見出し画像

2023年を振り返って
今年も色々あった。大なり小なり皆さんも同じだろうか。ABC理論ではないが、同じ出来事でも人それぞれに解釈が異なることで捉え方が変わってしまう。今年の「アスリート」達は凄かった。スポーツ界においても文化的にも、日の丸を背負う姿は眩しかった。感動を与えてくれた。勇気を与えてくれた。奮い立たせてくれた。夢を与えてくれた。

一方で戦争や紛争も身近な存在になったような気がする。「善」と「悪」という行動原理など騒がれているようだが、残念ながら「思想」ほど怖いものは無いと思われる。今、世界で起きている殆どの紛争・戦争等の原因は「思想」の違いである。それを糧に「正義」のもとに戦っている思想がそこにある。人は「悪」に対してどこかで罪悪感があり、理性が働くのか歯止めがかかるというか「そこまでは」という限界線を、境界線を引いてしまうが、「正義」には歯止めが効かない。「小説=翼を持つ少女」(作=山本 弘)自分が疑ってやまない自分が「正義」だと信じる正義は本当に正しいのかどうかを疑って見る必要もあるだろう。本質を見極めることも、ネット社会になって顔が見えない言論や主張は、本当に正しいかどうか、読書好きの私にとって「SF」は余り好まない分類だが、考えさせられる一文だったので紹介させてもらいました。

そして、生まれて来る命もあれば、去って行く命もある。今年も私にとって多くの著名な方々がこの世を去った。あまり大きく報道されなかったようだが、往年の映画女優でラクエル・ウェルチという方が亡くなった。世紀の美女と言われた、とってもグラマラスな女優だった記憶がある。生涯の師匠であり大先輩のお嬢さんが、出産をした。(たしかまだ学生のようだったが、、、?)おむつを履いて、よちよち歩きの頃から知っている、あの娘が母親になった。母子ともに無事で健康だと伺っています。何よりの幸せですね。どうぞ、ご自愛下さいませ。心よりお祝い申し上げます。

今年の年頭所感にもある通り、「出来事」をそのまま肯定的に受け入れるようにしている。それが自分の「運」だと思えるからである。例え反対意見があろうとなかろうか、心配してくれる人も沢山います。「出来事」は引き寄せの法則と言っても過言ではなかろうか。
だからこそ「挑戦」したいと思います。いや、性分なのであろうか。経験や年齢に関係無く、苦難であり試練とわかっていても、これからを大事にしたいと思います。

さぁ明日は除夜の鐘が鳴りますね。ところが、除夜の鐘を不快な騒音だというクレームを耳にした。まぁ少なくとも日本人であるが故の遺伝子を、ほんの少しでも持っているならば、このようなクレームは無いのだろうが、法要や祈祷にも苦情があるらしい。自分の事は何でも許せるが、他人の事(音)は許せないという不寛容さとも言えるのだろうか。

崩れたクリスマスケーキ騒動にも違和感を感じた。予約数の1/3にあたるらしいのだが、販売元である高島屋は、原因特定よりも全ての問題の一切を謝罪し、返金等も受け入れた。原因を特定(追求)し、犯人を吊るし上げる世の中において、素晴らしい対応だと感じた。同様問題と言えないかも知れないが、ダイハツ問題でも親会社にあたるトヨタは、現段階では全てを受け入れる体制で望むとも発表している。

だいたいが、大事なクリスマスケーキくらいは、ケーキ屋さんで購入して、千鳥足を封印して崩れないように大事に持って帰る親御さんを見掛けなくなったものだ。何でもかんでもネット注文・配送に依存している時代なんだろう。古来の風物詩や縁起物、伝統やこだわりを忘れないようにしたいものだ。

いけね。年賀状が「LINE」に変わってしまった。。。あけおめ!だってさ。。。すみません。。。

これも世知辛い世の中と呼んでよいのだろうか。。。