『寺子屋』などの『江戸の教育』を、『新しい時代』に取り入れる
地球は
5次元の新しい世界へ向かっている
というお話をしてきて
これからの新時代の特徴などを
様々な視点から書いてきました。
詳しくはこちらの記事から
読まれてみてください。
新地球の特徴である
「愛の世界」にある教育
とはどんなものだろう?
ということを
ずっと探求しています。
こちらの記事では
この本を元に
工藤先生の教育哲学が
「愛」である
ことと
今の教育の当たり前は
愛ではない
ということをシェアさせていただきました。
同じく
この本の中では
と述べられていて
と書かれています。
昔の学校である「寺子屋」など
「江戸時代の教育」について
これらの本から調べてみると
特徴のひとつとして
ことがわかりました。
これから世の中は
本格的に大きく変わっていくことになると思います。
同じように
と考えています。
江戸の教育について調べたこと
と
不登校の問題、新時代へ向けてどのように生かせるか
私の考えをシェアしたいと思います。
①江戸時代の教育の特徴
江戸の教育の特徴をまとめると
・時代の必要性に応じて自発的に学校ができたこと
・儒学の思想がベースになっていること
・今のような一斉授業ではなく、個別に応じた教育
だったようです。
江戸時代の考え方のベースになっている
「儒学」は
今の日本人の精神性や価値観のもとになっている
とも言われますが
私自身もよくわかっていなかったので
「儒学」とはについて触れたいと思います。
☆儒学とは?
こちらの「儒学に学ぶ」のサイトから
まとめます。
儒教には
孔子が開いた古典的な儒教(論語)
や
新しい儒学である朱子学や陽明学などがあり
江戸の教育の場では
混在する形で浸透していったようです。
②江戸時代の学校の種類
江戸時代には
「士農工商」という身分制度がありました。
ですのでざっくり分けると
*身分に応じた学校である
❶寺子屋(農・工・商)
❷藩校(武士)
と
*身分関係なく学びたい人た集まった
❸私塾
に分かれていたようです。
それぞれを少し詳しく説明します。
❶寺子屋(庶民)
町人はもとより、農民さえも
貨幣経済に巻き込まれていったため
経済の浸透により、文字や計算を不可欠なものとなりました。
ですので
ということです。
習い料も必要だったそうです。
「寺子屋」という名前の由来は
元々は室町時代の頃に
寺院では、檀家の子弟のために
生活に不可欠な知識を教えていたそうで
「寺に預ける子」略して「寺子」という言葉が誕生。
そうです。
❷藩校(武士)
農工商の庶民を統治する支配エリートの養成。
戦国時代の下剋上を克服するため、
幕府をピラミッドの頂点として
階層秩序を確実にすることが優先されたため、
農・工・商の3民の道徳的なモデルとなるような
社会秩序の体現者となるべきであるという
武士教育が必要となり
それぞれの藩が設立。
❸私塾(身分に関係なく学びたい人たちの集合体)
身分や階層集団を超えた集団。
内容も多岐にわたり
現在のように「どこで学んだか?という学歴社会」ではなく
「誰から何を学んだか?」に重きが置かれていた
そうで
武士の務めとして強制された藩校に対して
私塾はあくまでも学ぶものの自由意志において
教育関係が結ばれていたそうです。
一定の読み書きの基礎的な能力を習得した人々が
私塾を経営する教師の学問や人格を慕って
主体的に集まって形成されたそうで
今でいえば
小学校を終えた人が
中・高・大生・さらに大人向けに
作られたフリースクールに
自由に集まっているイメージでしょうか…
寺子屋と同様に
教育年齢制限や、教育内容もまちまちで
誰がいつどこで私塾を開業しようが
幕府や藩の禁令に触れない限り原則的に自由
だったそうです。
有名なものに松下村塾や適塾があるのは
歴史の教科書でも習ったところですね。
③庶民の教育〜寺子屋と地域でこどもを育てる
そうで
「子どもを一人前の大人にする」ことが目的の
庶民の教育は
①読み書きなどの学習を寺子屋が
②人間教育の部分を地域が担い
相互に連携し一貫した組織を作り上げていたそうです。
☆寺子屋の教育
①カリキュラム
「読み」「書き」「そろばん」が中心
実社会や経済活動に結びついた知識や技能
多くの寺子(子どもたち)が
主にこの3つを学び
今よりはるかに若い年齢で社会に出て
家計を助けていた
そうです。
また子どもたちのお楽しみのための行事を行うところもあったようです。
②教え方・学び方
自学と学び合いで
教師は今のように一斉授業はしない
わからないことは友達に聞いたり、
お互いに教えたり教えられたりしながら
主体的に学んでいたそうです。
③儒学(論語)
真っ当な人間として生きていくための心構えである
「道徳」や「躾」も教えていたそうです。
「論語」が寺子屋師匠の聖書のようなもので
彼らの多くの本業は農業、商業で
学問はあくまでも余暇の趣味道楽で
学問は一流ではないけれど
彼らが時代と社会を動かす力になったのは
論語だったのだそうです。
※『論語』とは儒教の祖である孔子の言行を、
彼の死後に弟子たちが編纂した書物です。
☆地域のサポート
学習の方は寺子屋で学び
人間教育としての役割を
地域がを担っていて
村祭りや地蔵盆などの子供を中心とした行事を通して
「地域子ども」として育てたのだそうです。
子どもたちは地域の
年齢集団「子ども組」にも属し
子ども組→若者組→壮年組→老人組
へと年齢別に分かれて所属していたのだそうです。
村落において年齢相応に
集団生活の経験を積んでおくことは
立派な大人になるために必要なことだと考えられていて
子どもぐみは村の行事で公的役割を果たし
こうした年中行事などで活躍した子どもたちは
自信をもつことになり
これが実地に学ぶ鍛錬教育であり
家や社会が豊かな教育機能を果たしていたのだそうです。
戦後GHQは様々な教育の民主化を行いましたが
こうした民主化の中で
地域から子どもたちが引き離されていったのだそうです。
また現代の学校は
それまで家庭や地域が担った
教育機能までも要求されるようになり
学校に人間の教育を全て詰め込もうとすること自体が
問題である
とも書かれていました。
④江戸の愛の教育者
愛の概念は色々ですが
(詳しくはこちらの記事を読まれてみてください。)
その愛の概念のうち
・平等(お互いが対等)
・個性を大切にしている
と私が思った
江戸時代の教育者は
この方達です。
(もちろん他にもたくさんいらっしゃると思いますが…)
⭐︎吉田松陰(松下村塾)
松陰と塾生の関係は
教えるものと教えられるものという関係ではなく
共に学び合う「師弟同行」という形を重んじたそうです。
(対等な立場を大切にする愛の考え方だと思いました。)
松下村塾は学校としての規模やそこでの学問など
とりたてて特異なものではなかったそうで
ましては適塾のように、
新しい西洋の知識を教授することもなかったそうですが
新しい知識を蓄積したところで
それだけでは新しい時代を切り拓いていくことはできない。
時代を見通す先見性と、時代を改革していく強い意思、
行動力を備えた人間の存在が必要となる。
と考えていたそうです。
教育は教室で書物を通して行われるだけではなく
畑仕事や塾舎の改築など労働を通しても行い
松陰はこれを「相労役(あいろうやく)」と言って重んじたそうです。
さらに書簡の教育として
個々の熟成に対する忠告や励ましの内容や
塾生の長所を必ず一つ発見し、
それを褒め称えて
そこから塾生が一つの方向を見出すことができるように導いたそうです。
塾生の個性を大切に思い
指導してこられたのだと思います。
☆荻生徂徠(おぎゅうそらい)
荻生徂徠は
個性を大切に考えた人だと感じました。
江戸の学問や教育の原理を提供したのは
儒教の一派である
朱子学
と
陽明学
でしたが
こころの在り方についての解釈が
個性を大切にするか(陽明学)
個性より理性を大切にするか(朱子学)
で違い
荻生徂徠は朱子学に反発して
個性を大切にする考えをしていた人
だということになります。
ここからはもう少し詳しい内容になりますが
複雑かもしれないので
複雑なのが嫌な方は
**************のところまで
飛ばして読まれてみてください。
朱子学の基本は、
「理」と「気」で全てのものが存在するものが説明される
という「理気二元論」がベースになっています。
簡単に言うと
「気」は物質を形成するエネルギー体
「理」は万物がこの世に存在する根拠、従うべき規範
です。
今の量子力学で言えば
全てのものは素粒子(エネルギー)からできていて
固有の振動数の違いにより
物質ができている
というところでしょうか?
詳しくはこちらの記事に書いています。
すでにこの時代に
量子力学的な考え方をしていたことにも驚きです。
しかし
心の動き(自分の本音)までも
従うべきルールに合わせるか、合わせないかで違うのが
朱子学と陽明学なのではないかと思います。
詳しくはこちらのサイトを参考にされてみてください。
************
徂徠は
と説いたそうです。
それってこういうことだと思います。
⑤新時代教育に江戸の教育から学べること
☆必要性に応じて自発的に学校を作る
江戸の教育の特徴には
時代の必要性に応じて自発的に学校ができた
と先述しました。
今の世の中は全て許可制なので
学校は許可がないと作れないと思いがちですが
私塾のような形で
立ち上げていくことは可能なのでは?
と思います。
今だって口コミの習い事で
おうちで教えたり
公民館で教室を開く分には許可も要りませんよね。
☆何をどう教えるか?
今の教育は明治時代に
西洋から入ってきたものでした。
その特徴は
・学ぶことが一律に決められていること
・先生と生徒という上下関係にあること
・公教育であれば、地域の学校へ行くしかなく選択肢がない
・半強制的であること
・学校組織自体がトップダウンで国からの命令下にあること
などとも言えると思うのですが
という本質的な教育であったということが
わかりました。
冒頭で書きましたように、
工藤先生(「学校の当たり前を辞めたの著者」)が
言いたかったのは
これからの教育に必要なのは
ことだと思います。
江戸時代には
・儒学の思想がベースになっていること
・今のような一斉授業ではなく、個別に応じた教育
と述べましたが
教育スタイルは
寺子屋
松下村塾
のような「個性を大切にし、共に学び合う」スタイルが
参考になると思いました。
また儒教に関しては
全ての教えが「愛」であるとは思わないので
(上下関係を大事にするところなど)
これからの愛の時代にふさわしい部分を
吟味する必要はあるとは思いますが
日本人の精神性の一部として知ってもらうという意味で
教えるといいと思います。
(宗教としてではありません。)
なぜならこれからは
日本の精神文化を世界に伝える時代になるからです。
子どもたちは
「どのようにしたら、人とも自然とも調和がとれるのか?」
ということを
日本から世界の人たちに伝えていく時代を
生きていくことになると思います。
そういう意味で
これからの子どもたちは
英語よりも調和の概念を知っておく必要があると思うのです。
☆不登校の子のための寺子屋・私塾
コロナがあってから
不登校の子どもたちが増えたと聞きます。
そもそも今の学校の在り方は
愛ではないですし
多くの学校の組織形態も
トップダウンの指示に従う組織であり
「愛」ではないと思っています。
詳しくはこちら↓
地球が愛の世界へ変化しているので
子どもたちも「愛の時代」を生きることになります。
子どもたちが
今の学校のあり方に
「No!」を言っているようでもあります。
それでも無理に学校へ行かそうとする人たち
と
新しい愛の世界(教育)を作っていく人
と二手に分かれていくのではないかな?
と思います。
詳しくはこちらの記事から↓
まさに江戸のように
時代の流れの必要性で
大きな学校を作るのではなく
手作りで小さなところで立ち上げていく時代なのでは?
と思います。
新しい学校を見つけるというよりは
必要になった人が
寺子屋とか、私塾のように
自分のできる範囲のことで
作っていけるといいですよね。
実は教えることなんて
読み、書きぐらいで
特には何もないのだと思います。
子どもたちの話を聞いて
やってみたいことを応援する
それだけなのだと思います。
子どもの習い事のお教室や塾をされている方も
そのような新しい視点を持つ方が増えると
不登校の子どもたちの居場所が
近くに増えてきて
学校教育のあり方も変わってくると思います。
☆コミュニティの中での寺子屋
地球は「愛と調和」の世界へ向けて
そのような社会の実現を目指して
志のある方たちが
各地で
コミュニティを立ち上げているようですが
社会崩壊が進んでいくと
さらにその動きが加速すると予想しています。
そうするとそこで子どもの教育の必要性が出てくると思います。
学校がないから
コミュニティに参加できないのではなくて
コミュニティに参加して
その中で
必要に応じて寺子屋や私塾のような
フリースクールが立ち上げ
そのコミュニティの人たちで
江戸の人たちのように
地域でも子どもをサポートしていけば
いいのでは?と思います。
⑥まとめ
そもそも
江戸には
個性に合わせて『やりたいときに、やりたいことを学ぶ』
という愛のある教育がありました。
しかし明治になって
愛のない西洋式の
画一的なトップダウンの今の教育が
導入されました。
そこには多分
世の中の支配者たちの意図があったと思います。
ですから
今のコントロールされた教育から抜け出して
新しい時代の教育をみんなで創ることが必要で
私たちに必要なのは
「私がやるなんて…」という謙遜を捨てて
必要が出てきたら
みんなで子どもたちをサポートすることが
大切なのだと思います。
そして
江戸の教育の本質
学びたいことを、学びたい人から、学びたい時に学ぶ
学校だけに任せるのではなく
みんなで子どもを応援する、サポートする
ことなのではないでしょうか?
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