものであるか、その概念を根本的に自力で作り上げるほかに、私を救う途はないのだと悟ったのです。

こうして、夏目漱石は文豪への最初の一歩を踏み出していきます。

それが、漱石にとって腰の据える、尻を着ける場所を見つけた瞬間でした。

そして、ご存じの通り文学を通じて漱石は日本に多大なる貢献をもたらします。

この考えは、実は先日noteにした落合陽一氏にも非常に通ずる考えです。

落合氏は、”研究者”になること。漱石は”尻を落ち着ける場所”を見つけることを説いています。

近代と現代の天才の2人が、言葉は違えど同じようなことを述べいます。

時代を超えても不変的な考えや価値こそ本質的だと僕は思います。

僕は残念ながらまだ、自分の腰を据える場所というのをまだ見つけることができていません。

そして、それを見つけるために今は本を読み漁っています。自分の関心のある領域、学びたい領域を探す旅路の途中です。

こうしてnoteによるアウトプットを続けながら、自分が研究者になりたい分野を探していきたいと思います。

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■まとめ

さて、本日のまとめです。

【生きる力=本物の知性】を手に入れるために、僕らが夏目漱石から学べることは2つです。

①自分の存在を飛び越えて、社会や他者のために悩む力
②それを解決するために、自分の腰を据える場所を見つける。

②が、夏目漱石の場合は文学で、落合陽一氏の場合はテクノロジーでした。

僕が改めて強調したいのは、自分のためになる情報や知識だけでなく、

社会や他者のことを知る、学ぶための情報や知識を得ることを意識的に行うこと。

そして、強い問題意識を感じたら、深く研究してみる、学んでみることが大切だということです。

昨今は、『稼ぐ力』『投資で成功する方法』『フォロワーの増やし方』などの自分中心の価値観に重きが置かれているように感じます。

しかし、同時に社会課題に対する理解や勉強を行うことが、本当の知性を身に付ける要諦です。

社会課題に対して、感情や主観だけでなく、深い知性に基づいて意見を表明するためにも、

何か一つ、本物の知性を身に付けるために解決したい課題を見つけてみてはいかがでしょうか。

さてさて、本日もありがとうございます。




















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