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やさしくしぶとく生きていく
noteの使い方が迷子のまま、試行錯誤。
本日から心機一転、また徒然なるままに書いたり(消したり)していこうか、と。
歌うように、踊るように生きていけたら、といつも思う。
いつだって自分の機嫌を上手にとりたい。
残念ながら、そんな日ばかりじゃない。
でも、やさしくしぶとく、上機嫌な日もそうでない日も生きていきたい。
風の通り道をつくろう
2024年の幕が上がる。
昨日まで大晦日だったのに、2023年だったのに。
(いや、これも元旦のつもりが日を越して新年二日目だった)
2023年の締めくくりはタミフルとカロナール。
子どもたちのインフルエンザの総仕上げとして罹患した。
年末の最終診療日、どうにか滑り込んだ病院で診断を得たおかげで
寝込むだけで済んだのは本当によかった。
この体調で、自ら時間外診療にかかるのは無理だ。
こんなに眠り
はじめて「死」を意識する
先日のこと。
未子が突然泣きながら
「ママは死んじゃうの?」
と聞いてきた。
一応、まだ予定は無い旨を伝える(予定は未定だけど)。
続けて臓器移植の意思なども確認してきた。
なんでかな?と考えて思い当たることはひとつ。
子どもたちの学区内で痛ましい事件が起きたこと。
通学路にはパトロールの警察のひとや付き添いの保護者がいたり、
いつもとは違う週明け。
周囲の人が交わす「死」や「殺人」という言
あの日困って泣いていた小さなわたしへ。
使わなくてもあるだけでいい。
小学校に子供が通うようになって8年、どうしても叶えたかったことのひとつ。
それは生理用品をトイレに設置すること。
昨年秋、やっと叶えることができました。
子どもの通う小学校は、全校生徒は500人弱。
1学年2-3クラスの小さな小学校。
その学校内の14か所のトイレ個室に5個ずつ生理用品を設置。
この生理用品で小さな女の子たちの「困った」を少しでも解決出来たらどん
カレーのようになりたい。
昨日は夏至、ということでカレーをいただきました。
ご存知でしょうか、夏至カレー。
ご近所さんとのごはん会で知った「夏至カレー」は「太陽に感謝し、カレーをおいしくいただき、今年前半を労うとともに後半の健康を願う」イベント。
わたしの場合は、ただ単に友人たちとカレーを食べるだけなんだけど、本当においしくて楽しい。
持ち寄る人、一緒に「作る」や「食べる」を楽しむ人。
我が家は子どもたちがスパイスが得
レモネードスタンドのこと。
倉敷レモネードスタンド、「Moka Lemon」が無事に終了しました。
レモネードスタンドを始めたきっかけは、2年前の冬に小児がんで小さな友人を亡くしたことです。
赤ちゃんのときから知っていて、賢くてかわいくてちょっと生意気な女の子。
彼女が小児がんになって、この病気が身近なものになりました。
知れば知るほどに、自分の無力さを実感するばかり。
存命のうちには、なにもできなかったわたし。
そのこと
センチメンタルゴールデンウィーク(2)
子どもの日。
祖父母(両親)のもとへ子どもたちと一緒に。
この一、二年は部活や習いごとが増え、三人揃って会う回数は減ってしまった。
この10年は父も母も交互に病気をして入院や手術を経験することに。
特にこの4年は父の病気が再発を繰り返してきた。
父が少し落ち着き、順番待ちしていたかのように母が手術することに。
術後の母はわかりやすいほどに痩せていてカサカサになってしまった。
ひとつひとつの動作
センチメンタルゴールデンウィーク(1)
ゴールデンウィークは待ちに待った「晴れの国おかやま24時間・100キロ歩行」に参加。
わたしと中2息子はこの大会の親子参加の部で44キロ歩行にチャレンジ。
結末からいえば、33キロでリタイア。
完歩ならずでした。
でも、この大会の目的は「息子と二人の時間を過ごす」こと。
しっかりと果たすことができました。
7時間弱ふたりでしゃべりながら歩いたこと、今までにない体験。
正直、彼とふたりでなに
42歳は歌いながら踊りながら。
先日、誕生日を迎えた。
年末年始、誕生日、10月、年に3回自分のことを振り返ったり、こんな風にしたいきたい、ということを考えている。
今年は暮らしの中で、「歌うように踊るように」 いや、「歌って踊って」
生きていきたいと思う。
(歌も踊りもまったく得意ではないけれど)
苦手な洗い物は大音量でノリノリの音楽を聴きながらやりたいし、
いいことがあったら、とりあえず喜びのダンスを踊りたい。
ダイニ
いま、お借りしています
いつから、そんな風に思うようになったのだろう。
子は天からのあずかりもの。
我が子ではあるけれど、
親の所有物ではない。
そんな当たりまえを「お預かりしている」と思ったとき、
自分のなかで子どもに対する考え方がフィットした。
どんな子どもも神様からお借りしている。
あの子はあの家に、この子はこの家に。
縁あって我が家にやってきたのだから
大切に大きくして巣立たせるのだ。
そのことをその
小さなわたしに出会う
.
ふたをしていたところが
コトン、と音を立てた。
「わたし」は「わたし」なのに、
「わたし」じゃない...?
川瀬はる
「私をとり戻すまでのふしぎな3日間」
この感覚、知ってる。
最初は大好きなひとに好かれたい、
それだけだった。
気づけば、なんだか息苦しくて
薄い綿で包まれたようになっていた。
その記憶はわたしの中の奥のほう、
小さなふたをした場所にある。
そんなことを思い出して