m-columunfelt

日々の生活での小さな喜びや考えさせられる瞬間について書いています。

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最近の記事

過去を超えた現在の体験

私たちは経験さえ比較する。それは他者とではなく、自身の中で自身が経験したことと現在の経験とを比較する。 最近、美味しいという感情について考えていた。食体験は重ねるほど、美味しいの基準も高くなる。それは自然と、美味しいに厳しくもなる。また、美味しいの感動体験は、再体験しようと快楽の追求にも繋がりやすい。 なんとなく、その両方を思っていた。 そして気がついたのが、今にフォーカスをすること。そう、何度となく気がついてはきたけれど、またここへ繋がっている。過去の記憶と比較するこ

    • あんみつ

      とても美味しい抹茶あんみつを食べたという記憶があって、だからまた食べに行こうと思いながら、先日やっと行くことができた。 席へ座ってメニューを開くと、最初のページにかき氷の名前が並んでいた。ああ、夏になったんだ。眺めていると、種から育てたという柚子のシロップにミルクを合わせたものが気になった。そのお店ではかき氷を注文する人が多かった。私はまだ一度も食べていなかった。迷う瞬間と過ぎる不安。それは、やっぱり抹茶あんみつを食べれば良かったと思うこと。だから、潔く、注文を。 おかげ

      • アイスコーヒー

        これが本当かどうかはわからないけど、アイスコーヒーの概念が変わった。 友人がとても早くアイスコーヒーを飲み終えていた。聞くと『味が薄まるのが嫌だから』と教えてくれた。私も、もっともだと一緒に笑った。 最近はコーヒーが好きで、自分でも試行錯誤しながら自宅で淹れるようになった。アイスコーヒーは水の量を減らして、コーヒーを濃いめに抽出し、減らした水分量の氷を入れる。ということは… 氷が溶けきったときが味のピーク。 これに気づいて友人に共有したくなったのは、アイスコーヒーをゆっ

        • 豊かな情報のなかで

          今は携帯電話やインターネットを通してほとんどの情報にアクセスができる。これに気づいたとき、肩の荷が下りた。それは人の価値がどれほど博識であるかに依らなくなくなったことに、きっと安堵した。情報や知識はデバイスの中。使い方さえ学べば、いつでも誰でも取り出せる。 そうなら、私たちは何を見ているのだろう。 それは『情報を活用すること』なのかもしれない。豊かにある情報や知識に自分らしさを加えて、他者とどのように関わり合うのか。それは収集することに満たされた人間の自然な思考の流れのよ

        過去を超えた現在の体験

          幸せの価値観のシフト

          時代が流れて、幸せの価値観も変わってきている。物質的な豊かさや社会的な地位を前面にするものから、内面的なものも含むよう。 大きな家、最新の車、高額な収入は揃うなら、確かに嬉しいけれど、揃わなくても不幸ではないと、私たちは気づき始めている。現代は特に心の安定や日々の充実を大切にしているよう。 SNSやグローバルな情報の流通で、多様な価値観やライフスタイルに今では瞬時に繋がることができる。それは異なる文化や生き方に触れる貴重な機会をもたらしてくれた。その経験を重ね、他者と比較

          幸せの価値観のシフト

          ゆるっと余白

          編み物をしていると、力加減の大切さにあらためて気がつく。ちょうど良い力の加減は、糸が持つふんわりとした膨らみが生かされて、編み目に自然な凹凸が浮かび上がる。それは何とも言えない美しさ。よく見ると、それは糸だけでなく隙間にある余白との絶妙なバランスで成り立っていることがわかる。 余白と網目。どちらもが大切で、それが調和したとき美しい一枚が出来上がる。 また、完璧を求めると、何度も解いて編み直したくなる。それは『できない』という意識を刻むのか、思い現実が引き寄せられてくるよう。

          ゆるっと余白

          信頼の場所から話す言葉

          本音を交わして、相手に合わせて、そしてお互いのスタイルで共存するということは、寄り添うというより、お互いのままを受け入れながら共に歩いていくよう。それは、自分のことも相手のことも蔑ろにはしないから、思いやりは軽やかでふわっと頬を撫でる風のよう。理解し合い、支え合い、自分らしくいても柔軟で、それは柔らかく手を繋ぐよう。 その緩さを尊重と、私たちは呼んでいるのかもしれない。 お互いがお互いに自信を持って存在している関係は、本音と信頼が基盤にある。優しく変換された本音が、さらに

          信頼の場所から話す言葉

          喜びを共有する方法

          例えば、嬉しかったとき、嬉しかったことを誰かに話したくなる。できるなら、ただ聞いてもらえたなら嬉しいけれど、そうはできない事情もある。それは言うなら、きっと大人の事情。大人になると様々を考慮して伝え方も整える。でも、大人になったからこそ選択肢は増えている。他者という存在を意識するようになって、相手にも感情があることを知るようになって、そこに思いやりというクッションも置けるようになっている。 嬉しいの気持ち。外側にある詳細をむいていくなら、そこにあるのは誰もが持つ感動の心。そ

          喜びを共有する方法

          生きているの眼鏡

          感情の居場所で目に映る世界の景色が変わっていく。そのときの気持ちや意識を向けている方向、それにより捉える景色が変わっていく。私たちは心が映し出す世界をまるで眺めているよう。 『生きている』の視点。 それはとても単純で明白で、私たちにとっては共通の視点。そして何かに行き詰まったとき、焦点がまた当たる場所でもある。そこへたどり着くと意識は大きく広がっていく。自分と他者とが同一になる。そう、共に生きる仲間だったと思い出すような。価値観の違いは当たり前。お互いがいるから、お互いが

          生きているの眼鏡

          心のお天気いろいろ

          私たちは心に曇り空を抱えることがある。そんなときは心を晴らそうと、好きなことをしたり、好きな場所へ出かけたり、好きな人たちと会話をしたり、内側を整えることをする。 心は感情の反映で、ときに複雑、また一時的な曇りというより隠れていた霧が現れ、覆われてしまうこともある。それでも希望なのは、そこに気づきが隠されているということ。 だから無理をせずに、そのときの心模様に合わせて過ごしてもみる。静かな音楽をかけて料理をしたり、好きな飲み物を入れて外の景色を眺めたり、湯船につかって本

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          楽しいを繋いで、旅

          物事はどうしたら楽しめるかを考えると、意外とその方法が見つかる。そしてまた楽しみが続いていく。そのとき、すべてを楽しむことができると感じたり、身の回りには楽しいことがたくさん溢れていると感じたりする。 新しい視点はどこかにある。固定概念の外かもしれない。 楽しさを探しながら、繋ぐように何かを続けていくとき、まるで旅をしているような感覚になる。物事との、対象との、誰かとも、関係をゆっくり育むように、それは続いていく終わりのない旅のよう。旅には精神的な学びや自己成長の側面があ

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          重ねる楽しさ続く楽しみ

          TVドラマを見ていて思うのは、心の底から楽しむようになっているのが5話目あたり。 それまでは楽しみながらも、対象との距離がまだあるような、冷静に俯瞰している自分もいたり。でも見続けるにつれて、見えなかった側面がどんどん見えるようになり、登場人物の心情や、背後にある作り手の方の意図や、演者の方たちの情熱や、それらを捉えるようになるのか、共感性や理解が高まり、作品を楽しみに待つようになっている。 『愛着』の言葉が浮かんだ。 それは、心の結びつきや帰属意識、特定のものや人や場

          重ねる楽しさ続く楽しみ

          不完全の心地良さ

          何かをよく知る前のイメージは漠然としていて、だからこそ明確でもある単一のイメージを持っていたりする。でも、その対象を知るごとに様々な発見をすることになり、それは新たな概念を増やし、印象も増やし、情報がより複雑になり、持っていた思い込みや断定にときに気づき、漠然とはまた異なる曖昧さがやってくる。 それは知らないことを知らないと知る瞬間。 これからも、その対象が変わっていくと、悟るかのような感覚。 それがわかると、今ある概念もまた変わっていくとわかる。そのとき見据えているの

          不完全の心地良さ

          信じること応援すること

          やめると続けるは対極にあるような言葉。それは迷いがないとき、どちらもほとんど浮かんでこないのに何かが揺らぎ出すと、どちらも常在する不思議な関係。 新しく仕事を変えるか、今あるキャリアを継続させるか、私たちが将来の安定と情熱の追求という価値観の間で揺れ動くのはよくあることで、それは意思の確認か、それとも救済か、どちらとも取れるからこそ迷う。それはまるで表と裏の区別のないメビウスの輪のよう。善悪の判断はいつも曖昧だと感じるとき。 それでも誰もが決断しながら進んでいる。その選択

          信じること応援すること

          自然の場所を整える

          私たちはコミュニケーションでも、常に選択をしている。ときには、自分自身と向き合いながら、心や意識を広げながら。 相手へかける言葉や、接する態度や、それは無意識も含みながら、意識をして、内なる声に導かれながら、無限の海の中を泳ぐよう、毎瞬、進む先を選択して決めている。次に行く現実を創造している。そうであるなら、それは多くの可能性に開かれてもいるということ。 コミュニケーションはありのままの自分でいることと、寛容さとのバランス。それは率直さと思いやり。そして、本音と信頼でもあ

          自然の場所を整える